涼略史&ギャラリー
※以下は本編の登場人物の一人でもある希代之副官殿が作成してくれた年表&CGです。
@197年〜203年(初代スレ>566まで)
| 年/月 | 記事 | 詳細・備考 |
|---|---|---|
| 197年4月 | 呂砲と七同志、永安にて旗揚げ>148 | 「曹操・劉備・孫権の首を挙げ帝をお救いする」のが目標 |
| 198年1月 | 劉表軍の呉巨らの襲撃を撃退>175 | いきなり終了の危機。しかし君主への信頼強まる |
| 4月 | 三悪の一人、劉備が上庸で旗揚げ | |
| 7月 | 劉表が劉備に降伏 | |
| 10月 | 劉備、韓公になる | 曹操は魏公、孫策は州牧 |
| 199年9月 | 巴へ侵攻、予想外の完勝>244 | 戦功1位 廖衛 |
| 200年4月 | 成都攻略戦>289 | 一騎打ち(○希代之―呉懿) 戦功1位 吾玄 |
| 永安、劉備領となる | 評定での方針通り永安を放棄 | |
| 7月 | 倍へ侵攻するも攻略失敗>312 | 法正・張松らの「落石」に苦戦。敵総大将張任 |
| 10月 | 第2次倍攻略戦>330 劉璋の勢力を降す |
一騎打ち(○吾玄―劉セキ) 一騎打ち(○吾玄―呉懿)二連勝 同、未遂(町費―呉蘭) 戦功1位 吾玄 |
| 201年1月 | 漢中に進出、張魯を破る>360 | 戦功1位 馬参 |
| 4月 | 吾玄が巴太守に赴任 | 賛成7、反対1 |
| 7月 | 呂砲、南中牧に就任 | |
| 9月 | 馬騰軍と開戦、天水へ侵攻>366 | 念入りに「埋伏」を仕掛ける 一騎打ち(○馬参―鳳徳) 鳳徳・馬超が帰順 戦功1位 馬参 |
| 202年1月 | 西涼攻略。馬騰軍西平に撤退>404 | 戦功1位 袁奉 |
| 漢中太守張魯、劉備軍を撃退>408 (第一次漢中防衛戦) |
劉備の計略により呂砲のPC不調になる>396 また、劉備が名馬アイテムを持たない事判明 |
|
| 4月 | 呂砲、涼公の位を授与される | (この頃より呂砲の長安パトロール始まる) |
| 西平攻略完了。馬騰は下野するも7月に登用される | 戦功1位 馬参 | |
| 第二次漢中防衛戦(劉備・関羽・関平) | このころ、黒山の張燕を登用 | |
| 7月 | 第三次漢中防衛戦(関羽・関平) | なんと関平が帰順 |
| 第四次漢中防衛戦(麼芳・簡雍・麼竺) | 次回に備え希代之と馬騰を漢中へ派遣 | |
| 10月 | 天水から出兵、曹操軍を破り長安を手中にする>438(街亭の戦い) | 郭図公則が攻略軍軍師を務める 戦功1位 張燕 |
| 203年1月 | 巴守備隊に永安攻略命令が下る。 袁奉・張任・黄権らが巴に呼び寄せられる 三悪の処遇方針について評定 |
(雑兵一号の大宛馬は実はポニーである事判明) (このころ見習忍者、成都のおねぇさん、廖影参加) |
| 4月 | 劉備軍主力の屯する上庸を攻略>486 | 平地の少ない地形で勝手の悪い戦闘となる 劉備、馬参に「挑発」をかける 一騎打ち(○希代之―霍峻) 戦功1位 馬騰 |
| 7月 | 巴太守吾玄を総大将に旗揚げの地永安に進軍、 里帰りを果たす>509 |
「撹乱」を次々と決めて快勝 上庸からの援軍は会敵せず 戦功一位 袁奉 永安太守だった呉巨が配下に加わる |
| 上庸の本隊は襄陽を攻略>512 | 関羽大喝張飛突撃地獄のツープラトン攻撃 関羽の大喝四連発に廖衛は4回、郭図公則は3回恐慌 その郭図公則、張飛に一騎打ちを申し込む 劉備、馬参に「挑発」をかける 戦功1位 馬騰 |
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| 吾玄、揚州三軍司令(第二軍団長)に就任 涼公、将来の第三軍編成にも言及>516 |
にわか水兵隊、訓練中の事故で300人死亡 始めて国営放送KINの放送が流れた>534 |
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| 10月 | 第二軍、武陵攻略>545 | 山岳戦を有利に進める 戦功1位 袁奉 吾玄の旧友、甘寧が配下に加わる |
| 第一軍、江陵攻略>548 | 大喝で恐慌状態の郭図公則と希代之を涼公が一発で沈静化 一騎打ち(×町費―霍峻) 戦功1位 馬岱 黄忠が配下に加わる |
