波紋〜その一〜
━━翻陽。酒楼
袁奉隊の兵士が、酒を舐めながら語っている。
「陛下から甲冑を賜るとは……よくやったものよ」
「しかし、納得できんな。七同志の中で殿の戦功は、馬参将軍に次ぐ第二位。軍師殿や廖衛将軍、それに同じ三品官の町費将軍よりも上なんだぞ」
「仕方あるまい。それが第一軍武将としての恩恵ということだ」
「おまえ、それでいいのか? 吾玄将軍の要請がなかったなら、殿は第一軍に所属したままだった。陛下から甲冑をいただけたはずなのだぞ」
「言っても詮無きことだ。第二軍武将として目覚しい働きを続けていれば、いずれ殿や我らにもいい目が来るさ」
そのやり取りを隣りの卓で聞いていた男がいる。
商人風のその男は、スッと立ち上がると、別の卓を囲んでいる兵たちのもとへ近寄っていった。
「兄さんたち。ちょっと耳寄りな話を仕入れたんだが、同席していいかい?」
商人風の男が声をかけたのは、吾玄隊の兵たちだった。
兵A「あん? なんだい?」
兵B「楽しく酒が飲めるような話なら歓迎するぜ」
兵C「話せー飲めー!」
「吾玄将軍が袁奉将軍を招聘したりしなければ、袁奉将軍も恩寵の甲冑をもらえたのに、ってさ」
商人風の男は、たった今耳にした袁奉隊兵士の愚痴を、尾鰭をつけて耳打ちした。
「それと袁奉将軍は三品官で、吾玄将軍は四品官だろ。副将の立場に甘んじてはいるが、本当は袁奉将軍の方が格上なんだ、とか言ってたぜ」
兵士たちの反応は、微笑ましいほど素直なものだった。
兵A「副将風情が殿より格上だとー!」
兵B「ふてえやろうだ! 締めてやる!」
兵C「喧嘩だー喧嘩だー!」
「水軍大都督をなめんじゃねーぞ!」と袁奉隊兵士。
「うるせー! こちとら揚州三軍司令様でい!」と吾玄隊兵士。
大乱闘となった酒楼を、人知れず後にする商人風の男。
吾玄と袁奉の離間を果たすべく、郭図公則が派遣した細作だった。
━━翻陽。第二軍本営
吾玄隊と袁奉隊の兵たちの喧嘩は、双方のストレス発散と、店内を壊された店主の悲嘆で幕を閉じた。
「まったく、今は共通の敵に向かって協調し合っていくべき時であるのに……」
苦虫を潰したような袁奉に対し、吾玄は笑ってみせる。
「連中にしてみれば、ちょっとした息抜きみたいなものなんだろう。私の兵など、実にふざけたことを言っていたぞ」
「ふざけたこと?」
「戦さに備え、個人技の練習を袁奉隊の連中とやっていました、だと」
吾玄の言葉に、袁奉は思わず吹き出した。
「処分はどうする? 軍団長たるおぬしが処理すべき問題だが?」
「二、三日営倉に叩き込んでおけばよかろう」
「うん。それが妥当だな」
つきあいの長い武将の、くだけた会話。
事情を知らぬ者にはそう見える。
実際、袁奉はそのつもりだった。
酒を通じてのイザコザなど、兵の間では日常茶飯事だし、たいした怪我人もなし。深刻になる必要もなかった。
もっとも、もし死人でも出ていたら、かなり面倒な事態になっていただろう。
軍団長たる吾玄には、軍令違反者を死刑にできる「仮節」の権が与えられている。
仮に吾玄隊の兵が死亡し、その咎で袁奉隊の兵が死刑となったら。
いや、たとえ逆のパターンであっても、相当な禍根となっていたはずだ。
とにかく今の袁奉は、そんな事態にならなかったことに安堵していた。
一方の吾玄は、笑顔の下の葛藤を懸命に隠している。
今、自分の目の前で笑っている戦友が、自分の地位を狙っている。
そんな情報や噂が、様々な形で吾玄の耳に入ってくるようになって一月余り。
最初は一笑に付していても、繰り返し聞かされれば、やがて疑念を抱くようになる。
