家の掃除をしていたところ、管理人が新聞記者時代に書いた記事をまとめたスクラップが出てきました。
その数、10冊以上。
5年間の新聞時代を思い出しつつ、掃除も忘れて読み耽っていましたが、その際に見つけたのが、以下の特集記事です。
読んでみると、自分で言うのも何だがけっこう面白いので、HPに掲載してみよーかな、と。
でも著作権はどうなのよ、とも思ったが、当時の上司から「著作権? んなもん倒産で消滅しとる。でもHPに掲載するなら、出所ってことで社名は出せよ」とのお言葉をもらったので、UPすることにしました。
以下、当時管理人が勤務していた鹿児島新報の紙面より、記述には一切手をつけず掲載いたします(ただし、人物名は全て伏せています)。
写真は接写したものなので、画質が良くありません。
本当は100枚以上の写真を撮っていたのだが、会社倒産のゴタゴタですべて紛失してしまった。
惜しいことをした。










鯨は海へかえった










@「漂着」



1月22日、大浦町小湊干拓に14頭のマッコウクジラが漂着した。
生存クジラの救出、死亡クジラの処理など、ほとんどの人々にとって初体験となる作業は、悪天候で何度も手順変更を余儀なくされ、すべての作業完了に11日間を要した。
クジラ漂着という“自然災害”に対し、法整備・支援体制がともに十分でないことも、一連の作業に時間がかかった理由のひとつとなった。
専門家は今回の漂着騒動を「決して対岸の火事ではない。全ての沿海自治体で起こりうる出来事」と指摘する。
11日間に及ぶクジラ漂着騒動を振り返る。





通行人が波打ち際にのた打つクジラを発見したのは、1月22日午前8時過ぎのこと。
場所は「加世田市小湊海岸」と通報された。
加世田市はすぐさま現場へ職員を派遣、ヘリを飛ばして状況を確認した。
しかしほどなく、漂着現場は加世田市ではなく、大浦町であることが明らかになる。
海岸線には両市町の境界を示すポールが立っているが、そこからほんの数メートル大浦町へ寄ったところに、もっとも北寄りに位置するクジラの頭があった。
町政施行から50年、人口3000人弱の小さな町は、町内誰一人として経験したことのない難題に取り組むことになった。




ヘリからの空撮。
ありえない光景が、眼下に広がっていた(加世田市役所提供)



海面は血で赤茶色に染まっていた。
どのクジラも傷だらけで、尾びれもボロボロになっている。
苦しそうに尾びれをばたつかせ、「まだ生きている!」と“主張”するが、波風ともに強く、とても救出できる状況にない。
「頭の形状からマッコウクジラだと思います」
鹿児島大学水産学部の大学院生のOが説明する。
Oは約2週間前、ニタリクジラの研究発表のため、大浦町に隣接する笠沙町を訪れたばかりだった。
が、こんな光景を目にするのは初めて。
発生初日から最後の日まで、漂着クジラの行く末を見届けることになるOも、この時は「何とか出してあげたいけど……」とつぶやくしかなかった。





クジラたちの血で、海面は赤茶色に染まった


町長のMはこの日、内之浦町へ出張中だった。
経済課長のMらが中心となり、町幹部や水族館との連絡にあたった。
初めて難題発生の報に接した町長は「なんで……」と絶句した。
昼ごろ役場に戻り、急遽対策会議が招集された。
焦点となったのは「救出は可能か」という一点。
現場が遠浅であることから、港湾建設用の台船で海上からクジラを引っ張り上げる案が出された。
会議に駆けつけた水族館のスタッフも「それしかないと思う。元気なものから順次出すのが一番」と賛成した。
ただ、現場海域は4メートルの波で荒れていた。
「今の状態では出られません。台船が転覆する可能性もある」
何人かの町幹部が、当日の作業に反対した。
救出作業が遅れれば、海中以外で自重を支えることが出来ないクジラは、確実に衰弱する。
鼻に水が入り、呼吸困難となっているクジラもいるかもしれない。
しかし、この天候での作業は、人命にも関わりかねなかった。
各課の職員が交代しながら24時間体制でクジラの監視に当たること、M経済課長が現場での連絡・指示に当たること、そして翌23日に天候の回復を待って救出作業を実施することを確認し、会議は終了した。
「できる限りのことはやってみたい」
町長としても、それ以上のことは言いようがなかった。