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| 第一次長安防衛戦(太守?徳)>551 | 金なし援軍なし。絶対防衛都市 苦戦するも、総大将曹仁を捕らえたのち敵拠点を制圧 士気を下げた衝車隊を奇襲して撤退に追い込む |
【全体地図・204年1月】 ×××××××××××晋陽××××薊×××××××北平×××××××× 西涼★┓×××上党┏━━▽━━━━▽━━━━┳━━━━▽━━━▽遼東× ×××┃×××××▽┓×××業?┏━━━┳━▽渤海┏━┛××××××× ×××┃×弘農××┃┗━━━━━▽━┓×┗━━━▽平原×× 西平★┫×┏◎━┓┃洛陽××陳留┃×┃┏━━━◎┻━┓× ×××┃×┃××┗◎━━━┳━━◎×┗◎濮陽×済南×┃× 天水┏★×┃長安×┗┓宛┏◎許昌┗━━┫×××┏━◎┛×× ××┃┗━★━━━━◎━┛┗┳━━◎━◎小沛×┃×北海 ××┃×┏┛××××┣━━━◎━┓礁 ┃┏━━┛ ★=呂砲 武都★━★漢中×新野〓×××汝南┗┓×┗◎下丕? ◎=曹操 ××××┃┃上庸××┃襄陽××××┃×┏┛××× ○=孫策 ×倍★━┛┗★━━━★━┓××寿春○━○広陵×× 〓=劉備 ××┃×××┃永安┏┛┏○江夏×┏┛×┃×××× ▽=袁紹 ××┣━┓×★━┳@━┫┗━┓┏┻━━○┓抹陵× @=第1軍(呂砲軍) ××┃巴★━┛×┃江陵┃柴桑┗○廬江×┃┃××× A=第2軍(吾玄軍) 成都★━┛×武陵A××○━━━┫×┏━┛┗○呉× ××┣★建寧××┣━〓┛×××○━┛××┏┛×× 永昌★┃××零陵〓×┃長沙××翻陽×××┃×× ××┃┃××××┗〓┛×××××××会稽○× 三江★┛××××桂陽××××××××××××
| 年/月 | 記事 | 詳細・備考 |
|---|---|---|
| 柴桑攻略方針について評議>571 条件は
|
第一軍(江陵)を本隊とし、馬超がこれを率いる 第二軍は長沙を陥とした後涼公と合流、これを援軍とする 零陵桂陽の確保は厳顔達が行う。袁奉は第一軍へ移動 柴桑攻略が成ったら第一軍は襄陽、第二軍は江陵へ移動 |
|
| 204年1月 | 荊南制圧開始。零陵・長沙に進む>600 | このころ陸遜が登用される |
| 4月 | 厳顔軍桂陽を確保 | |
| 赤壁の戦い(兵棋演習)>603 第一軍(江陵=馬超)象兵三部隊他、十隊122000 第二軍(長沙=涼公・吾玄)山騎、五隊67000 敵本隊(韓当・程普他)十隊89200 敵増援 六隊60000 合計189000vs149200(15部隊vs16部隊) |
敵は堅陣策をとるという事前の情報にもかかわらず砦に布陣していたといういきなりの誤算。このため、本隊は態勢が整わないまま戦闘に突入、さらに序戦で軍師・希代之撤退、補給線を越えた部隊もあり、一部部隊では兵の逃走も発生した。 さまざまな誤算を見事に立て直して勝利 しかしこの兵棋演習で、味方の損害は約10万と出た。 |
|
| KIN「漢帝国ニュース」が、「涼公セーブデータ消しちゃった事件」をトップで伝える。>622 | とは知らされず雑兵一号、柴桑で孫策に捕らえられる>637 | |
| 第一次赤壁の戦い>648 涼公、始めて小説化に挑戦。その長江艦隊の威容、戦場の土煙、飛び交う怒号、青年馬超の気負いと敗北を活写。 |
KIN記者に「次回は違った形で攻略を…」と言質を取られたことが仇となる。象隊を一部隊に縮小。慎重に部隊を運用するが、実は先の兵棋演習よりもさらに不利な条件での戦いだった。 総大将・馬超は敵の挑発にかかり撃破され撤退、希代之・郭図公則は捕らえられる。士気崩壊し全軍撤退。 もう一回赤壁が読めるんだと思うと得した気分でもあった |
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| パート2スレッドに移行 | 軍団長争いも盛り上がって参りました | |
| 7月 | 第二次赤壁の戦い>3 前回敗戦からわずか3ヶ月にして戦力を立て直す 後方の兵をかき集めた、後の無い戦い 今回は郭図公則の「啄木鳥戦法」を採用 |