それは善悪の問題ではなく、人間なら誰もが持つ弱さであり、そして吾玄は人間だった。
一月余りという時間は、「そんな馬鹿な」が「まさか」へ、そして「まさか」が「あるいは」へと変わっていくのに、短すぎるというものでもない。
「……あえずは一安心だな」
上の空になりかけていた吾玄は、袁奉の言葉を聞き逃した。
「ん? すまん、何だって?」
慌てて問い直す吾玄だったが、袁奉は特に気分を害した風もなく、繰り返した。
「殿下の漢朝復興宣言だ。これで一安心だと思わんか。漢にとっても。そして涼にとっても」
「ああ、そのことか」
その話について、吾玄はあまり関心がなかった。
「私の望みは中華の安寧のみ。それ以上でもそれ以下でもない。この世から戦さがなくなりさえすれば、天が蒼色だろうが黄色だろうが構わんよ」
「まったく、おぬしも変わったな」
袁奉は笑った。
「殿下の元へ馳せ参じるよう、わしをけしかけた頃のおぬしは、武で天下に名を轟かすと息巻いておったが……今では戦さを無くすために、戦さに励む武将だ」
「戦さで苦しむのは、弱い民百姓だ。平和な益州にいたころは、考えもしなかったが」
「民の間では評判になっているぞ。『戦さ嫌いの軍団長様』とな」
そう言って、袁奉は再び笑った。
一方の吾玄は、袁奉の口から出た「軍団長」という単語のせいで、作り笑いを浮かべることしかできなかった。
翻陽とともに東呉と国境を接している、涼領・江夏。
ここから第二軍本営に急使がもたらされたのは、吾玄と袁奉が語らった数日後のことだった。
送り主は、江夏太守の呉巨。
書状を読む吾玄の手は、やがてブルブルと振るえ始めた。
控えている袁奉や軍師の黄権、張任ら、第二軍武将が見つめる中、吾玄は堪えきれなくなったように声を張り上げた。
「な……なんだ、これは! どういうことだ! 呉巨は一体何を考えている!」
吾玄は完全に我を失っていた。
書状を床に叩き付け、呉巨の使者を思い切り蹴飛ばすと、そのまま本営から飛び出していく。
袁奉らが制止する暇もなかった。
突然の成り行きに、しばし呆然としていた第二軍武将。
誰も声すら出せぬ中、袁奉が書状を拾い上げた。
いぶかしみながら、サッと斜め読みで目を通す。
概略はすぐにわかったが、呉巨が何を考えているのかということは、吾玄同様、袁奉にもわからなかった。
孫賊を廬江より駆逐すべく、江夏軍は精鋭8万をもって進軍する
ついては戦勝を涼王殿下に捧げるべく、第二軍団長殿に増援軍の派遣を請う
書状には、江夏軍の出撃日も書いてある。
今日から三日前の日付け。
江夏軍は、今から伝令を送っても間に合わない地点まで進軍しているはずだった。
「援軍は出さぬ!」
黄権になだめられて本営に戻ってきた吾玄だったが、怒りは収まっていなかった。
「孫呉征伐は、殿下が我が第二軍にお下しになられた任務だぞ! 江夏軍は討って出ることを禁じられた守備隊ではないか! 巧妙欲しさに勝手に軍を動かす輩に、増援など送れるか!」
「そうは申されても、友軍には違いありません」
若干青褪めた顔ながら、黄権は吾玄を説得する。
「書状には精鋭8万とありますが、実際江夏には、4万程度の兵しかいないはずです。単独で廬江に攻め入れば、確実に呉軍に撃退されます」
「知ったことか!」
吾玄は本気で言っていた。
吾玄がこれほど怒るのも、当然のことだった。
涼の攻略戦は、軍団――許昌の第一軍、上党の第三軍、そして翻陽の第二軍――が実施する。