【註】
管理人は当時、クジラ漂着現場となった大浦町を含む2市6町を担当する加世田支局に所属していました。
会社が慢性的な人手不足だったため、支局勤めとはいえ、月に3〜4回ぐらい、本社での泊まり勤務があり、クジラ漂着の一報が入ったのは、まさに会社で当直業務を明かした翌朝のことでした。
加世田市役所の知り合いからの
クジラが漂着してるよ すごいたくさんいるよ!」というてんぱった声に、こちらも大慌てで会社を飛び出しました。
現場にたどり着いたときは、ありえない光景に本当に愕然としました。
波に煽られたクジラたちは、テトラポットや岩場にその体を打ち付けられ、海岸から20メートルぐらいのところまでクジラの血で染まっていました。
夢中になってシャッターを切りまくりましたが、その時はこの騒ぎがどんな展開をたどるのかなど、想像する余裕すらありませんでした。








A「救出」



しばしばクジラの漂着騒ぎが起こる大浦町では、経済課がクジラ関係を担当する部署となっている。
現場の指揮官的立場となったM経済課長は、笠沙町の建設会社M組に電話を入れた。
「そちらの台船でクジラを引っ張り出すことはできないか?」
町は自衛隊にヘリ出動を打診していたが、牽引能力最大8トンのヘリに、20トンはくだらないクジラを引っ張ることは不可能。
衰弱が進む中で、クジラを救出できるのは、M組の台船だけだった。
代表取締役のMは申し出を快諾したが、初日の出港は悪天候から断念された。
翌23日の天候も、相変わらず悪い。
しかし、この段階で生存が確認されたクジラは、わずか2頭。
この日を逃せば、14頭全滅となることは間違いなかった。
Mは決断した。
「俺が責任を持つ。台船を出せ」
タグボートにひかれた台船が沖合いに姿を現したのは、午前10時ごろ。
「こんな時化(しけ)の中で、よく来てくれた」
水族館のNがつぶやき、経済課長も胸が熱くなった。



「クジラを救出したいが、ダイバーが足りない。来れないか?」
笠沙町のダイバー・Tは、知り合いのダイバーに片っ端から電話をかけた。
10人余りのダイバーが県内外からはせ参じ、貴重な戦力となった。
「普通なら、こんな波の海に入ることは絶対にない」
笠沙町の漁師でダイビング暦15年のIは話す。
「でも、何とか助けてあげたいよね」
そう言ってIは、再び海へと入っていった。
尾びれにロープを巻きつけ、台船で引っ張る計画だが、ロープが引っかかっても、クジラは自分から外そうともがく。
作業は難航した。





ダイバーによる必死の救出作業。
奥には、クジラを引っ張るために待機している台船が見える。



昼までに1頭が死んだ。
残り1頭。
満潮は午後1時半。
時間がない。
ロープ巻きつけに成功したのは、まさに満潮の時刻だった。
「尾びれが持ち上がった瞬間、うまい具合に入った」とT。
「尾びれに打たれたよ。弱ってはいるが、すごい力だ」
その直後、クジラはのた打ちながら横転、巨体を支えていた右側面が大きくすりむけた状態で現れた。
「目をやられているぞ」
悲鳴に近い声が上がった。
鹿児島大学のOは、それ以上にクジラの呼吸が心配だった。
「クジラの呼吸器は左側にある。このままでは息ができない……」
「早く引け!」の合図に従い、台船がクジラを引っ張る。
1時45分、クジラは自力で反転した。
「ここからはゆっくり!」
再び指示が飛ぶ。
ゆっくりと干拓から離れていくクジラは、人々が見守る中、潮を噴き上げた。
歓声が上がった。






沖へ引かれていくクジラ。
1日以上に渡って巨体を支えていた側面部は大きく擦り剥け、目も傷ついていた。





クジラは午後5時ごろ、笠沙町沖で放された。
漂着した14頭のうち、唯一生き残ったその1頭は、弱々しい動きながら自力で泳ぎ、やがて波間に消えていった。



救出成功に前後して、M町長は強い口調で電話に向かっていた。
「解体してトラックに積んで、そしてどこに埋めろと言うんですか!」
救出と言う難題を解決した大浦町は、早くも次なる難題に直面していた。



【註】
町内外から多くの人々が訪れ、見守った救出作業。
尾びれに叩かれて吹き飛ぶダイバーの姿を2回目撃しましたが、今になって振り返れば、「よく死者が出なかったもの」と思います。

寒い1月の海は、マスコミにとっても、きつい取材となりました。
最前列のテトラポットからその模様を撮影していた管理人は、数回波の直撃を受け、ずぶ濡れ状態で取材を続ける羽目になりました。
カメラだけは、波が来る直前に頭上に掲げて守りましたけどね。
ずっと歯をガチガチ言わせながらの取材は、かなり体力を消耗しました。
それでも、唯一生き残ったクジラが潮を噴き上げた瞬間は、本当に胸が熱くなりました。
あのクジラが、その後どうなったのかは知りようもありませんが、どうか無事に生きていてほしい、と願うのみです。
なお、そのクジラが救出された日の夕方ごろから、現場付近には死んだクジラたちの腐臭が漂い始めました。