馬超の物語パート2。読むべし。黄忠もいい味です。 涼公の武力がいっこ上がって50となる 戦功上位 馬岱 町費 馬超。孫権を捕らえたのは袁奉 |
| 第三軍団長選挙公示される>73〜 そして誰も予想出来なかった結末。 |
町費、墨子を授かる>38、185 涼公と希代之、夕日に向かって略>48 |
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| 襄陽太守呉巨、セーブ前に勝手に江夏攻略>129 | 其の時涼公は「四回目の赤壁」を覚悟したとかしないとか | |
| 部隊再編の陣容決まる。第三軍(馬参)長安に発足。 第一軍(涼公)は襄陽、第二軍(吾玄)は柴桑 |
第一軍:希代之 甘寧 袁奉 廖衛 馬岱 馬騰 町費
郭図公則>189 第二軍:黄権 厳顔 孟達 呉懿 呉蘭 雷胴 張任 萠リ越>121 第三軍:鳳徳 楊任 張魯 張衛 韓遂 鍾ヨウ 張燕 陸遜>127 |
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| 10月 | 袁紹死亡。後継者は長男の袁譚。 | |
| 第二次長安防衛戦>131 | 華キン、公孫サン、潘璋が帰順 |
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| 年/月 | 記事 | 詳細・備考 |
|---|---|---|
| 205年1月 | 孫策からの同盟申し出を断る>141 | 吾玄、「撹乱の鬼」から「戦嫌い」に>148 廖衛、夏休みから復帰>161 町費隊兵士初出。主君と共におまんじゅう作戦>165 馬参、陸遜の第三軍編入の件で涼公を説得>172 郭図公則、馬参の洛陽出立を見送り>185 |
| 新野攻略戦>189 ついに韓公・劉備を滅ぼす 評定により燕との開戦及び第四軍創設は延期 |
既に一国のみに追い詰めた韓を倍する兵で攻める 張飛は袁奉、劉備は希代之、関羽は甘寧が仕留めた 戦功一位 甘寧 劉備は斬、張飛は放、関羽と劉jを登用 |
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| 第三次長安防衛戦>226 |
第三軍の初戦。勝利よりも、諸将の心をを完全に掌握したところに馬参がの力量が現れた戦い。陸遜、歴戦のオヤジ達にもまれる 戦功一位 鍾ヨウ |
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| このころ廖影が張飛を登用>255 様々な噂:『涼主別伝』>252 『大涼芸能』>275 |
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| 4月 | 宛攻略戦>302 | 戦闘の緊張感を高める為この戦から涼公の「医術」を封印。もっとも、使いこなしてたという印象は薄い。 戦功一位 廖衛 |
| 弘農攻略戦>305 | (CPU委任) | |
| 7月 | 涼公、朝廷より王に封ぜらる>308 |
希代之・町費ら勤皇派、この時のある噂に反応 |
| 曹操領となった平原の袁尚への離間工作で評議 吾玄編>339、374、403 |
諜報部末端構成員>334 「柴桑兵倉ABC」>363
後の吾玄隊? 熱血廷臣>361 涼文官(後の長史)>468 参加 |
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| 10月 | 袁奉が第二軍へ移動>419>453 | このころ町費が密かに帝に謁見? |
| 洛陽攻略戦>431、455、479、493、521、 556(函谷関の戦い) |
「援軍なし」縛りルール 馬参の過去が文中で明かされる 難攻不落の城攻め。蛮兵主体・索敵戦術・衝車7台・崩壁三つ、と今までとはちょっと違った戦い方。廖影と町費が涼王の許しなく参加。後に問題となる。 一騎打ち (○陸遜―臧覇) (○町費―魏続) 洛陽太守韓玄は斬 軍師荀ケは放 |
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| 涼王、美少年親衛隊「桃巾賊」結成>512 旅の占い師初出>545 郭図公則、洛陽太守から第四軍団長の地位を窺う。投票の結果見合わせ 希代之に部下2名仕官す「ふたりあわせて島左近」>471 洛陽を涼の首都と定め、長史府を置く 郭図“閣下”と廖影があやしい接近 |