言い方を変えれば、この三個軍団以外に攻略戦の実施は許されておらず、七同志である郭図公則が太守の洛陽ですら、侵攻を受けての防衛戦しかできないのだ。
江夏軍の侵攻は、単なる軍令違反に留まるものではなかった。
揚州方面司令官たる吾玄に、何の事前協議もないままの進軍であり、それはすなわち、吾玄の面目を完全に潰す行為にほかならない。
そして、呉巨は確信犯だった。
呉巨が出陣したのは、増援を求める使者が翻陽に到着する三日前。
吾玄が進軍中止の伝令ではなく、増援を出さざるを得ない状況を作るという、明白な意図に基づくものだった。
以上だけでも、吾玄が呉巨を憎む理由としては十分だったが、さらにもう一つ、吾玄が呉巨を許せない理由があった。個人的な問題ではあったが。
吾玄は呉を憎んでいる。戦さを憎む以上に。
呉領全てを蹂躪すると誓った吾玄にとって、呉巨の突出は到底許せるものではなかった。
首を縦に振らない吾玄に対し、袁奉も説得にかかった。
「ここは援軍を出さざるを得まい」
吾玄は、キッと袁奉を睨み付けた。
その目は、「黄権のみならず、おぬしまで言うのか」と、袁奉を激しくなじっている。
「江夏軍がやられれば、呉を勢い付かせることになる。そしてそれは」
袁奉は注意深く言葉を選びながら、語り続けた。
「江夏軍の消耗と、呉軍の江夏への逆侵攻にもつながり得る。そうなれば収拾がつかんぞ。我が第二軍も、抹陵攻めどころではなくなる」
だが、吾玄は袁奉の説得に感銘した様子はまったく見せなかった。
「呉の心臓は抹陵だ!」
吾玄は卓を叩いて怒鳴った。
「抹陵さえ陥とせば、支軍など脅威ではない! 勝手に立ち枯れるわ!」
「そうはいかんだろう」
辛抱強く、袁奉は状況を説く。
「荊州には、ほとんど兵がいないではないか」
先の翻陽の戦役で大損害を受けた第二軍は、荊州の各都市から兵を集め、なんとか軍の再編に成功した。
ただその結果として、荊州の各都市は、刈り取り放題の草場となっている。
感情に訴えることなく、袁奉はあくまでも現実的視点から吾玄を説得した。
「江夏を抜かれれば、呉軍は好き勝手に荊州を蹂躪するだろう。そのまま襄陽当たりに拠点を移すことだってあり得る。そうなれば、揚州を制圧したところで、意味はなくなるぞ」
「そうなったなら、それは呉巨の責任だ。自分の尻拭いは自分でやれと言ってやる!」
「四則殿。おぬしは対孫呉の司令官ではないか。江夏もまた、おぬしの管轄だぞ」
「おう、そうだとも! 私の管轄だ! つまり、呉巨は私の部下ということだ! にもかかわらず、私に一言の相談もなく、勝手に軍を動かした! あんなやつなど知ったことか!」
援軍を出すべきだ。いや、出さぬ。
議論には、張任や厳顔ら他の武将も加わった。
「増援軍を出すべきと存ずる」
そう主張したのは、第二軍武将の中でもっとも規律の遵守を尊ぶ男、張任。
「呉巨の勝手な進軍は、確かに厳罰に処すべき問題だ。しかし」
増援軍の派遣は、それとは次元の異なる問題。そう張任は強調した。
「抹陵攻めは目前なのだぞ」
派遣に反対するのは、老将・厳顔。
「第二軍には、呉の拠点を攻め落とすという極めて重要な任務がある。ようやく再編した兵を、廬江ごとき痩せた都市ひとつのために損なうわけにはいかん」
「しかし御老人」
「わしを年寄り呼ばわりするな!」
「申し訳ござらん。しかし厳顔殿、もし江夏軍が敗れ、調子に乗った孫呉が荊州に乗り込んだら、それこそ目も当てられませんぞ」
「呉巨とて、その程度のことはわかっていよう。にもかかわらず軍を動かした。それなりの勝算があるということだ」
