野望乱立〜その一〜









━━叛乱発生から五十二日、洛陽。大漢宮
「陛下はご気分がすぐれぬとのこと。司隷校尉閣下に良しなに伝えるよう、言上賜っております」
恭しく拱手する宦官を、郭図公則はつまらなそうに見つめた。
10日連続で、「ご気分がすぐれぬ」か。
芸のないことおびただしい。
(もう少し言い訳作りにも頭を悩ませてはどうだ?)
心中でそう毒づく郭図公則だったが、もちろんその顔には、不信の情も、不機嫌の情も浮かべない。
ことごとく謁見を拒否され続けている身なれば、今日もこうなるであろうとは、司隷校尉府を出る前から織り込み済みだ。
そもそも、郭図公則は帝都における政治・軍事・経済、その全てを自らの手に掌握している以上、皇帝と会えないからといって、急に自身の政務に支障が出てくるわけでもない。
それでも、毎朝の参内を欠かすわけにはいかない事情も、郭図公則にはある。
郭図公則が、皇帝を必要以上に敬っていない――それどころか、自身の野望を成し遂げるための駒としか思っていない――ことは事実だったが、それでも相手は、神聖不可侵なる一天万上の君、皇帝。
そんな存在を「庇護」する立場にある以上、皇帝の威光は守らなければならない。
自分が皇帝を軽んじる態度を示したら、それは皇帝の威厳の低下に繋がり、引いてはいざという時に郭図公則が切るべき「皇帝カード」の価値をも落とすことになる。
来るべき涼王の反攻への対処や、帝都の治安維持、さらには各勢力への謀略などなど、今の郭図公則は一寸の時間を惜しむ身ではあったが、そんな事情がある以上、明日も、明後日も、そしてそれ以降も、「皇帝詣で」は続けなければならない。
「郭図公則が心よりお見舞いの言葉を述べていた、とお伝えしてくれ」
郭図公則は、自身の心に潜む「嫌気」を表に出さないよう注意しながら言うと、懐から小さな錦の袋を取り出し、宦官に手渡した。
中には金子が入っている。
庶民であれば、一家族が一年は遊んで暮らせる額だ。
「はっ。必ずや」
宦官が嬉しそうに受け取ると、郭図公則はクルリと背を向け、回廊を歩き始めた。
郭図公則の背に、目はない。
だから郭図公則は、今しがた餌を投げ与えられた犬のように目を輝かせていた宦官が、覚めた目で自分を見送っていることまでは気付かない。



「司隷校尉、退出いたしました」
宦官の報告に、文字通り「息を潜めていた」皇帝は大きく息を吐いた。
郭図公則にとって気の進まない毎朝の参内だが、それは仮病を使って謁見を拒み続けている皇帝にとっても同じことだ。
可能な限り柔らかい表現に置き換えたとしても、郭図公則に対する皇帝の捉え方は、「不信」以下とはなりえない。
あの男はこともあろうに、神聖不可侵たる存在の自分に嘘をつくという、本来ならば、大逆の咎でもって斬首とすべき行為に及んだ。
許せるわけがないし、会いたくなるわけもない。
毎日毎日、郭図公則は決まった時間に謁見を願い出てくる。
その時間が近づくと、皇帝はいつも胃が痛くなる。
これまでのところ、大人しく引き返している郭図公則だが、いずれ「本当に病か?」と、皇帝の私室にズカズカ踏み込むことすらやりかねないような気もする。
さながら、董卓の如くに。
とはいえ、今日に関しては、やり過ごせた。
会いたくないから会わない、という子供じみた行為に意味があるとは皇帝も思わないし、いつまでもこの状況を続けられるものでもないともわかっているが、ひとまず胸をなでおろす。
しかし、それも束の間のことだった。
「申し上げます」
部屋の外から、声。
取次ぎの文官だ。
「少府が謁見を願い出て参りました。如何致しましょうや?」
皇帝は再び、額に手を当てた。
郭図公則の次は、少府の丁秦。
まったく今日は、次から次へと…………。
「さすがに、あれに会わぬわけにはいかぬか」
溜息をつく皇帝の声は、自分に言い聞かせるような独り言だった。
しかし、先ほどの宦官が、それをやんわりと制した。
「陛下、暫しお待ちを。陛下が左様にお考えならお止めすることはございませぬが、お会いになるのであれば、暫く時をおいてからの方がよろしいかと存じます」
「どういうことか?」
「たった今、御身の不調を理由に司隷校尉の謁見をお断りになられた陛下が、司隷校尉退出からすぐ、少府と会っていたことが知れたなら、いらぬ面倒となりましょう。あの狡賢い司隷校尉のこと、どこに間諜の者を置いているか知れたものではございませぬゆえ、少府との謁見は時を置かれるが吉、と存じまする」
「ああ、なるほど。それは思いつかなかった」
皇帝は嬉しそうに微笑んだ。
この宦官の機微には、これまでもいろいろな場面で助けられていた。
「卿の申すことは道理だ。任せる」
宦官の対応を受け、丁秦は午後になってから出直してきた。
「ご気分がすぐれぬと伺い、心配いたしておりましたが、御尊顔を拝しますに、壮健の御様子にて安堵いたしました」
恭しく挨拶する丁秦に、皇帝は意図的に重々しく頷いて見せた。
さもないと、顔にいらぬ情が出てしまいそうになる。
丁秦の言葉が真摯であることは、皇帝もわかっている。
わかってはいるのだが…………。
皇帝の心の深淵に隠れているものに気付くことなく、丁秦は説明を始めた。
「編成が進められておりました近衛軍の陣容に、目途がつきましてございます。総勢3万。総司令官の人選に迷いましたが、謹んで王晨を推薦いたす所存にございます」
丁秦の声は弾み、目は喜色に溢れていた。
近衛軍とは、皇帝の身辺警護を主任務とする皇帝直属の軍。
すなわちそれは、丁秦ら漢朝の廷臣たちが欲し続けた、涼でも魏でもない、正真正銘の漢所属の軍隊、ということになる。
この編成の大きな支えとなったのが、二ヶ月前に涼王が朝廷に贈った金10万の見舞金だ。
涼王は、洛陽焼き討ちの実行役だった馬参の処刑を回避すべく、この金でもって事態の収拾を図った。
当時丁秦は、帝都の焼き討ちという大罪を、よりによって金で有耶無耶にしようとする涼王に怒りを抱いたものだが、今となってはむしろ、涼王と馬参に感謝したいぐらいだった。
3万の兵たちの糧食費用に武具防具の調達、軍馬の購入・維持、いずれも莫大な金を要するが、10万の金はそれらの問題を一挙に解決し、さらに余り得るものだった。
ゼロからの編成であることと、洛陽の人口を考慮して、今のところはとりあえず3万の兵数に留めているが、資金的にはまだまだ増強できる。
「王晨を司令官に据えるか」
軽く首を傾げ、皇帝は言った。
「卿の推薦なら朕に否やもないが、あれは軍を率いたことがあったか?」
王晨は、長安で死んだ司徒・王允の甥だ。
王允の一族は董卓の残党に皆殺しとされたが、王晨は弟の王凌とともに城壁を乗り越えて長安から脱出し、その後は再び、皇帝に仕えていた。
「陛下のご指摘通り、王晨に卒軍の経験はございませぬ。なれど、御懸念には及びませぬ」
丁秦は胸を張った。
「具体的な戦術や用兵は、武官に任せれば何ら問題はございませぬ。そもそも司令官とは、軍の要にございます。お上への忠義と戦意に溢れ、下の武官を手足のように扱える度量こそが肝要であり、これらの点において王晨は、十分以上のものを持っております」
その説明に、皇帝は異論を唱えなかった。
皇帝直属の廷臣たちを見回しても、軍事に精通した経験者はまったく皆無だ。
そうである以上、王晨以上に適任と思える者の名は、皇帝にも思い浮かばなかった。
「任せる」
短く皇帝は答えると、胸元の錦の袋から印を取り出した。
丁秦は既に、王晨を近衛軍司令官に任ずる旨が書かれた上質の紙を、皇帝の面前に差し出していた。