B「回答」



去年7月、水産庁は全国の沿海自治体に「鯨類の捕獲・混獲等の取り扱い」を通知、座礁して死んだクジラの処分方法を、「埋却又は焼却」と提示した。
そこに「海中処分」という記述はない。
1頭のクジラを救出した翌24日、M町長は鹿児島市の第十管区海上保安本部を訪れた。
通知に触れられていない「海中処分」、その実施が可能かどうか相談するためだった。



町長は訴えた。
「海から打ち上げられたものだから、海に帰してあげたい」
死んだクジラを解体・埋却処分した場合、1頭あたり110万円前後の費用がかかるものと試算されている。
小湊干拓に残されたクジラは13頭。
単純計算で1430万円。
ちなみに、大浦町が毎年、クジラ対策費として計上している予算額は、20万円。
経費的にもっとも安くすむ海中処分が望ましかった。
しかし、十管本部に回答の権限はない。
上部機関の海上保安庁、そして処理問題にかかわる水産庁、環境省とも連絡を取らなければならない。
とりあえず町に戻った町長は、町幹部や学識経験者らとともに処分方法を検討する会議に臨んだ。
そこで、全国の水族館などから電話が相次いでいることが報告された。
「クジラを標本骨格化して引き取りたい」との申し出だった。



クジラの生態は不明な点が多く、マッコウクジラの全体標本骨格も、全国に数体しかない。
大浦町に残された13頭は、貴重だった。
多くの資料が得られるだろうし、今後の保護活動にも期待できる。
「このまま海に沈めてしまうのは、あまりに惜しい」
救出作業にも参加した国立科学博物館のY室長は、埋設・標本化を遠まわしに求めた。
Y室長とて、その作業にかなりの費用がかかることは承知している。
対して、町幹部は総じて海中処分を主張したが、十管本部からの回答は翌日になりそうだった。
埋設処分するにも、大浦町には適当な場所がない。
結論は持ち越された。






残されたクジラたちの死骸をどのように処理するのか。
結論はなかなか出なかった。




翌25日午前。
十管本部からの回答がないまま、大浦町と隣接する加世田市から「同市小湊海岸でのクジラ埋設を了承する」旨が伝えられた。
町長は、13頭の処理へ道が開けたことを十管本部に伝えた。
「加世田市のおかげで落ち着き先が見つかり……」
心からホッとした表情で、町長はインタビューに応じた。
それから約2時間後、町長は十管本部からの電話を受けた。
受話器を置いた町長の表情は明らかに強張っていたが、記者に気付くと、照れ笑いを浮かべた。
「『当該自治体の意向を尊重して……』だって」
それは「各関係機関は今回の海中処分を黙認する」という海上保安庁からの回答だった。



後日、記者は町長に「もしも埋設を決定する以前に海中処分を黙認する回答があったら、町長としてどのような決断を下していたか」と質問した。
町長の応えは短く、明瞭だった。
「海中処分をしていたと思う」
13頭の学術的価値は認めつつも、町長たるMが何よりも優先すべきは、町と町民の利益だった。



十管本部からの電話を受けてしばらく後、町長は役場の階段を駆け下りていた。
「今から会合なんだよ」
クジラ関係の?
「いや、町内の集まり。クジラのおかげで勉強が終わっていなくって……」
そういいつつも、町長の顔には安堵の表情が浮かんでいた。
とにかく、懸念の処理方法は決まった。
あとは行動あるのみ。
だが、クジラの処分作業はその後、さらに混迷する。
町長はわずか2時間遅れの電話を悔やむことになる。



【註】
経費面から海中処分を望んだ大浦町。
学術的価値から埋設処分を望んだ学識経験者。
これに法律的な問題や、埋設が可能な砂浜を持つ加世田市との交渉も絡み、処分方法はなかなか決まりませんでした。
しかし、クジラの腐敗が進む中、一日も早く処分を行わなければならないことは、誰の目にも明らかでした。
それだけに、町が望んだ海中処分ではないとはいえ、処分方法が決定したことで、町長は本当にホッとしていました。
そして、その後に十管本部から届いた、「海中処分を黙認する」という電話。
たまたま総務課で他の職員と雑談していた管理人は、強張った町長の顔を目撃することになりました。