「勝算と厳顔殿はおっしゃるが、呉巨はまさしく、翻陽からの増援を勝算に含めて出兵しているのですぞ」
「それはおぬしの推測だろう」
「呉巨は使者がここに到着する日にちを逆算して、軍を出している。それが何よりの証左でしょう」
「証左なものか。そういうのを推測というのだ」
「廬江がどれだけの兵を有しているかご存知か? 6万ですぞ。それに抹陵からの援軍もあるでしょう。4万の江夏軍だけで勝てるわけがない」
「何か策があるのだ。そこまで呉巨も愚か者ではあるまい」
「だから! 第二軍の増援こそが、呉巨の策だということがおわかりになりませんか!」
増援軍を出すのなら、一刻も早く動くべきだった。
さもないと、劣勢の江夏軍は簡単に撃破され、遅れた増援軍も各個攻撃の憂き目に遭う。
だが、結論はなかなか出なかった。
増援の可否について、第二軍は完全に分列していた。
出兵派:袁奉、黄権、張任、呉懿、呉蘭
非出兵派:吾玄、厳顔、雷銅、孟達
議論は加熱していく。
最初から頭に血が上っていた吾玄は、さらに熱くなった。
そして、何とか理詰めで話を進めようとしていた袁奉もまた、熱くなっていった。
「話にならん!」
堂々巡りも三巡目となったところで、とうとう袁奉が切れた。
「四則殿は戦略というものをまったく解しておらぬ!」
「おう、よく言った!」
怒り狂った目をさらに釣り上げ、吾玄は憤然と立ち上がった。
「そんなに呉巨が心配なら、勝手に増援でもなんでもすればよい!」
袁奉も立ち上がった。
卓を挟んで、二人は激しい言葉をぶつけ合う。
「話を摩り替えるな! 誰が呉巨の身など案じるか! わしが心配しているのは、江夏軍の敗北と、その後に起こる揚・荊州の混乱だ!」
「何度言えばわかる! そうなったら呉巨に責任を取らせると言っている!」
「呉巨などの首を切っても、混乱は収まらん!」
「誰が切ると言った! やつに火消しをさせると言っているのだ!」
「やつにさようなことができるものか!」
「できるという自信があるからこそ、勝手に軍を動かしたのだろうよ! お手並み拝見、それで良い!」
「もし荊州を呉軍に蹂躪されたら、殿下に何と申し開きするつもりだ! 責めはおぬしにふりかかるのだぞ!」
「どうしてわしの責任になる! すべての責は呉巨にある! 明白ではないか!」
「おぬしは対呉方面の司令官ではないか! 軍団長ではないか! なぜそんな無責任なことが言えるのだ!」
「軍団……長……だと?」
吾玄がここまで感情を爆発させたのは、斐妹の死以来のことだった。
そして、袁奉が口にしたその単語は、昂ぶっていた吾玄の精神を、強く、激しく刺激した。
「軍団……長……だと?」
吾玄は繰り返した。
「自分が軍団長なら、すぐにでも増援を出す、というわけだな」
熱くなり切っているはずの吾玄だったが、その口調は急に低くなった。
不気味な豹変振りに、袁奉も他の武将たちも、一様に動きを停止させた。
「おぬしに何がわかるものか」
吾玄の目に浮かんでいるのは、怒り。
そして、これから大切なものを失おうとしている、そのことへの哀しみ。
吾玄はわかっていた。
これを口にしたらおしまいだ、と。
だが、もはや引っ込めることができないということも、吾玄は知っていた。
「軍団長という地位には、責任と重圧が伴うのだぞ………軍団長なりたさに、コソコソ動いているだけのおぬしに、何がわかるものか」
むしろつぶやくような声だった。
しかし、場は凍り付いた。
袁奉は最初、吾玄の言葉の意味がわからなかった。
軍団長なりたさに、コソコソ動いている?
何のことだ?
吾玄は何を言っているのだ?