丁秦が退出すると、皇帝はまた、深い溜息をついた。
郭図公則、それに丁秦。
最近はこの二人の名を聞くだけで、気分が重くなってくる。
まず、郭図公則。
漢朝が今、のっぴきならぬ事態へ陥りかけているのも、元はと言えば全て、あの男のせいだ。
あの男が涼王暗殺をもちかけ、軍を動かし、そして涼王を取り逃がすという大失態を演じた。
涼王を殺すことで、自分が涼王の立場に取って変わろうとでも思ったのだろうが、火の粉を被る身となったこちらにしてみれば、迷惑もいいところだ。
それなのに、あの男を公然と糾弾できないことが、余計に今の皇帝の苦境を象徴していた。
涼王は、自分を殺そうとした郭図公則を決して許さないだろうが、同時にそんな郭図公則を嘉し、さらには「逆臣・呂砲」の討伐を命ずる勅まで発した皇帝も許すまい。
許田で垣間見た、涼王の真の顔を思い出すたびに、皇帝は身が震える。
許昌に逃げ延びた涼王が、再び帝都を制圧するに至ったなら…………。
(間違いなく、殺される)
確信と呼ぶべき強固さで、皇帝はそう思っている。
それでは、自分が殺されず、漢朝が存続を続けるには、誰を頼りとすればよいのか。
洛陽軍10万はかけがえのない戦力だが、核となる指揮官がいなければ、どれだけ多くの軍兵も、単なる烏合の衆に過ぎないことを、皇帝は知っている。
戦さ慣れした涼軍を迎え撃つには、優秀な指揮官が絶対必要だった。
郭図公則は、戦さが上手く、謀事に長けている。
さらに、過去形とはいえ、涼においては涼王に次ぐ序列の七同志だった男であり、さらに2年間に渡って洛陽の太守を務めていたという実績もある。
涼軍を撃退できる将としての力量に、帝都軍の司令官役を任せられるだけの「格」。
その二つを兼ね揃えている者は、郭図公則以外にいない。
だから皇帝は、
郭図公則を罰することができない。
苦い笑いが、浮かんでくる。
事もあろうに、皇帝に嘘をついた男に、皇帝の、いや漢朝の命運を委ねなければならないとは!
一天万上の君たる自分が、せいぜい謁見願いを仮病で拒否するぐらいしか、あの男の不忠に抗議する術を持たないとは!

皇帝には、深い後悔があった。
還行の途上、許田の地で執り行われた巻狩りで、皇帝は呂砲という男の心理を知った。
あの男は、自分が決して優れた人間でないことを自覚している。
そしてそうであるからこそ、自分が(あるいは、自分の勢力が)何かを成し遂げた時、相応の評価を得られないことを極端に嫌う。
これは裏を返せば、その功績にふさわしい処遇をしてやれば、涼王はへそを曲げることはない、ということだ。
既に王位にある者ゆえ、これ以上の昇進は不可能にせよ(王より上の階位は、皇帝しかない)、土地や称号、金品、物品を下賜すれば、それで十分だ。
いや、土地も、金すらもいらない。
「よくやった。涼王はまさしく、朕の右腕である。これからも朕を支えてくれ」
誠心誠意に基づくそんな言葉さえかけてやったなら、それで満足する。
涼王は、そういう男だ。
(自分は、涼王を使いこなせる)
あの時、皇帝は確かに、そう思ったのだ。
それなのに自分は、涼王討伐の勅に印を押してしまった…………。
「安い酒に酔った気分」とは、こういう心境を指すのだろうか?
苦い表情になった皇帝は、今度は自分への熱烈な忠義に溢れる廷臣の顔を思い出した。
皇帝の「不信」の念は、少府の丁秦にも向けられている。
あの漢臣が、自分に対して、そして漢朝に対して、「激烈」と評してもよい忠誠心を抱いていることは、皇帝もわかっている。
今の時勢にあって、それが実に得難いものだということも。
ただ、皇帝の目から見ても、丁秦は危なっかしい男だった。
特にそれは、漢朝復興に至る方法論において、もっとも顕著となる。
丁秦は、目的地に至るその最短距離を進もうとする。
途中に山があろうと、谷があろうと、一切お構いなしだ。
賢人は「急がば回れ」と言うが、丁秦のやり方では無駄な時間を浪費するばかりか、場合によってはそもそもの目的すら未達成に終わりかねない。
丁秦のそんな性格を悟った皇帝は最近、時間を巻き戻したいという欲求に頻繁に駆られるようになっていた。
巻き戻す先は言うまでもなく、丁秦が郭図公則の策を自分に伝え、勅書に印を押すよう迫ったあの夜だ。
「自分は、涼王を御せる」
そう思っていた皇帝を丁秦が強引に説き伏せ、朝廷をこの謀事の主体的立場へと動かしたあの夜だ。
丁秦の策に乗るべきではなかった。
勅など出すべきではなかった。
丁秦を叱責し、すぐさま謀事を中止するよう命令すべきだった。
あの頃、涼王は郭図公則の暗殺団の襲撃をかわし、帝都の中を逃げ回っていたのだ。
涼王を救出し、跳ね返りの郭図公則を捕えていたなら、自分と涼王の関係は一気に堅固なものとなり、合わせて漢朝の将来も安泰となっていたはずだった──。
今上皇帝には、ここ最近の歴代皇帝にはない美徳、あるいは皇帝としての資質がある。
それは、自分を支えてくれる家臣に、不始末の責任を押し付けない、というものだ。
結局、勅書に印を押したのは自分であり、最終的な責任は自分に帰せられるべき。
それは嘘偽りのない、皇帝の本心だった。
だが同時に、聖人君子でない皇帝の胸に、「それでも」という思いが浮かんでくるのも、致し方なかった。
郭図公則が、こんな破れかぶれな手に出なければ。
丁秦が、これに乗らなければ。
そんな思いが消えることはない。
皇帝は今、郭図公則が憎かった。
そして、丁秦が疎ましかった。



すすり泣く声が、部屋の隅の方から聞こえてきた。
振り向くと、件の宦官が、背を丸めてむせび泣いていた。
「宦玄、如何いたした?」
皇帝が問いかけると、宦玄と呼ばれた宦官は驚いたように身を跳ね上げ、額を床になすりつけた。
「も、申し訳ございませぬ。聞き苦しき声にて、陛下のお耳を汚し奉りました」
「大袈裟なことを言う」
震える宦官に、皇帝は微笑んで見せた。
「何か憂いでもあるか。申してみよ。朕が力になってやろう」
宦官は、さながら首を絞められた鶏のごとく、「キュッ!」と悲鳴を上げた。
皇帝が下々の者たちに向ける慈愛の情は深く、広い。
そしてその対象は、宦官にも及んでいる。
宦官を一人前の人間として認めない儒教的価値観は、世の人間たちが等しく共有するところだったが、皇帝がその価値観に染まることはない。
皇帝にしてみれば、自分や后の生活全般を世話し、司る宦官は、貴族連中などよりよほど強い身内意識を抱ける対象なのだから。
何より現在、宮廷の仕事をこなせる宦官の数は、「深刻」と称せるほどに少なくなっていた。
そうでなくとも、やたら形式張っているが故におびただしい決まり事に縛られる宮廷作法に精通した宦官となると、数えるほどしかいない。
大将軍・何進暗殺後に袁紹が起こした宦官の虐殺や、董卓の長安遷都に伴う混乱の過程で、皇帝の傍に仕えられるような有能な宦官の大半は、殺されてしまっていた。
今、皇帝の面前で打ち震えている宦官は、その貴重な生き残り。
皇帝の声に、掛け値なしの慈愛の情が含まれているのも、ある意味当然のことではある。
「お…………怖れ多い仰せ! 陛下より賜わりしその御言葉こそが、宦玄の名を継ぎし臣にとって、何よりの誉れにございます!」
宦官は顔を上げることもできず、ただ声を震わせた。
対する皇帝は、聡明にして慈愛に満ちた顔で、宦官を促した。
「構わぬ、宦玄。遠慮の要なし。とにかく申してみよ。話さなければ、何もわからぬぞ」