C「埋設」



全13頭の埋設・標本化が決まった1月25日の日没前後、台船による漂着クジラの収容作業が行われた。
翌朝の満潮を待って、埋設地の加世田市小湊海岸へ入る予定だ。
「ウインチ巻け!……クレーンも巻け!」
台船を所有するM組代表取締役のMが、テトラポット上に立ち、メガホン片手に指示を出していた。
発生から4日目、クジラの死骸は猛烈な腐臭を発していた。
筋肉が溶け、脂が海面を漂っている。
それでもワイヤーを括りつけるダイバーらは、懸命に作業に励む。
「後で石鹸で洗いたくってくるっで(後で石鹸で洗いまくってやるから)!」
Mの言葉に、ダイバーたちが苦笑交じりの笑みを浮かべる。
もっとも、使用されたダイバースーツは臭いと脂がこびりつき、洗濯するだけ無駄、という状況になる。
ほかの作業服も似たようなもので、大半が処分された。
漂着騒動が続いた11日間で、海面が穏やかだったのは、この日だけだった。




埋設場所へ運ぶため、クジラを台船に収容する。
腐った脂が漂う海面での作業。
「俺、ダイバーはやりたくない」と素で思った。




翌26日午前6時ごろ、台船は予定されていた小湊海岸ではなく、近くの小湊漁港に入った。
「低気圧が近づいているので避難した」
M経済課長が説明した。
「2、3日は時化るらしい」
埋設地沖は、満潮でも浅いという変わった遠浅。
このため、重機でクジラが通れる程度の道を掘り、砂浜から引き上げる予定だった。
しかし、この天候では作業に危険が伴うし、道もすぐに埋まってしまう。
予定が狂った。
漁港から埋設地までの距離は、砂浜1キロ余りを含む約2キロ。
「やってみよう」
陸送が決定された。


クジラのトレーラーへの積み込み作業は26日深夜から始まり、翌27日午前2時半ごろ、1頭目が出発した。
しかし、砂浜入り口でトレーラーがかく座する。
トラックを切り離してブルドーザーで牽引したが、こちらもすぐに動けなくなった。
積まれたクジラは13頭の中でも小さい方だったが、それでも重すぎた。
協議の結果、埋設地に待機させてあった180トンクレーン車に白羽の矢が立てられた。
人の歩行速度よりも遅いスピードで現場へ向かうクレーン車。
埋設実施の切り札だった。


強い風が吹き付ける。
腐って裂けたクジラの腹から内臓がはみ出す。
猛烈な腐臭で、吐きながらクジラと格闘する作業員もいる。
ロープが何度も切れ、シートも裂けた。
クレーン車が埋設地に到着したのは、作業開始からおよそ10時間後の午前9時半ごろ。
結局クレーン車の往復だけで、3時間もかかった。
そして、まだ12頭も残っている。
残りのクジラの陸送作業は、「一時」中断となった。





唯一埋設地点にたどり着いたクジラ。
死んだクジラの中では小さい方だったが、それでも重量は25トンを超えていた。





クレーン車に運ばれたクジラが、小湊海岸の穴に横たえられた。
13頭を埋設することを前提に掘られていただけに、十分すぎるスペースがあった。
唯一埋設地までたどり着いたクジラは、学術関係者の調査を経て、翌28日夕方、埋められた。
掘り起こされるのは、2、3年後。
国立科学博物館のY室長は「標本は地元に近いところに残すのが良いのではないか」と話した。


同日午後、役場で約4時間に及ぶ会議が開かれた。
25日に十管本部から告げられていた回答が、ここで息を吹き返した。




【註】
横殴りの雨が降りしきる深夜に実施された、クジラの陸上運搬。
それは、「すさまじい」としか言いようのない作業、そして光景でした。
トレーラーが駄目になり、ブルドーザーも駄目。
180トンクレーン車が到着しても、クジラを吊り上げることすら大変でした。
すっかり脆くなったクジラの皮膚は、ロープが食い込むとあっさりと破れ、内臓をぶちまけるのです。
上の写真でわかるように、クジラをビニールシートで覆っているのは、内臓が延々と落ちていくのを防ぐために用意されたものですが、途中で作業員の一人が「駄目じゃ…………不可能!」と吐き捨てた時は、ドキリとしました。
生々しい写真も何枚も撮りました。
ただ、その生々しさゆえ、紙面の掲載は見送られました。
それらの写真すべてを無くしたことが、返す返すも悔やまれます。
時速1キロ余りで進むクレーン車とともに砂浜を歩き、夜が明け、埋設現場にたどり着いた時は、何とも形容しがたい気持ちになりました。
そして、「残りのクジラの陸送は『一時』中止」との報。
「当然だ」とする作業員がいる一方で、「要領は掴めたから、次以降はもっと早くできるのに」と残念がる作業員もいました。