不意に、以前水兵隊長が自分に告げた、「悪い噂」のことを思い出した。
吾玄の言葉の意味に気付いた袁奉は、全身の毛が逆立った。
ち、違う! 誤解だ!
そう言いたかったし、言おうとした。
しかし、吾玄が言葉を発する方が早かった。
「第二軍は私の軍だ。そんなに軍団長になりたいのなら、上党へ行け」
袁奉を見すえる吾玄の目は、古くからの戦友を見るそれではなかった。
「私はコソコソ謀事を巡らす輩は好きではないが、同郷の誼もある。投票については、考えてやってもよい」
絆が切れた瞬間だった。
最初は、取るに足らないすれ違い。
だが、「悪い噂」は徐々に吾玄を虫食んでいた。
そんな折りに起こった呉巨の暴走は、吾玄の面子を完全に潰し、同時に我を忘れるほどの怒りをもたらした。
不幸なことに吾玄の怒りは、正論であるはずの袁奉の意見をはねつけるほど強く、激しかった。
そして、袁奉の口から出てきた「軍団長」という単語。
単なる話の流れから出たに過ぎない単語だったが、それを聞き流すには、この時の吾玄の心は、余りにも昂ぶり過ぎていた。
外へ向かって歩き出す吾玄。
雷銅らが慌てて道を開ける。
背中に、男たちの視線を感じる。
その視線の中に、袁奉のそれはあるのだろうか?
袁奉は、今、自分の背中を見ているのだろうか?
(到越殿!)
吾玄は心の中で叫ぶ。
(私を呼び止めてくれ! 今すぐ!)
そうすれば、すぐに謝る。必ずそうする。
吾玄とて、自分が謝るべきだということは、十分に承知していた。
だが、吾玄は歩き出してしまっていた。
意地が邪魔をして、どうしても自分から立ち止まることができなかった。
意地もプライドも捨てなければならない時。人間にはそういう時が必ずある。
今がまさにそうだった。
だが、それを実行するには、吾玄は若すぎた。
自分が袁奉より年下であるが故の、甘えもあったのかもしれない。
(早く!……到越殿、早く!)
駄々をこねる子供のように、吾玄は叫んでいる。
ただし、心の中で。
軍議の間の出口に差し掛かったが、袁奉の声はない。
吾玄は軍議の間から退出した。
歩く。ことさらゆっくりと。
だが、背後から彼を呼び止める声は、ついになかった。
軍師・黄権の「自分が責任を負う」という言葉で、増援軍を廬江へ送ることが決定された。
軍を構成するのは、袁奉、張任、呉懿、呉蘭の四将。
増援に反対した厳顔、孟達、雷銅は、出撃を拒否した。
大急ぎで部隊の編制が行われたが、兵の招集、武具の用意、兵糧の調達など、すぐに終わるものではない。
「最低限で良い。不完全でもかまわん」
そんな指示の元での突貫作業が完了したのは、派遣が決定してから2日後のこと。
驚異的な早さではあったが、袁奉らにとっては身悶えするような2日間だった。
「とにかく、急いでいただきたい」
出撃準備なった袁奉らに対し、黄権は真剣な表情で告げた。
「兵糧の不足分は、必ず私が何とかする」
返事をする時間も惜しく、袁奉は「頼みます」とだけ答えた。
増援軍の派遣を黙認する形となっていた吾玄が、慌ただしく出撃する袁奉らを見送ることはなかった。
@呂砲プレー中
ゲゲ! 江夏の軍が勝手に廬江に侵攻しやがった!
翻陽から増援が出てる!
負けて吾玄やら袁奉やらが孫策配下になったら、シャレになんねー。
そういや江夏は、襄陽のCPUが勝手に攻めたところだったな。
クソ、太守は誰だ?
……おお、勝ったか。良かった。非常に良かった。
ハッ!