皇帝が口にした「宦玄」とは、人名というよりは「通称」、あるいは「家名」に相当するものだった。
一度聞いてもなかなかピンと来ないそこらへんの事情は、今からおよそ70年前の法令改正に起源を持つ。
「宦官は、子を作れない。よって、家を保つことができない。そもそも、人ならざる者たる宦官に、家名など不要」
宦官に対して当たり前だったそんな風潮は、順帝と諡号される当時の皇帝が、宦官の助けを得て、横暴甚だしい外戚を退けたことで大きく変わった。
「高位にある宦官に、養子を迎えるを許す。財の継承も許す」
順帝が発したその政令は言うまでもなく、宦官たちにとって画期的なものであり、その後宦官たちの間では、養子を迎えることが大流行となった。
宦官としての最高位・大秋長にまで上り詰めた曹騰もこの新制度を利用した一人だ。
その結果として現在の魏公は、「夏侯操」ではなく、「曹操」と名乗るに至っている。
今、皇帝の面前で涙を流す宦玄なる宦官も、ある意味、その流れの一端に連なる存在と言えた。
ただし、あくまでも、「ある意味」だ。
その順帝の治世の折、曹騰の右腕として政治を支えた宦官の中に、宦玄という者がいた。
政治における剛腕ぶりで知られた宦玄は、新しい法令が定められても、富を築くことにも、その富を気に入った者に引き継がせることにも、一切関心を示さなかった。
とはいえ、野心がないわけではなかった。
それどころか、宦玄の野心とは、人並み以上に強いもの──そして、「醜悪」と称すべきものだった。
宦玄は、宦官という存在を「皇帝の間近に仕え、合わせて国を支えることができる聖職」と信じていた。
その信念への賛否は別として、宦玄がそう信じること自体に、さしたる問題はないはずだった。
だが、宦玄が同時に信じていたもう一つ別のことが、宦玄という人物の特殊性を象徴していた。
すなわち宦玄は、病的なほどに強く、己の存在を「気高きもの」と自負していたのだ。
「我が才は、全宦官のそれを足したものに十倍す」
「お上への忠義の深さにて、余を超える宦官なし」
「宦官、世に生じし後、その最上位に置くべき宦官は、余に他ならぬ。これは官職においてにあらず。精神において、である」
「いやしくもお上にお仕えする宦官は、総じて余を見習いつつ、職務に励むべし」
宦玄にとって、大秋長だの中常侍だのといった官職は、取るに足りないものだった。
後に続く宦官どもは、この宦玄こそを手本とし、目指し、精進すべきである──。
本気でそう自負する宦玄だからこそ、養子認可令が出され、宦官の家名継承が許されるようになった時、まったく別のことが脳裏に浮かんだ。
それこそが、自分が「これ」と認めた宦官に、自分の名前を継がせることだった。
その時代におけるもっとも優秀な宦官が「宦玄」の名を名乗り、さらにその次の代におけるもっとも優秀な宦官が、その流れを継承していく。
これが代々に渡って続いたら、どうなるか。
「宦玄」を名乗ることこそが、宦官たちにとっての最高の誉れとなり、目標となる。
何より、自分の名前を後々の世まで残せるようになるではないか!
そんな結論に達した宦玄は、若い宦官たちを集めると、熱心に教育と選別に励んだ。
「後世に優秀な宦官を残す。真の宦官たらんと欲する者は、余の元へ集え」
そんな宦玄の呼びかけに、まだ官位を得ていない若い宦官たちが集まった。
大勢の若者たちを見渡す当の宦玄は、己の人望に満足した。
実際のところの集客理由が、「大秋長・曹騰の部下」なる肩書であったとは、宦玄は思いもしなかった。
ただし、すぐに悪い噂が広まり始めた。
「宦玄は、妙な宗教に凝り始めたようだ」
同僚たちがそう囁き合ったのは、宦玄の「教育」が、世間一般的には「教化」と称される代物だったからだ。
「皇上の第一の忠臣は誰か?」
「宦玄閣下にございます!」
「卿らは宦官として、どのような人物たらんと欲するか?」
「宦玄閣下のような人物たらんと欲します!」
そんな連呼が木霊する宦玄の邸宅は、さながら宗教組織の本部のようだった。
それが「邪教」のレッテルを貼られることも、官憲の摘発を受けることもなかったのは、宦玄がこの世の最上位に位置する存在として声高に大漢皇帝を掲げたことと、上司にして政界の実力者たる曹騰が、苦笑混じりに「放置」を命じた点が大きい。
かくして宦玄は、誰からの「迫害」も受けることなく、精力的に教育ならぬ教化を続けたが、独りよがりな号令を強要する「教育」が、拡大の道をたどるわけもなかった。
そうでなくとも、宦玄は強烈なカリスマ性とは無縁の人物だったから、宦玄邸を訪れる若い宦官の数が日を追うごとに減っていったのも、極々当然の流れだった。
もちろん、弟子の減少という事態は、宦玄にとって「愉快」と感じられることではなかったが、それでも宦玄は、最後までへこたれなかった。
やがてただ一人となった宦玄の「信者」が、当初から有望と見定めていた若者だったからだ。
後継者がいる以上、宦玄が挫折する理由はない。
「卿に宦玄の号を継がせる」
やがて老いと病に蝕まれ、起き上がることも難儀となった宦玄は、枕元に弟子を呼び寄せ、そう告げた。
弟子に自分の家系や財を引き継がせる意志は、宦玄には毛頭なかった(そもそも宦玄の財は、無理矢理弟子を集めるため、湯水の如き勢いで消費され、ほとんど残っていなかった)。
自分が、この弟子を優れた宦官と認めた証として、「宦玄」の名を継がせる。
それこそが、この者にとっての最高の栄誉。
そして、さらに次の代の優れた宦官に、再び「宦玄」の名を継承させていくことこそが、この者の使命。
宦玄は、一切の迷いもなく、そう信じていた。
一方、二代目宦玄の襲名を許されたこの弟子は、最後まで宦玄に付き従っただけのことはあった。
「あ…………ありがたき幸せ! 閣下の御名を汚さぬよう、努力する所存にございます!」
二代目は本心からそう応じ、余命幾許もない初代宦玄を満足させた。