D「会議」



冬から春へと移り変わるころ、小湊海岸は荒れる。
ひどい時には一カ月以上も時化が続き、漁師らは漁船の係留に特に気をつかう。
14頭のクジラが大浦町に漂着したのは、漁師らが「節変(せっがい)のしけ」と呼ぶ、まさにその時期だった。






「節変のしけ」を避けるため、クジラは小湊漁港に移された。




1月28日午後1時半、大浦町役場で県や漁協、学術研究者、加世田市幹部らを交えた対策会議が開かれた。
「クジラの状態を見ると、最終的な判断の時期に来ている」
座長役を務める県水産振興課の資源管理監が切り出した。
「本日の会議を最終判断とする方向で協議したい」
大浦町側から、14頭の漂着に始まり、1頭を埋設地まで運んだこれまでの経緯が説明され、次いで現在の状況が示された。
悪天候のため、当初予定していた沖合いからの引き揚げ作業ができないこと、この天候はしばらく続くこと、陸送作業が予想以上に困難なものとなったこと、港周辺の住民から悪臭などへの苦情が相次いでいること――。
会議は熱を帯びた。


前夜からの陸送現場を見ていた町長としては、全12頭を海へかえすことがベストと思われた。
しかし、海中処分という選択肢にも、クリアーしなければならない課題があった。
「これほど大きくて大量のクジラを海にかえした例は、世界にもない」
県から調査と処置の指示のために招かれた、水産総合研究センターのK室長が説明した。
「つまり、比重の問題。死んで腐敗が進んだクジラは、体内にガスが溜まり、洋上を漂う」
“海にかえして”も、“陸にかえってくる”可能性がある。
海中処分するなら、絶対に浮いてこないよう比重を計算した上で、オモリをつける必要がある。


2、3日は海がしけるということは、その間クジラは小湊漁港に係留されたまま、ということ。
「その間、突貫作業で埋設はできないか」という意見が出されたのも、ある意味自然なことだった。
港の内側を曳航する案や、レールを敷いてトロッコで運搬する案、鉄板に載せて曳く案などが出された。
しかし、いずれの案も問題点を有していた。
時間は? 経費は? 現実性は? そして、腐臭に耐えている漁港や周辺住民への説明は?
強い口調のやり取りも交わされた。
この段階で、誰もが納得する完璧な方法などなかった。


「町長はどのようにお考えか?」
会議が始まって約4時間。
資源管理監が町長に尋ねた。
意見も出尽くした感があった。
「これまでの皆さんの努力には感無量です――」
静かに町長は話した。
「クジラは海からやってきた。海にかえしたい」
反対意見は出なかった。
海中処分が決定された。


「付近の方に非常に迷惑をかけている。影響を少しでも小さくしたい」
疲れきった表情でインタビューに答える町長。
3日前、ホッとした様子で埋設決定を報告した人物とは思えなかった。


「節変のしけ」は、なかなか収まらなかった。
クジラを積み上げた3隻の台船が、笠沙町の野間池漁港へ移動したのは、会議から3日後の1月31日。
クジラの小湊漁港“滞在”は、足掛け6日に及んだ。







溶けた脂が岸壁に張り付き、激しい腐臭が漂う。
漁港関係者や付近の住民にとって、耐え難い状況となっていた。



【註】
巨大な12頭のクジラ、これが死後一週間経って放つ腐臭って想像できます?
敢えて例えるなら、「大量のウン○が腐った臭い」とでも申しましょうか。
取材の過程で、腐臭は服にも染みこみます。
寒い冬ゆえ、帰りの車の中ではヒーターを全開にするわけですが、そうすると服についていた腐臭が「モヤァ〜」っと車内に漂い始める。
慌てて車から降りて、盛大にゲロする羽目に陥り、以後しばらくは、窓を開けて震えながら車を運転することになりました。
なお、クジラが笠沙町の野間池漁港に移動した後の小湊漁港は、至るところにクジラの脂がこびりついた悲惨な状況でした。
漁港関係者や大浦町、加世田市の職員らによる清掃作業は、かなり大変そうでした。








E「海へ」



クジラが漂着して以来、大浦町役場職員の業務は完全にクジラ中心へシフトした。
特に24時間体制の現場監視は、職員にとってかなりの重労働となった。
クジラを一目見ようと見物人は後を絶たなかったが、中にはチェーンソーにクーラーボックスという“重装備”の者もいた。
「いけんすっとか?(どうするんだ?) 食わんとか?(食べないのか?) 尻尾ずい良かでくれ(尻尾だけでもいいから、くれ)」
何とか説得してお引取りいただいたが、この調子では事故の心配もある。
引継ぎを含めて一日三時間、昼も夜も、雨が降っても寒風が吹いても、そして腐臭が漂うのも関係なく、一人一日一回は現場に向かった。
その“苦行”も終わりを迎える。
1月31日、12頭のクジラを積んだ3隻の台船は、笠沙町の野間池漁港へ移動した。
翌2月1日は若干うねりはあるものの、「作業は可能」との予報だった。