………コレッテネタニツカエマセンカ?!(∀)
━━廬江。城内
捕虜を検分する天幕で、袁奉らは呉巨と対面した。
「おお、袁奉殿!」
満面の笑みを浮かべて、呉巨が近寄ってくる。
「さすがは精鋭揃いの第二軍ですな! この呉巨、貴殿らの御助力は………」
江夏軍の兵たちがいた。
捕虜となった呉軍の将たちもいた。
だが、知ったことではなかった。
何も言わずに袁奉は、呉巨の顔面に己の拳をめり込ませた。
【登用武将】賈華、張紘
━━翻陽
帰陣した袁奉ら廬江増援軍を、翻陽に残っていた兵たちが出迎えた。
少なからず問題の残る出兵ではあったが、「凱旋」といっても間違いではない。
にもかかわらず、迎える兵たちから、歓喜の声は上がらなかった。
「生きて帰ってきたか。良かった良かった」
顔なじみの兵が、そう語り掛ける程度であり、しかもそれすら、周囲を憚るような小声で交わされていた。
袁奉隊が吾玄隊の前を通り過ぎた時、「静かな凱旋」は破られた。
「なんでえ、おまえら帰ってきたのかよ!」
いきなり上がったヤジに、誰もがビクリと肩を揺らせた。
「廬江で第四軍を編成するんじゃなかったのかい!」
袁奉隊の間から、殺気が沸き上がった。
普段冷静な水兵隊長ですら、馬首をヤジの方向に向けようとしている。
「やめんか!」
袁奉の一喝で、踏み込む寸前だった兵の足が止まった。
ほんの少しでもタイミングが遅れていれば、そのまま切り込んでいたのは間違いなかった。
吾玄隊の兵たちは、逆にこれで勢いづいた。
軍団長でない袁奉に、兵を切る権利「節」はない。
逆に袁奉が吾玄隊の兵を切れば、吾玄によって処罰される。
それを心得ているのか、ヤジはいっそう大きくなった。
袁奉隊を中心とする廬江増援軍の兵たちは、歯を食いしばりながら、「凱旋行進」を続けるしかなかった。
第二軍団長・吾玄。
そして第二軍副将・袁奉。
車の両輪たる二人の確執は、既に全軍の知るところとなっている。
そして、廬江への増援を支持した者と、必要なしと反対した者の間にも、溝が生じていることも。
ささやかな噂として流れていた第二軍内の不和は、単なる噂から事実へと変貌を遂げた。
━━翻陽。第二軍本営
厳顔も、孟達も、雷銅も、そして吾玄も、そこにはいなかった。
戻ってきた袁奉らを迎えたのは、軍師の黄権ただ一人。
「廬江増援の任、無事完了とのこと。本当にお疲れ様でした」
黄権の顔は、大きくやつれていた。
不足していた兵糧の手配は、決して簡単なものではなかったはずだ。
食糧庫に貯えられている膨大な兵糧は、すべて抹陵攻略戦のためのもの。
廬江への転用など、吾玄が許すわけもなかった。
黄権の苦労は、兵糧の調達だけではなかった。
袁奉らが廬江で戦っている間、吾玄と袁奉の確執を除くべく、懸命に奔走していたのだ。
ただ、その結果については、黄権の顔を見れば誰にでもわかる。
「軍師殿」
それでも一縷の望みをもって、袁奉は問い掛けた。
「その後、軍内の状況は?」
黄権は目を伏せた。
そして、ゆっくり首を横に振った。
「どういうことだ!」
とうとう呉蘭が怒りを爆発させた。
「我らは友軍の増援として出陣したのだぞ! そして、その任を見事に果たした!……なのになぜ、このような仕打ちを受けねばならんのだ!」
「蘭、言うな」
呉懿が甥を制する。
その顔には、疲労感と徒労感がない交ぜになっている。
呉蘭は乱暴に椅子に腰を下ろしたが、何も言い返さなかった。
全員がグッタリと椅子に座ったところで、黄権が口を開いた。