かなり暗示にかかりやすい二代目宦玄だったが、無能ではなかった。
それどころか、十分以上に優秀だった(その点において、初代宦玄の見立ては正しかったことになる)。
初代の喪が明けるや、朝廷に再出仕した二代目は、余人を呆れさせる熱心さと能力でもって、仕事をこなしていった。
このまま順調にいくなら、二代目がかなりの出世を遂げるであろうとは、衆目の一致するところだった。
しかし、二代目も初代と同じく、どこかで普通の宦官とは感覚のかけ離れたところがあった。
「宦官の仕事とは、皇上に直接お仕えし、皇上の御宸襟を安んじ賜い、もって国家を安寧に至らしめる職分である」
二代目宦玄は、宦官であろうがなかろうが、会う者すべてにそう説いた。
「すなわち宦官とは、尊敬されるべき職分・身分なのである。にもかかわらず、党人は宦官を賎しみ、軽蔑する。なぜか。去勢の身たるを一人前でない証と説く者もいるが、それは本質ではない。性根卑しき行為に手を染める宦官が実に多いこと、これが問題なのである。賄賂などを要求し、私腹を肥やそうとする宦官が実に多いこと、それが問題なのである」
そう説く時の二代目は、相手が引いていようがいまいが、一切関係なかった。
アジテーター的傾向を内包していたらしい二代目は、ひたすら己の弁舌に酔い、陶酔の中で訴え続けた。
「宦官たちよ、己の身を顧みよ。心苦しきところはないか? 宦官たちよ、我が眼を見よ。しかと見据えられるか? 宦官たちよ、己が身を律せよ。そして、誇りある官吏として、お上に御奉仕しせよ。さすれば、我ら宦官を見る世の目は変わる。さすれば、我らの地位も向上する。人ならざる者として忌み嫌われるのではなく、有能にして忠勤に溢れた官僚集団として、世の尊敬を受けるようになる」
人ならざる者として見下されている宦官の現状を、変える。
宦官の中の宦官・宦玄の名を継いだ自分は、先代の期待に応えるべく、宦官の地位向上に努めていかなければならない。
誰に吹き込まれたわけでもなく、自然と二代目は、己の使命をそう見出すようになっていた。
初代と違って、二代目の思想は、数多いる宦官たちの中で孤立したものとはならなかった。
二代目を支持したのは、なかなか芽の出ない宦官たち──高位にあらざるがゆえに、私腹を肥やす機会を持ちようのない連中──だった。
だが、当然のことながら二代目の主張は、私腹を肥やす機会に苦労しない高位宦官たちの入れるところではない。
次第に二代目は、高位宦官たちから疎んじられ、遠ざけられた。
扇動をやめさせるべく、露骨な妨害工作も為された。
しかし、そんなことに屈する二代目ではなかった。
改革を己の使命と見定めている者にとって、権力を持つ者からの圧力は、むしろ「栄養」となる。
二代目の扇動は一層過激さを増していき、かくして高位宦官たちは、二代目の抹殺を決定した。
二代目が捕えられた際に着せられた罪状は、いわれのない中傷を繰り返したとする名誉棄損の咎だった。
そして、二代目が裁きの場に立たされた時、その身に及ぶ罪状の数は、二桁にまで増えていた。
下された判決は、斬首。
二代目を支持する宦官たちは、なけなしの金を出し合って牢番を買収し、彼らの先導者との涙の別れを交わした。
「我が理想を理想のままで終わらせるわけにはいかない」
牢獄に繋がれたアジテーターは、取り乱すことなく、言った。
「活動は継続しなければならない。続けてこそ初めて、理想は現実のものとなる権利を得る。そういうわけで」
二代目は、悲嘆にくれる宦官たちの中で、後ろの方に控えていた若い宦官を見据え、言った。
「君に宦玄の名を継承したい。我ら宦官たちの未来を、君に委ねる」


突然、宦玄の名を襲名することとなった三代目は、初代や二代目と比べるなら、遙かに周囲を見ることのできる者だった。
三代目は、考えた。
二代目は無実の罪を着せられて、刑場の露と消えた。
なぜか。
それは、二代目に力がなかったからだ。
この場合の「力」とは、「能力」ではなく、「権力」に当たる。
あれほど立派な理想を持ちながらも、権力を持ち得なかった二代目。
だからこそ、何も変えることのできぬまま、志半ばでの退場を余儀なくされた。
ならば自分は、二代目とは違うやり方で、二代目の理想を追い求めよう──。
そう思い定めた三代目は、先代のような激しい扇動活動に時を費やすことなく、ひたすら仕事に励んだ。
進んで高位宦官たちの「犬」にもなった。
そんな三代目が仕えたのは、当時朝廷の権勢を握りつつあった宦官集団「十常侍」の一人・張譲だった。
張譲ら十常侍は当時、「清流派」を自称する官僚集団と、朝廷の権勢を巡って激しく対立していた。
その対立の中で、三代目はめきめきと頭角を現していく。
初代、二代目同様、三代目もまた、ある能力に秀でていたが、それは陰惨な策謀の立案・実施の才だった。
三代目は、清流派の連中を追い落とす様々な陰謀を画策・遂行した。
これによって宮中を追われた清流派の官僚は四十人に及び、その中には王允や蔡ヨウといった著名人もいた。
清流派の中には、単に宦官嫌いからその名を連ねる者もいれば、真に現状を憂いて改革を志す有意の士もいたが、張譲の照準は、その者の心の気品を問わない。
(これほどまでに立派な人物を…………)
そう逡巡しながらの策謀は当初、三代目にとっても決して心の躍るものではなかった。
しかし、次第に三代目は、策謀を立案すること、実施すること、結果に酔うこと、策謀の対価を得ることに喜びを見出すようになった。
確かに三代目は、「二代目と同じ轍を踏まないことこそが、二代目の死を無駄にしないこと」と本気で信じていた。
とにかく高位宦官の寵を得、出世するのだ。
そのためなら、何だってやってやる。
ただし、手を汚すのは、今だけだ。
出世したら、きっぱり手を洗う。
権力さえ握れば、後はこっちのもの。
誰にも邪魔されず、宦官の地位向上に必要不可欠な、宦官の意識改革に着手できる。
その改革の先にこそ、宦官たちがその職務にふさわしい尊敬を得られる未来がある──。
だが、策謀家として活動する中で、当人も気付かぬうちに、三代目は道を踏み外していた。
誰もが嫌がる汚れ役を完璧にこなす三代目は、次第に張譲に重宝されるようになり、その恩恵で少なからぬ貯財もできるようになった。
昇進のペースも、他の同僚を上回り始めた。
それまでは、「君」、せいぜい「貴公」だった同僚たちの自分に対する二人称は、いつの間にか「貴殿」、あるいは「貴方様」に変わった。
彼らは自分に対し、大きく腰を曲げ、深く拱手するようになった。
同僚だけではない。
三代目は「危険な宦官」として、清流派の連中からも一目置かれるようになった。
宮廷ですれ違う時、清流派の者たちが三代目に注ぐ視線は、激しい敵意、そして何より、「恐怖」に満ちていた。
他人から、畏怖される。
それは三代目に、相当の快感を覚えさせた。
そしてその境遇こそが、三代目を変えていく。
高い官位に昇り、辣腕を振るうと、周囲の者たちは自分におもねるようになる。
遜るようになる。
恐れるようになる。
この境遇を失いたいとは、三代目はさらさら思わなかった。
それどころか、さらなる快感を得たいがために、さらなる高みへと昇りたくなった。
そう志向し始めた三代目にとって、出世とはもはや「手段」ではなく、「目的」だった。
出世を目指す上でのそもそもの目的だった、「宦官の地位向上」という思いが消えたわけではなかったが、その目標に至る上で据えていた手段も、まったく別のものへと変わっていった。
三代目は当初、宦官の意識を変えることによって、その目標を達成させようと考えていた。
しかし、余りに熱心に清流派の弾圧を続けるうちに、「宦官を攻撃する者の排除こそが宦官の地位を上げること」と錯覚するようになった。
やがて、十常侍の敵として、外戚の大将軍・何進が台頭してくると、三代目は偽の詔勅で何進を呼びつけるよう、張譲に具申した。
「あの卑しい屠殺屋のこと、疑いもせず、ノコノコ宮廷にやってまいりましょうが、その時こそ好機。一気に切り伏せてしまえば、閣下の敵はもう、存在いたしませぬ」
三代目の人生の最後の策謀は、かなり荒っぽいものだった。
美貌に恵まれた妹のおかげ「だけ」で、街の肉屋から大将軍に成り上がった何進を舐め切っていた、という面もあったし、これまであらゆる策謀を成功させてきた自分への慢心もあった。
だが三代目は、ある事実を承知していたがために、何進暗殺が引き起こす結末を読み誤った。
承知していた事実とは、何進が飾り物の盟主でしかなく、何進が部下たちの忠義を得ているわけではない、ということ。
袁紹や袁術、それに曹操といった何進派の実力者たちが実は何進を軽んじていることを、三代目はとっくに見抜いていた。
だからこそ三代目は、何進さえ殺してしまえば、部下たちは恐れ入って霧散するだろうと軽く考えていた。
しかし、三代目の予測とは裏腹に、袁紹たちは激しい怒りを爆発させた。
その怒りの根源は、何進への忠義ゆえではなく、自分たちの面子が、よりによって卑しき宦官どもに潰されたことに依っていた。
面子の問題は時に、人の生き死ににすら発展しうる。
面子を潰された(と感じた)袁紹たちは、長きに渡って宮廷で息をしてきた三代目たちにとっての常識を、あっさり突き破る手に出た。
「宮廷に突入せよ!」
顔面を真っ赤にした袁紹が、怒鳴った。
「宦官どもを皆殺しにするのだ!」
宮廷に配される兵は、近衛のみ。
宮廷に住まう者たちにとって常識以前のしきたりは、面子を潰された袁紹たちの前では何ほどの抑止力も持たなかった。
薄汚れた兵を踏み入れさせるなど、張譲から「策謀の泉」と称された三代目であっても、想像できる手段ではなかった。
そもそも、禁じ手以前の問題なのだから。
それでも、三代目はまだ、冷静さを保っていた。
袁紹たちの兵の突入を悟ると、三代目は急ぎ馬車を用意するよう部下に命じた。
そして、狼狽する張譲を叱咤し、皇帝(少帝)とその弟の陳留王(今上皇帝)の身柄と供に、馬車の待機所まで走った。
玉体さえ押さえておけば、何とかなる。
阿鼻叫喚の地獄絵図が展開される中で、三代目はそう計算していた。
だが、計算外のことがあった。
三代目の命令を受けた部下が用意した馬車は、大人二人が乗れる程度の小型車だったのだ。
皇帝と陳留王、そして張譲が乗れば、もう空きはない。
ここに来て初めて、三代目は恐怖に駆られた。
「閣下! 私もお連れくださいませ!」
そう叫んで馬車の後部に手をかけた三代目は、顔面の激痛とともに、転倒した。
三代目の顔を打ったのは、張譲が振るった鞭だった。
馬車は、走り出した。
立ち上がった三代目は、顔面から血を流し、上司の名を叫び、追いかけ、転んだ。
直後、袁紹の兵たちが現れた。
兵たちの槍でめった突きにされた三代目は、口から血を吐きながら、死んだ。