1日早朝、台船は出発した。
クジラのほか、一個2・8トンのコンクリート117個が積まれている。
最大のクジラには、これが13個くくりつけられる。
3隻ともクレーンが装備されているが、安全を期して最大の能力を持つ120トンクレーンのみが使用された。
同じく3隻にそれぞれ用意されたのが、花束。
クジラの霊を慰めるため、作業開始前に献花する予定だった。
「でも、作業がなかなか思うようにいかなくて……」
経済課長は語る。
「献花は最後にしよう、ということになった。気が緩むからね」
これほど大きく、大量のクジラを一度に海にかえす作業は世界でも例がない。
コンクリートの括り付けひとつにしても、手探りの作業が続いた。


現場が緊迫したのは、正午過ぎ。
クジラとコンクリート、合わせて約70トン。
これを吊り上げたフックがはずれ、一気に落下した。
轟音を立てて船縁に衝突し、もんどり打って海中に沈んでいく。
「やばい現場はいろいろ見てきたが」
水産総合研究センターのK室長が振り返る。
「あの時は本当にもう……一人や二人、命を落としても不思議ではない難事業だった」
チャッカが歪んだ。
重機が故障した。
果たして今日中に終了するのか。
そんな心配もされたが、一頭ずつこなしていくうちに、作業員もコツを掴んでいく。
ペースが上がり始めた。






海へ下ろされるクジラ。
海中処分もまた、これまでの諸作業に劣らぬ難作業だった(大浦町役場提供)。




日没になった。
最後の一頭。
3隻の台船は結合されており、全作業員が集合して、11日間の“付き合い”となったクジラを見上げた。
クジラが海面に下ろされる。
フックが外された。
スーッと沈んでいく。
終わった。
2月1日、午後8時20分だった。


「バンザイ!」
拍手、歓声。
抱き合って喜ぶ。
台船上は大騒ぎになった。
終わり。
本当に、終わり。
「これで解放された。普通の生活ができる」
経済課長は胸を撫で下ろした。
海面に花束を投げる。
どうか安らかに。
「クジラはコンクリートの上を、飛行船のような形で浮いているはずだ」
K室長は、200メートル海底の状況を想像する。
「まあ、とにかくホッとした。もう少し海がしけていたら、こうはいかなかったかもしれない」
「一生の内に二度とないだろう」
救出、収容、陸送、そして海へ。
世界でも例を見ない一大事業をやり遂げたM組代表のMも感無量だった。
「50トンもあるクジラを釣って、万一のことがあっては……それだけが心配だった」
多くの人々の思い、そして努力。
その結果として、クジラは海へ“かえった”。





【註】
クジラ騒動の「締め」ともいうべき海中処分作業でしたが、管理人は現場に行くことができませんでした。
当日、他の取材があったので(オイ)
発生から10日も過ぎると、本社の方も熱が冷めてくるんですね。
んでもって、「クジラの処分? それよりもこの主催事業だ。絶対に取材して、今日中に出稿しろ」……と。
それでも、翌日の朝刊に何としても海中処分作業の写真を入れたかったので、深夜まで役場に待機し、現場に行っていた役場広報職員の帰りを待っていました。
職員が戻ってきたのは、午後11時半ごろだったと記憶しています。
それは、弱小新聞社ゆえに配送トラックが少なく、降版時間が早くならざるをえないウチとしては、極めて厳しい時間帯でした。
ひったくるようにデジカメのチップを借りると、アクセル全開で支局へ戻り、本社へ送信。
ギリギリのところで間に合いました。
送信した直後は、色々な意味で、「終わった〜!」と口走っていました。






F「課題」



水産総合研究センターK室長によると、三陸沖1000マイルごとのクジラの発見率は、88年の5群から97年の20群へと急上昇している。
「生物学的に考えられない増え方」とK室長は言う。
鹿児島大学国際海洋政策学のM教授は、82年に国際捕鯨委員会が合意した商業捕鯨禁止をその背景として指摘。
「実感として、クジラの数は増えていると思う」と話す。
10キロに満たない大浦町の海岸総延長。
14頭のクジラはそこに漂着した。
ちなみに、日本の海岸総延長は3万4794キロ。
K室長は断言する。
「クジラは急速に資源回復している。またどこかにやってくる」