「貴殿らが廬江で戦っている間、抹陵で動きがありました」
「なに?」
疲れていたが、黄権から告げられた「抹陵」という地名に、袁奉らはすぐに反応した。
「広陵の魏軍が抹陵に侵攻したのです」
黄権の表情は硬い。
「孫策は呉に退却しております。なお、魏領・抹陵太守は、夏侯惇です」
━━翻陽。吾玄邸
自室の揚州地図を見下ろしながら、吾玄は眉間にしわを寄せている。
広陵魏軍の抹陵侵攻。そして制圧。
正直なところ、想定外の状況だった。
孫策にしてみれば、悪夢以外の何物でもなかっただろう。
二つの領有都市に、ほとんど同時に涼と魏が攻め込んできたのだから。
これにより孫策は、呉と会稽という小都市に閉じ込められる形となった。
「小覇王」と称された孫策の命運は、この時点で実質的に潰えている。
しかし、今の状況は、吾玄にとって喜ばしいものではなかった。
これまで韓や呉と戦いを繰り広げてきた第二軍は、魏と対峙するのはこれが初めてとなる。
いずれ魏と戦端を開くことはわかりきっていたから、それ自体に懸念はないが、吾玄が憂いているのは、孫策を呉と会稽に閉じ込め、蓋をしているのが、自分ではなく夏侯惇である、ということ。
今の孫策を壊滅させるなど、魏にしてみれば、鼻歌交じりでできる任務に違いない。
(すぐに抹陵攻略に出るしかないな)
地図を睨み、吾玄はそう心中でつぶやく。
孫策は、自分の手で斬る。
そう誓う吾玄にとって、抹陵はすぐにでも魏から奪い取るべき都市だった。
黙思を続けている吾玄に、家令が遠慮がちに話しかけてきた。
「庭に投げ込まれておりました」
そう言って家令が手渡した封書は、吾玄宛となっている。
差出人の名は、ない。
第二軍副将袁奉、廬江解放後、増援軍諸将と歓談
曰く、第四軍設立の折りは、貴公らを我が幕僚に迎えん、と
諸将ら答えて曰く、第二軍団長にふさわしきは、一人袁将軍なり、と
吾玄は黙って書状を読み返した。
この時、吾玄が考えていたのは、どのようにして袁奉との関係を修復するか、ということではなかった。
第二軍が分裂した状況下で、どのようにして夏侯惇を打ち破るか。
存念はそれだった。
━━翻陽。袁奉邸
「さすがに今回はくたびれたな」
自邸に戻った袁奉は、最後まで控えていた水兵隊長に笑いかけた。
「呉巨のやつもこれで懲りただろう。部下や捕虜の前で殴られたのだからな」
水兵隊長は笑みを返さなかったが、かまわず袁奉は、陽気に振る舞い続ける。
「おかげでわしも気が晴れたわ……うん、スーッとした」
余りにも痛々しい袁奉の独り言だった。
追笑することなく表情を消していた水兵隊長は、ここで意を決したように告げた。
「殿……ここは我らが居るべき場所ではない、と存じます」
今日は耐えた兵たちも、明日はどうなるかわからない。
もし再び騒動が起こったなら、今度は酒楼の喧嘩程度では済むまい。
ここで切り上げるべきだった。最悪の事態―涼軍の同士討ち―となる前に。
「第一軍へ帰りましょう」
水兵隊長の声は、なだめるようなものになっている。
袁奉は、水兵隊長の意見に直接答えることはしなかった。
「夏侯惇が抹陵を制圧した」
「存じております」
はぐらかされているような気もしたが、水兵隊長の応答は静かだった。
ただでさえ袁奉は、深い心労を抱えている。きつく問い詰めることなど、できなかった。
「理由は知らぬが、四則殿は孫策を憎んでいる。尋常でないほどにな。だがこのままでは、孫策の首を夏侯惇に取られるから……近日中に抹陵攻めが発動されるだろう」