そして、四代目である。
この者、本名を羅刹という。
三代目宦玄の部下であり、策謀の実行役として着実な成果を挙げていた羅刹は、早くから三代目の後継者候補と目されていた。
羅刹が三代目と同じ運命をたどらずに済んだのは、ある任務を果たすべく、たまたま宮廷の外にいたからだった。
難を逃れた羅刹は、迷うことなく潜伏生活に至った。
清流派の弾圧に関わり続けていた身だけに、捕まったら命がないとは、想像する必要すらなかった。
洛陽の出身である羅刹は、当然この地に知り合いがないわけではなかったが、これに頼ろうとは一切考えなかった。
できなかった、とも言える。
羅刹は、浄身(自ら男根を切る)でもって宦官になった男だ。
進んで宦官「など」になる者を好ましく迎えるほど、世の人々は宦官に対し、寛容や親近の情を持っているわけではない。
匿ってもらうべく、知り合いの家の戸を叩いたが最後、そのまま官憲に売り渡されるであろうとは、想像ではなく、確信だった。
羅刹はほとんど乞食のごとき風体となって、帝都の最下層の者たちが住む一帯を彷徨い続けた。
怯え、竦み、不安、さらには徹底的に傷つけられた矜持。
いっそ自殺してしまおうかとは、何度となく、思った。
そんな羅刹は、一度、官憲に見つかったことがあった。
空き家で眠っていた羅刹は、荒々しく開けられる戸の音に飛び起きたが、逃げる余裕はなかった。
入ってきたのは、警らで巡回していた、いかにも仕事熱心と伺える将校だった。
「宦官か」
髯のない羅刹の顔を見て、将校は疑問形ではない声色で言った。
羅刹は、「終わった」と思った。
その頃帝都では、董卓による専横が始まっていて、何の罪もない者たちの処刑は、この悪魔のような男の娯楽として、毎日のように行われていた。
隠れ潜んでいた宦官である羅刹が、董卓の楽しみの一環として殺されることに、疑いの余地はなかった。
しかし、将校は思いがけない反応を見せた。
懐から何かを取り出し、それを羅刹に放り投げると、そのまま背を向け、空き家から出て行ったのだ。
直後、外にいたらしい将校の部下の声が聞こえてきた。
「楽驂殿、こちらは異常ありませぬ」
将校は応えた。
「こっちもだ…………そろそろ、切り上げるか」
呆然の感覚から覚めた羅刹は、ある予感を持って、将校が投げつけた竹の皮の袋を開いた。
中に入っていたのは、予想通り、干飯だった。
羅刹は泣きながら、それを貪り食った。


やがて、袁紹を盟主とする反董卓連合軍の勢いに抗しかねなくなった董卓は、帝都に火を放ち、長安へ逃れた。
羅刹は、焼け野原となった帝都に残り続けた。
灰燼に帰した洛陽は、これまで以上に食うものに不足するだろうが、潜伏は容易い。
それが羅刹の判断だった。
今は、自らの力では如何ともしがたい状況だが、必ずや時勢は動くはず――。
羅刹はくじけそうになる自分をそう叱咤しながら、そしてそうなることを信じて、乞食以下の生活に耐え続けた。
わずかな供を引き連れた皇帝が帝都に戻ってきたのは、洛陽焼き討ちから四年後のこと。
羅刹は迷うことなく、皇帝が鎮座する粗末な仮宮廷に参内した。
羅刹は、宦官。
結局のところ、後宮を持つ伝統のある皇帝に仕える以外、羅刹に生きる術はなかった。
そこで羅刹は、「四代目宦玄」と名乗る。
確かに初代から三代目までの宦玄は、何らかの問題のある者たちだったが、それでも彼らが、歴代皇帝に全身全霊でもって仕えようとしたことは事実。
その事実を、皇族が忘れることはない――。
そんな羅刹の読みは、的中した。
「おお、卿は宦玄の次なる後継者であるか!」
宦玄。
皇帝にとってそれは、至尊の地位にある者が、その称号にふさわしい敬意を受けていた時代を思い起こさせる、懐かしい名前だった。
涙を流した皇帝は以後、それまで宦官たちの中でも下の方の官位だった羅刹を、自分の傍らに置くようになった。
羅刹は元々、人の機微を読み取ることに長けていた。
何かと気が利く羅刹は皇帝から可愛がられ、羅刹自身も再び宮廷の人間に戻れたことに感謝しつつ、職務に精励した。
ただし、感謝の念も、長くは続かなかった。
やがて、曹操に庇護された皇帝は、曹操の本拠地である許昌へ連れて行かされた。
許昌が涼軍に制圧されると、新たな庇護者となった呂砲によって、再び洛陽へ戻された。
この間、羅刹は常に皇帝の傍にあり、皇帝を巡る環境を見つめ続けていた。
そして、秘かに皇帝を見つめる羅刹の目は、時を追うごとに変わっていき、今やそれは、つい先ほど郭図公則に対して向けられたものと同じ質――すなわち、冷たいものにまでなっていた。
羅刹は羅刹で、己の能力に対する自負がある。
その能力とは、何ら力を持たない皇帝に仕え続けても、発揮されることはない。
羅刹は、そう判断している。