79年、アメリカ・オレゴン州で41頭のマッコウクジラが座礁し、そのすべてが死んだ。
クジラ救出の難しさを示す例だ。
わずか1頭とはいえ、大浦町が救出に成功したことは、賞賛に値する。
今回の大浦町の“実戦データ”は貴重なもの。
ノウハウを示したマニュアルがあれば、初動の速さは格段に違ってくる。
国は早急に大浦町の一連の行動を元に、座礁クジラ対策をマニュアル化し、全国の沿海自治体へ提示すべきだ。


死んだクジラについて、大浦町は経費的に安く済む海中処分を希望した。
しかし、昨年水産庁が通知した「鯨類の捕獲・混獲等の取り扱い」は、座礁クジラの処分方法として埋設・焼却を示す一方で、海中処分の是非に付いては触れなかった。
海中処分が提示されなかった理由は2つある。
ひとつは、通達を検討する委員会のメインテーマが「“定置網に混獲された”クジラの取り扱い」だったこと。
検討会に参加したM教授は、「座礁クジラについての検討は中途半端で、海中処分もあまり討議されなかった」と振り返る。
もうひとつは、縦割り行政の弊害。
自然生物のクジラは、水産省だけでなく、環境省、そして流通面で厚生労働省も関わってくる。
複数の機関が絡み、結論は先送りとなった。
今回、海上保安庁は「追い込んで殺した死骸などと違い、杓子定規に廃棄物と解釈しなくてもよい」として海中処分を黙認したが、大浦町はその通知の約2時間前、埋設化を決定していた。


クジラの処理費用も問題だ。
悪天候もあり、クジラの処分手順は二転三転した。
総費用は計算中だが、5000万円を超えると見られている。
K室長は今後取り組むべき道として、沿海自治体が参加する「クジラ保険」のアイデアを提唱する。
また、M教授は、定置網混獲クジラの流通で生じる利益の一部を「クジラ基金」とし、処理費用に充てるべきとする。
いずれも将来への対策として、議論すべき提言だろう。


廃棄物処理法では、漂着した所有物不明の動物の死骸は、当該自治体の処理責任とされているが、今回の事例は海上保安庁の認識通り、「杓子定規に廃棄物と解釈」すべき問題ではない。
人口3000人弱の小さな町は、多くの人々の協力を得て、過去に例を見ない一大事業をやり遂げた。
そして今、国からのケアを求めている。
水産庁は今回の騒動を「想定外の事態」とするが、「想定外」は大浦町にとっても同じことだ。
国だけが「想定外」を語るのは、フェアではない。


最後に、大浦町長のコメントを紹介する。
「今回の問題は、一自治体だけではどうにもならない。国はマニュアルを通して、責任の所在をはっきりしてほしい」
議論の余地はないものと思われる。





     大浦町クジラ漂着騒動の経過

2002年

【1月】     
                    
22日 大浦町小湊干拓に14頭のマッコウクジラが漂着

23日 1頭を救出。残りは死亡            
/  

24日 大浦町長、十管本部を訪問            
    全国から標本受け入れの打診      

25日 加世田市が小湊海岸での埋設を了承      
    全13頭の標本化決定           
    海上保安庁が「海中投棄黙認」の回答  

26日 13頭のクジラを加世田市小湊漁港へ移動    
    海上からの引き上げを断念。陸送作業開始  

27日 1頭を陸送で埋設地へ               
    陸送作業、「一時」中断           

28日 残り12頭の海中処分が決定            

31日 台船、笠沙町の野間池漁港へ移動        

【2月】                              

1日 笠沙町沖に全12頭を海中処分           



















※以上は2002年2月3日から2月9日にかけて、鹿児島新報に掲載された。












【コラム】
クジラの腐臭の中で
(1月29日紙面より)

大浦町小湊干拓に14頭のマッコウクジラが漂着して、1週間が過ぎた。この間、唯一生存していた1頭を救出し、1頭を加世田市小湊海岸に埋設。残りの12頭は、ようやく海上投棄が決まった。作業遅延の最大の理由は、延々と続く悪天候。海面が穏やかだったのはわずか1日で、あとは常に高波、強い風、雨にたたられた▼クジラの処分方法がなかなか決まらなかったことも、遅延の理由のひとつ。自然のクジラの“墓地”は、海。町も経費的に一番安い海上投棄を望んだが、水産庁の通達では座礁クジラの処分は埋却または焼却となっており、海上投棄には触れていない。その理由が知りたくて、水産庁、環境庁、海上保安庁に電話してみたが、ことごとくタライ回しとなり、明確な答えも出てこなかった▼結局、今回は「当該自治体の意向を尊重して」黙認となったが、通達が届いたのは、町が全頭の標本骨格化を決定した約2時間後。海上投棄の是非を打診してから1日以上経過していた。電話を切った町長の顔には、さすがに憤りが浮かんでいた▼様々な背景から、この黙認は“息を吹き返した”が、腐臭の中で作業を続ける人々を見るにつけ、やり切れなさを禁じえない。(S)