「廬江への増援部隊は、今日戻ったばかりですが?」
「それでも、やる。四則殿ならな」
袁奉は断言した。吾玄の性格は知り尽くしている。
「とりあえず抹陵を陥とすまでは、第二軍の副将として戦おう。わしの身の振り方を決めるのは、それからでもよい」
差出人不明の投げ込み文は、袁奉邸にも届いていた。
勝手に廬江へ向かった袁奉らを、吾玄が強く批判している、という内容だった。
袁奉は乾いた笑いを浮かべた。
どうにでもなれ。
そんな気分になっている。
━━翻陽。宿屋
商人風の男が、筆を走らせている。
送り先は、洛陽。
内容は、呉巨の突出に端を発した第二軍の確執。
書いているこの男は、言うまでもなく、郭図公則配下の草。
呉巨の廬江攻略は、予測通り吾玄の自尊心をズタズタに切り裂いた。
これで第二軍内に何らかの亀裂が生じるだろう、とは考えていたが、あそこまで確執が深まるとは予想外だった。
吾玄派と袁奉派に分裂している今の第二軍は、いつ同士討ちが起こってもおかしくない状況となっている。
今日、吾玄邸と袁奉邸に投げ込んだ書状は、二人の亀裂をさらに深くしていることだろう。
(それにしても、ここまで事が大きくなるとはな)
自分の蒔いた種が、予期せぬほどの影響をもたらしていることに、草は愕然としていた。
郭図公則配下の名目で呉巨に面会し、廬江侵攻をそそのかしたのは、ほかならぬこの男だった。
(だが……)
計が成功した喜びよりも、釈然としない気持ちの方が先に立つ。
(俺はいったい、何をしているのだ?)
第二軍を混乱させよ。手段は不問。
細作頭から受けた命令はこれだけであり、その目的については、一切知らされていない。
友軍相手にこのような陰湿な計を仕掛けるなど、的外れも甚だしいとしか思えなかった。
自分は確かに、洛陽太守・郭図公則配下の細作だ。
だが同時に、涼の録を食む者でもある。
上司の命令が絶対であることは承知しているが、自分がやっていることは、涼にしてみれば明らかに利敵行為だった。
(俺はいったい、何をしているのだ?)
もう一度、同じ思考が頭をよぎる。
しかし、答えは出てこなかった。
206年7月(C)◆KOEiWSYs
| 薊 北平 ┏━▼┳━━━━▼━━▼遼東 晋陽▼ ┃ ┃平原 ┃渤海●━━┳━●━┳━┓ 西涼★┓ 上党┃ ┃業β・ ┗┓┗━●北海 ┃ B━━━━━●━┓ ┃ ┃ ┃ 弘農 ┃ ┃ ┃濮陽●済南┃ 西平★┫ ┏★━━★┓洛陽 ┏┛ ●━━┛ ┃ ┃ ┃ ┃┗━┳━●━━┻━┓ ┃ ★=呂砲 天水┏★ ┃長安 ┗┓ ┃ 陳留 ┃ ┏━┛ @=第一軍(呂砲) ┃┗━★━┓ 宛┃┏@許昌 小沛●┓┃ A=第二軍(吾玄) ┃ ┃ ┗━━★┛┗━┓ ┃┗●下丕β・B=第三軍(馬参) ★漢中┃ ┗━┓ ┣━━━●┛ ┃ ●=曹操 武都┗━━★━┓新野★━┻━●━┓ 礁 ┃ ◆=孫策 ┏┛ ┃ ┃ 汝南┗┓ ┃ ▼=袁紹 ┃上庸┃ ┃襄陽 ┃ ┏━●広陵 倍★┛ ┏★━━★━┓ 寿春●━┛┏┛ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━┓ ┃永安┏┛┏★江夏 ┏┛ ┏┛ ┃巴★━★━┳★━┫┗━┓┏┻━━●┓抹陵 ┃ ┃ ┃江陵┃柴桑┗★廬江 ┃┃ 成都★━┛ 武陵★ ★━━━┫ ┏━┛┗◆呉 ┣┓ ┣━★┛ A━┛ ┏┛ 永昌★┃ 零陵★ ┃長沙 翻陽 ┃ ┃★建寧 ┗★┛ 会稽◆ 三江★┛ 桂陽 ・ |