「悔しゅうございます」
羅刹は――四代目宦玄は――、涙を拭いながら言った。
「今でこそ司隷校尉の顕職にあるとは申せ、あの郭図公則なる者、元は素性定かならぬ浮浪人というではございませぬか。なぜゆえそのような者が、至尊の地位にあらせられる陛下を軽んじることができるのでしょうや。なぜゆえ、誰もあの者を弾劾できぬのでございましょうや。世の理はどこへ行ってしまったのか、と…………無念でなりませぬ」
「そのことであるか」
皇帝は目を伏せかけたが、健気に言った。
「心配はいらぬ。今だけだ。賊を滅したなら、その後は理も息を吹き返そう。焦ることも、悩むこともない」
自分に仕えるべき宦官を慰める、という人の好さを発揮しながら、皇帝は同時に「本当に自分はそう思っているのか?」とも自問した。
董卓、曹操、呂砲、そして郭図公則。
自分を庇護する者は次々と変わっていったが、自分の立場は一貫して変わっていない。
すなわち、傀儡だ。
皇帝になってからというもの、自分が至尊の地位にあると実感できたことは、ほとんどなかった。
このままずっと、自分は傀儡のままで終わるのではないか。
いや、それどころか、大漢の血脈すら途絶えてしまうのではないか。
恐怖の念とともに、皇帝はそう思う。
「そうでございましょうか?」
果たして、頬を涙で濡らした宦玄は、はっきりと反論した。
「そもそも、事は素性定かならぬ者ばかりに限りませぬ。いやしくも、大漢の臣として陛下を支えるべき貴族どもも、陛下の御意向を無視し、勝手に謀事を巡らし、転じて陛下の御立場を危ういものとしております」
「卿は誰のことを申して居るのか?」
「無論、少府のことでございます。あの仁が司隷校尉の策謀に乗ってしまったからこそ、今の陛下の…………いえ、朝廷の危機がある、と臣は考えます」
「そう厳しいことを申すでない。あれはあれで、懸命に漢のことを考えておるのだ」
「御意。臣もそれを否定するものではございませぬ。なれど、陛下。今はまさしく、大漢にとって危急の時にございます。求められるのは、現状を好転させるという結果にございます。しかるに、少府のやり方はその結果をもたらし得ましょうか。臣にはとてもそうは思えませぬ。少府が動くたびに、状況は悪くなる…………それが現実ではございますまいか」
皇帝は、呻き声を上げた。
宦玄の指摘は、まさしく皇帝自身が感じていたことだった。
とはいえ、すぐ宦玄の言葉に同調することはない。
皇帝たる自分の発言が、如何に下々の者たちに大きな影響を及ぼし得るか、それを理解していることもまた、今上皇帝の美点の一つだ。
ただ、嬉しくはあった。
自分の懸念と同じ種類の考えを持つ者が存在する、という事実は、八方塞がりとなりつつある皇帝にとって、一筋の光を見た思いにもなる。
喜びを顔に出さず、静かに噛み締める皇帝に、宦玄は畳みかけた。
「陛下、策謀に秀でし三代目宦玄の名を継ぐ者として、策を申し上げます。どうかお聞き入れくださいますよう」
「策、とな。どうしたのだ、宦玄? 仰々しいが」
「もはや黙り続けることも限界にございます。何より、このまま座視することは、陛下の忠臣たりえぬことと強く感じておりますれば」
「…………まあ、聞くだけならよかろう。申してみよ」
「はっ! ありがたき幸せ!」
一度、大理石の床に額を打ちつけた宦玄は、背筋を伸ばすと、大きく息を吸い込み、言った。
「司隷校尉。それに、少府。この両名を斬るよう具申いたす所存にございます」
「何と!」
余りに過激な具申に、さすがに皇帝は目を剥いた。


宦玄は説明した。
許昌に脱出した涼王は今、帝都奪還のための軍を編成中だという。
さほど時を置かずして、この軍勢は洛陽郊外に攻め上ってくるだろう。
かくして、涼軍と洛陽軍の戦闘が勃発となるが、洛陽軍がこれに勝利を収められるかどうか、甚だ怪しい。
「何と申しましても、将帥の数に差がありすぎまする」
宦玄は言った。
「陛下も御存知の通り、業βにあった涼第三軍は、敵中突破を果たして、涼王の第一軍と合流いたしました。また、宛の馬超も涼王との共闘を決しております。これによって涼王は、馬超、馬参、希代之、廖衛、町費、甘寧、鳳コ、程c、法正、陸遜、馬岱などなど、優秀な将帥を多数擁するに至りました。対して洛陽軍の将は、司隷校尉に黄忠、藩璋、華キン、そして燕から派遣された文醜程度に過ぎず、黄忠に至っては陳留へ進出しているため、来るべき決戦には参加できないという状況です」
極端な将軍の数の違いに、皇帝は一瞬、首を縮めた。
もちろん、許昌や宛の守備もあるから、涼側がこれらの将全員を洛陽にぶつけてくることはないだろうが、それでも将の数において、大きな開きがあることは確かだった。
「戦さは将の数だけで決まるものではあるまい」
うすら寒い感覚を堪えながら、皇帝は言った。
「近衛軍の編成も本格化しておるによって、兵数においてこちらが上回りそうだと、丁秦も申しておった。戦さの本道は、敵より多くの兵を揃えること。この点はこちらの優位であろう」
「御意にございます。兵の数によって涼方を圧倒することで、将の不足を補うこともあるいは可能かもしれませぬ。なれど、陛下。それによって、ようやく五分五分なのです。勝てるかどうか、まったくわかりませぬ」
「わかりきったことではないか。戦さは時の運というぞ」
「普通の戦さなら、それでよろしいでしょう。しかし、此度の戦さで涼方と戦矛を交えるのは、郭図公則と燕の軍にございますが、大義名分において涼方と戦うのは、大漢にございます。この決戦に賭けられているのは、大漢の命運なのでございます。そのような重要な戦さを、五分五分の確率のままで行うなど、余りに危険にございます」
「危険とはいえ、それこそが戦さというものと思うが」
「確かに時には、乾坤一擲の大勝負が必要となることもございましょう。しかし、果たして今は、その時でございましょうや? 臣には、とてもそうとは思えませぬ。そもそも大漢の命運とは、軽々しく俎上に載せるべきものではございませぬ。もし負けたなら、高祖から陛下まで、二十八代に渡って続いてきた大漢の歴史は、その時点で潰えてしまうのでございますぞ」
「涼王との戦さを避けられる余地があるなら…………そして、涼王と和解がかなう余地があるのなら、卿の論法もわかる」
皇帝は顔を歪めた。
「だが、涼王が朕を許すことは、もはやあるまい。戦さは避けられぬのだ。戦うしかないのだ」
「陛下、お聞きください。先代宦玄が生前の折、臣に話してくれたことがございます。すなわち、計略とは裏から見ることをその始まりとする、と」
宦玄は熱っぽく──ただし、丁秦のように熱に浮かされることなく──説得を続けた。
涼王の視点でもって、涼をご覧下さいませ。中華を御覧下さいませ。そして、大漢を御覧下さいませ。確かに涼王は、一時の感情として、陛下に対するやんごとなき感慨を抱いたかもしれませぬ。なれど、一度落ち着いて情勢を見回すなら、一時の感情に従って大漢に仇なすことはありえないとわかりまする」
皇帝の姿勢が、かすかに前傾となった。
涼王の視点で物事を見る、という宦玄の論法は、皇帝の関心を引いたらしい。
わずかに伺えた皇帝の心の変化を、宦玄は見逃さなかった。
これを見落とすようでは、皇帝の世話係など務まらない。
「涼は今、涼王たちが永安義挙と称す挙兵以来の敵たる魏、呉と国境を接しております。さらに、司隷校尉の挙兵に呼応するかのように、長安、西涼、襄陽、成都などでも反涼の旗が翻っており、すなわち現在の涼王は、周り中が敵だらけ、という状況にあります。しかるに、ここで涼王にとっての裏切り者たる郭図公則を討つことはまだしも、怖れ多くも陛下にまで、そして朝廷にまで害を及ぼしたなら、涼は如何なりましょう。大漢の威光に触れ伏す者は、中華にはたくさんおります。もちろん、涼の中にも。外なる敵のみならず、内からも敵を増やしては、涼自体が立ち行かなくなるとは、涼王も解しておりましょう。御懸念には及びませぬ。陛下と涼王の和解が成る素地は、存在するのでございます」
涼王との和解が、成る。
それはまさしく、皇帝が強く望んでいることだった。
しかし、そう指摘されても、皇帝の顔に喜色は浮かばなかった。
「卿の論法で解釈するなら、内なる敵や外なる敵を排除した時、涼王はやはり、朕の廃位に至ると考えられるのではないか」
力なく皇帝は言った。
「そうなったなら、涼王との和解も一時のこと。今の朕を…………漢を巡る状況は、結局変わらぬ」
「少府なら、そう考えましょう」
宦玄は熱心に、かつ苛立ちを見せることもなく、言った。
「彼の仁は、大の涼王嫌いでございますから。なれど、陛下は如何でございましょうや?」
「朕が…………とは?」
「陛下は、涼王の叛意を確信しておられますでしょうや? 聡明なる陛下のこと、臣にはとてもそうとは思えませぬ」
「…………」
今度こそ皇帝は、黙りこんだ。
呂砲の、叛意。
冷静に振り返るなら、「そんなものはない」、あるいは「なかった」と皇帝も断言できる。
許田の巻狩りでの涼王とのやり取りを思い返してみればいい。
その功績に相応しい恩賞、何より、気持ちのこもった言葉。
あの男が欲しているのは、それだ。
そんな男が帝位を伺って「いた」とは、皇帝もまったく思っていない。
だが、今はどうなのだろう?
涼王は、自分に「裏切られた」と捉えているだろう。
その怒りが皇帝殺逆への思いとなり、転じて漢室消滅後の自らの帝位僭称への思いに至るとしても、なんら不思議はないではない。
「今のままでは、仰る通りでございましょう」
皇帝がそんな見立てを話すと、宦玄は頷いた。
だが、それは追認ではなかった。
「だからこそ、司隷校尉と少府を斬り、この両名を逆臣として世に宣し、涼王を忠臣として帝都に迎え入れるのです。さすれば、涼王のわだかまりと誤解は氷解します。そして涼王は、大漢中興の功臣として、陛下を支え続けることでしょう」
「なぜ、卿はそうも涼王の忠義を評価できるのか?」
宦玄の説明に引き込まれそうになりつつ、皇帝は尋ねた。
「卿は涼王と話をしたことでもあるのか? その根拠を聞きたいものだが」
「陛下の御宸襟を安んじることこそが、臣の務めにございます」
宦玄は、ニッコリと微笑んで見せた。
「その日その日の陛下の機微を察することができなければ、このような大任はとても果たせませぬ。許田の巻狩りにて、涼王は明らかに不敬と取れる言動に及びました。にもかかわらず、陛下がその日の夜、ご機嫌麗しくあられましたこと、臣はこの目で見ておりまする。それでもって、臣は察しましてございます。陛下は、涼王を御す方法を見出されたのであろう、と」
その瞬間、皇帝は立ち上がった。
目を見張り、面前に控えている宦官を見下す。
やがて、皇帝の目から涙がこぼれ始めた。
宦玄の指摘を、「自分の心情を見透かされた」と取るか、「自分の心情を理解してくれた」と取るかは、その者次第だろう。
ちなみに皇帝は、後者だった。
「卿は…………卿だけは!」
声を震わせながら、皇帝は声を上げた。
「朕の真意を察しておったか!」