【コラム】
続・クジラは海へかえった
(2月10日紙面より)

「大人がノコギリで切って分け与え、みんなで食べたことを覚えている。とにかく大きく見えた」 大浦町のKさん(71)は語る。昭和9年と14年、大浦町には大量のクジラが漂着した。横たわるクジラの周囲に大人や子供約40人が集まり、予期せぬ“収穫”を喜ぶ記念写真も現存する▼「予期せぬ」に関して言えば、今回漂着した14頭も同じだが、喜んだ者はいなかった。「昔は『クジラが浮くと七浦がにぎわう』と言われたが、今では厄介者になっている」とは宮崎医科大学M学長の言葉▼救出、陸送、海中処分。いずれも人命にもかかわりかねない難事業だった。例えようもない猛烈な腐臭も、作業員や近隣住民を苦しめた。11日間の取材中、海に入ることも、クジラに触れることもなかった記者だが、服には臭いがしっかりこびりつく。愛車のドアを開けた瞬間、あの独特の臭いにのけぞることもしばしばだった▼時の経過とともに、車内の腐臭は霧散した。しかし、14頭のクジラと関わった全ての人々の頑張りは、どれほど時が経っても、記者の頭から消えることはない。一連の作業に携わった全ての人々に「お疲れ様でした」と心から言いたい。(S)






【追記】
大浦町は、漂着したクジラの処分費用として、6525万円を補正予算に計上しました。
内訳は、国と県が4885万円、そして大浦町が1640万円。
大浦町には、「クジラの処理費用に充ててほしい」という寄付金が全国から200万円ほど届いていたこともあり、実質的な負担は1400万円余りとなります。
人口3000人弱にして年間予算は30億円、そしてその大半を国や県からの補助に頼っている大浦町にしてみれば、やはり大きな支出だったといえそうです。



大浦町での座礁事故を受け、水産庁は座礁クジラの処理問題を検討する委員会を設置しました。
そして、
事故の翌年の2003年
6月、委員会は以下の内容の提言を行いました。

@処理経費は特別交付税の算定対象に加えられるよう関係省庁に働きかけるべき
A具体的な処理方法としては、鯨肉の食用利用、歯や骨格の工芸用原料・骨格標本への利用を基本的に認めるべき
B
陸上処分が困難で食肉や骨格の利用を行わないケースは(つまり、大浦町のようなケースでは)、そもそも自然現象として座礁したクジラが海洋汚染防止法の禁止規定に該当しないと考えられることから、海洋投入処分も視野に入れて対応すべき


この提言を知った時の管理人の反応は、「それだよ、それ! そうこなくっちゃ!」でした。




クジラが漂着してからちょうど一年後の2003年1月22日、漂着現場に近い大浦町の公園で、クジラのモニュメントの除幕式がありました。
「鯨の日々」と名づけられたこのモニュメントは、長さ10メートルの強化プラスチック製のクジラの周囲を、13本の石柱が囲んでいるもの。
13本の石柱は、死んだ13頭のクジラの墓標を表しています。
除幕式には、クジラ全般に関わる現場指揮官として活躍し、その年に定年退職した当時の経済課長・Mさんの姿もありました。
Mさんは、こう語りました。
「今日は嘘みたいに波も静かで、風もない。
 一年前が今日のような天候だったら、もっと多くのクジラが助かっていたのではないか。
 マニュアルも無く、暗中模索の中で処理できたことは、自分にとってかけがえのない、大きな経験だったと思う」







「鯨の日々」








漂着騒動から5年が経過した今年(2007年)3月、南さつま市(旧加世田市)小湊海岸に埋設されていたマッコウクジラの掘り起こし作業が行われました。
一般の人々にも呼びかけて行われた作業は、多くの子供達も参加して、なかなか賑やかなものとなりました。
ただし、“あの”強烈な臭いは、5年の歳月を経てなお、しっかり砂の中に残っていて、作業に参加した人々の鼻を大いにひん曲げたそうです。
騒動の際、一連の活動に携わっていた水産総合研究センター室長(当時)のK教授も来ていて、「このクジラは10歳ほどのオスで、体重は25〜26トンと推察される」とコメントしていました。
掘り起こされた骨は京都の業者のもとへ送られ、1年かけて保存処理を完了させる予定です。
展示場所や方法については、まだ決定していません。
ちなみに、大浦町は現在、加世田市や笠沙町などと合併し、「南さつま市大浦町」となっています。













「ポッキーザク」vs「HGザク」           「それ行け 雄山!」

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