自室に戻った宦玄は、天井を睨みつけながら、先ほどの皇帝とのやり取りを思い出していた。
皇帝が、宦玄の説得に大きく心を揺さぶられたことは、事実だった。
さすがに郭図公則と丁秦を斬るという決断に及ぶことはなかったが、それも宦玄にとっては想定内だった。
今日は、これぐらいでいい。
郭図公則と丁秦のやり方に皇帝が不満を持っていること、皇帝が涼王との和解を望んでいること。
この二点を確認できただけで、成果としては十分だ。
今後、自分が郭図公則と丁秦を陥穽にかけた時、皇帝は自分の後ろ盾となる道を選ぶだろう。
宦玄は、そう確信した。
確信できたなら、次の手に及ぶのにも躊躇はない。
次なる一手は、涼王への工作だ。
皇帝が涼王との和解を望んでいることを、あらかじめ、そして極秘裏に涼王に伝えておかなければならない。
戦局が我に不利になったところで郭図公則や丁秦の背後を討ったとしても、涼方はこれを苦し紛れの背撃としか見ない恐れがある。
それでは駄目なのだ。
帝都を制圧した涼王が、その件でもって漢朝廃絶を先延ばしにしたとしても、漢朝の地位が著しく低いものとなってしまうことは避けられない。
しかし、あらかじめこちらの姿勢を知らせておけたなら、涼方に親漢の志篤い希代之や町費もいることから、事情はかなり違ってくるだろう。
とにかく漢朝は、もう暫く、涼王にとって「大事な」存在でなければならない。
少なくとも、涼王が後宮を造るまでは。
さもないと、自分が朝廷からの出向という形で涼に移籍した時、漢朝の立場が低いものとなっていては、自分の地位も低いものとなってしまうではないか。
これまで散々下働きを続けてきた宦玄は、今さら最下層から昇進を目指すつもりはなかったし、果実もなるべく早く、収穫したかった。
果実。
涼王の側近宦官として、背後から権勢を操る、という果実だ。
漢朝凋落の様を内側から見続けてきた宦玄にとっては、漢朝も、そしてあの人の好い皇帝も、もはや踏み台でしかなかった。
そこまで思い至った宦玄は、筆と紙を用意すると、一気呵成に書き付けた。
書き上げた文章を数回読み返した宦玄は、自分に付いている下男を呼びつけた。
「街中に、民が落書きをする壁がいくつかあるだろう」
宦玄は、説明した。
「そこに、この文を一字一句違わず、書き写せ。最低でも10箇所。できれば20箇所だ。無論、実施は夜。官憲に気取られることだけは絶対ないよう、注意せよ」
下男に手渡した文には、こう書かれていた。
「白龍、はるばる関を越え、網を切る。ともに幸多からんや」




━━叛乱発生から五十七日、洛陽。宦玄邸

皇帝の傍に仕えることを職務とする宦官だが、無論、休日はある。
普段、皇帝の私室の隣りの部屋に控えている宦玄も、休日だけは自宅に帰ることができる。
夜更け、一人の若者が宦玄邸を尋ねてきたのは、件の書き付けを下男に命じてから、5日後。
その時宦玄は、自宅で書き物をしていた。
「知っての通り、私は今、お尋ね者なんだ。会いたいなら会いたいで、もう少し配慮してほしいものだね」
部屋に案内されてきた若者は、ブツブツ文句を言った。
その若者の名は、關龍白。
過日、涼王の帝都脱出に尽力し、司隷校尉府から指名手配中の男だ。


宦玄が街中の壁に書かせた「白龍、はるばる関を越え、網を切る。ともに幸多からんや」は、一種の暗号だった。
「白龍」と「関」は、關龍白の姓名を区切ったもの。
「網(あみ)」は「羅(あみ)」に、「切(せつ)」は「刹(せつ)」にそれぞれ繋がり、同じく羅刹の名前を区切ったものとなる。
(よろしい、關龍白)
宦玄は、居心地悪そうに席につく關龍白を見据えた。
卿は私の送った案内文を、正確に読み取った。
すなわち、我が策謀に加担するだけの力量はある、ということだ。
これから存分にこき使ってやるから、楽しみにしておきたまえ。
宦玄は、かつて同窓の徒として供に学問を学び、かつ互いの存在を忌み嫌っている關龍白に、ニッコリ微笑んで見せた。







>韓玄四代目殿
こちらより顔グラ選別よろしくお願いします。







207年5月現在(C)◆KOEiWSYs

                 北平
         
┏━┳━━━━━━
       
晋陽  ┃    ┃平原
         ┃
渤海━━┳━━┳━┓
西涼   上党┃     業β ┗┓┗北海
   
     ━━━━━━┓  ┃  ┃
   ┃ 弘農  ┃     
┃ ┃濮陽済南┃
西平┫ ━━洛陽 ┏┛ ━━┛  ┃
   
    ┃┗━┳━━┻━┓   ┃ =呂砲
天水┏ 
┃長安 ┗┓ ┃ 陳留   ┃ ┏━┛  @=第一軍(呂砲)
  ┃┗━
━┓ 宛┃@許昌  小沛    A=第二軍(吾玄)
  
  ┃ ┗━━┗━┓    ┃┗下丕β・ 
  
漢中┃    ┗━┓ ━━━┛ ┃   =曹操
武都┗━━━┓新野━┓ 礁  ┃   =孫策
    
┏┛ ┃  ┃   汝南┗┓   ┃   =郭図公則・袁譚
    
┃上庸┃  ┃襄陽    ┃  ┏広陵 =関羽
  
┛ ━━━┓  寿春    =馬騰
  
┃   ┃   ┃ ┃      ┃    =劉璋
  ┣━┓
 ┃永安┏┛┏江夏   ┏┛    
  ┃巴━┳━┫┗━┓A抹陵  
 
 ┃ ┃   ┃江陵┃柴桑┗廬江 ┃    
成都━┛ 武陵  ━━━┫ ┏━┛  
  ┣┓    ┣━   ━┛  ┏┛   
永昌┃  零陵 ┃長沙  翻陽   ┃    
  ┃建寧  ┗       会稽◆       
三江┛    桂陽                   



郭図公則の叛乱に関する時系列

「★」に続く赤文字は今回更新分の出来事
黒文字は洛陽関連、桃文字は第一軍関連
  緑文字は第二軍関連青文字は第三軍関連
  紫文字は魏関連、水色文字はその他
4月 皇帝が洛陽に帰還
叛乱
発生
初日
洛陽太守・郭図公則、呂砲に対し叛乱の兵を挙げる
糜統、呂砲を取り逃がす
潘璋、公孫讚を殺害
華キン、公孫師を捕縛
士炎、楽楊を取り逃がす
黄忠、町費を取り逃がす
糜統が偽の呂砲の首を用意
2日 郭図公則、皇帝に「呂砲殺害」と嘘の奏上
皇帝、中華各地に反涼の兵を挙げるよう促す勅を発す
町費、部隊の兵士の家に匿われる
呂砲の偽物の首が市場に晒される
關龍白、呂砲の生存を確信
楽楊が呂砲を匿う
3日 呂砲の「影武者」探しの名目で、捜索継続
4日 俸仕が許昌に逃げ帰り、希代之が郭図公則叛乱の報を入手
郭嘉配下の文官・翻武が郭図公則に通じていることを把握
郭図公則の使者が宛の馬超に挙兵を告げる
6日 郭図公則、呂砲を取り逃がしていたことを朝廷と洛陽軍幹部に告白
7日 関平隊、許昌から出撃。目的地は洛陽
曹操が郭図公則の叛乱を知る
宛に希代之の使者と勅使が訪れる
8日 成抗が新野で賈クと会談
10日 郭図公則、司隷校尉に昇進
12日 町費隊の将校およそ50人、公開処刑
蒼月、町費の配下となる
13日 成抗、馬超と会談
14日 関平隊、洛陽郊外に到着・滞陣
呉嬰、俸仕が洛陽に潜入
15日 関平と潘璋の会談
俸仕、洛陽軍に入隊願い
第三軍が叛乱を知る
曹操率いる汝南の魏軍が出撃。目的地は許昌
程cの細作が「汝南魏軍出撃準備」の報を宛にもたらす
程cの細作が「長安は洛陽政権に同調」の報を宛にもたらす
18日 呉嬰、司馬懿と再会
呂砲、呉嬰、司馬懿が会合
馬参、呂砲の後を継ぐことを決断
抹稜で吾玄隊と袁奉隊の兵士が衝突(抹稜騒乱)

袁奉が吾玄に対し自身の第二軍離脱を再度求める。吾玄、受諾
20日 上党で第三軍が燕軍に敗北
袁奉隊、抹陵から離脱
許昌に汝南の魏軍が襲来
21日 廖影、第三軍から離脱
俸仕、司隷校尉府付き兵士となる
22日 文醜率いる燕軍4万が洛陽に到着
伏幹、宛の馬超に許昌への援軍派遣を要請
馬超、許昌へ出撃
「襄陽の蔡瑁自立」の報が宛に届く
23日 廖影が郭図公則陣営に参陣
陳留と礁の魏軍が許昌に到着
洛陽南門郊外で戦闘勃発
俸仕、公孫師と出会う
監禁されていた町費隊1万4000による暴動
町費、洛陽脱出
関平、戦死
楽楊、死亡
呂砲と町費が合流

温寧が業βの放棄を提案
馬参と温寧が「一合戦」
24日 郭図公則、呂砲捕縛を断念
袁奉が盧江守備隊の呉班らを殺害
吾玄、郭図公則の叛乱を
知る
第三軍が業βを放棄
26日 馬忠が袁奉と呉懿の戦闘に遭遇
27日 馬超隊、許昌に到着
28日 馬忠が袁奉と呉懿の戦闘を吾玄に報告
30日 吾玄隊、抹陵を出撃。目的地は廬江
袁奉、呉懿も殺害
31日 袁奉、停戦の使者だった参露を地下牢に幽閉
33日 第三軍が陳留を突破して許昌に到着
呂砲、許昌に帰還

許昌攻撃中の魏軍が撤退
陸遜隊兵士・茸松、「宝の山」が「禿げ山」と化したことを知る
34日 吾玄隊、廬江に到着
蔡瑚、第二軍混乱に関するすべての罪を被って自刎
成抗、西涼に帰還。馬騰が挙兵
36日 蒼月、新野の状況を探る
38日 朔夜、成都太守府より馬を大量受注
39日 張合β、陳留陥落を把握
40日 長安の使者・楊修が馬騰に同盟を持ちかける
許昌で軍の再編が本格化
43日 吾玄と袁奉、抹陵に帰還
45日 帝都奪還軍の陣容が決まる
馬超、琉蹴に洛陽奪還軍への編入を告げる

抹陵に夏侯惇と孫策が相次いで布陣
47日 茸松、親衛隊参軍となる
48日 参露、襄陽にて関羽と対面。劉進に殴られる
馬超率いる長安方面軍が許昌を出撃
49日 西涼に鮮卑族の軍勢が侵入
51日 波羽於莉が茸松、町費と商談
52日 朔夜が漢中に到着
楊丙と馬鉄が大喧嘩
★宦玄が皇帝の真意を確認
53日 蒼月が町費に荊州の状況を伝える
新野の状況に付いて、町費と希代之が意見交換
朔夜が五斗米道教祖・張富と会談
54日 錘柄率いる撹乱隊が孫呉軍に夜襲
夏侯惇と黄蓋が鯨飲
55日 吾玄が孫策に内通していた呂蒙と宋謙を殺す
魏軍と呉軍が抹陵城攻撃を開始
56日 魏呉軍の抹陵城夜襲、失敗
吾玄、魯粛を処刑
57日 ★宦玄と關龍白が会談
58日 魯粛の葬儀が執り行われる
59日 魯真衣、抹陵から離れる
参露、抹陵に帰還
60日 馬騰軍が西平攻略を開始
呉軍の増援部隊を魏延が撃破
孫策が抹陵から撤退

寿春の満寵率いる魏軍が抹陵に到着
61日 涼魏和約の知らせが曹操から夏侯惇に届く
袁奉が魏軍への夜襲を実施。戦死
夏侯惇、抹陵から撤退
68日 馬騰軍が西平を制圧
成抗、「涼軍が長安に向け出撃」の報を受ける





郭図公則

宦 玄

丁 秦

關龍白

  

       

孤立無援(その七)       野望乱立(その二)

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