【206年1月】 ×××××××××××晋陽××××薊×××××××北平×××××××× 西涼★┓×××上党┏━━▽━━━━▽━━━━┳━━━━▽━━━▽遼東× ×××┃×××××◎┓×××業?┏━━━┳━◎渤海┏━┛××××××× ×××┃×弘農××┃┗━━━━━◎━┓×┗━━━◎平原×× 西平★┫×┏★━┓┃洛陽××陳留┃×┃┏━━━◎┻━┓× ×××┃×┃××┗B━━━┳━━◎×┗◎濮陽×済南×┃× 天水┏★×┃長安×┗┓宛┏◎許昌┗━━┫×××┏━◎┛×× ××┃┗━★━━━━@━┛┗┳━━◎━◎小沛×┃×北海 ××┃×┏┛××××┣━━━◎━┓礁 ┃┏━━┛ 武都★━★漢中×新野★×××汝南┗┓×┗◎下丕? ××××┃┃上庸××┃襄陽××××┃×┏┛××× ★=呂砲 ×倍★━┛┗★━━━★━┓××寿春◎━◎広陵×× @=第一軍(呂砲軍) ××┃×××┃永安┏┛┏★江夏×┏┛×┃×××× A=第二軍(吾玄軍) ××┣━┓×★━┳★━┫┗━┓┏┻━━◇┓抹陵× B=第三軍(馬参軍) ××┃巴★━┛×┃江陵┃柴桑┗◇廬江×┃┃××× ▽=袁譚 成都★━┛×武陵★××A━━━┫×┏━┛┗◇呉× ◎=曹操 ××┣★建寧××┣━★┛×××◇━┛××┏┛×× ◇=孫策 永昌★┃××零陵★×┃長沙××翻陽×××┃××× ××┃┃××××┗★┛×××××××会稽◇× 三江★┛××××桂陽××××××××××××
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| 年/月 | 記事 | 詳細・備考 |
|---|---|---|
| 206年1月 | 郭図公則、洛陽太守に就任 洛陽守備隊の素敵なメンバー発表>609>21 |
黄忠 潘璋 袁胤 華キン王塁 |
| 副官たちの夕べ編>590〜 洛陽事件編 |
文官達の噂>17 池田屋主人>19 初出 町費、帝より密かに雌雄一対の宝剣を賜る>53 |
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| このころ流行病が猛威を振るいました いろいろ、呂砲殿下への声援のお言葉も頂きました |
郭図公則様支援倶楽部会員初出>145 郭図公則様の姿が洛陽のあちこちで目撃されるようになる |
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| 翻陽攻略戦>156、177、199、239 第二軍9部隊109500、呉軍20部隊187000 |
吾玄編からの続きです。孫呉を憎むこと業火の如き吾玄、不安と共に彼を気遣う袁奉。敵正規軍の全滅で勝利を得たが、振り返ってみると、実は結構危ない戦だった気がする。 心に残るシーンが多い。 |
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| 4月 | 町費、洛陽にて黄忠と馬参に接触>255〜 第二軍内部で不穏な噂が流れ始める>280 廖衛将軍府(主簿)>265 弐番支援会支部(315番目の草)>285 初出 |
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| 洛陽――人集う都市編>288、332、358、399 | ||
| 上党攻略戦>409 | ||
| 許昌攻略戦>439、455、486、506 皇帝に謁見525 漢朝復興宣言>535 久々のKIN>540 |
一騎打ち(○町費―曹遵) | |
| 番外編>559、586 波紋編>602、631 >30 |
第二軍内部で吾玄と袁奉の兵が衝突>553 涼王、荒藻之藻垣帯病に罹る。また、「間違って上書き」「保存前に停電」などの天災に見舞われる |
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| 江夏太守呉巨、廬江へ侵攻 | 増援の派遣を巡り吾玄と袁奉の対立が決定的となる | |
| 7月 | 呉巨の軍令違反の件で許都にて裁判。斬刑となる。 | |
| 業?攻略戦>55,75 | 敵総大将曹丕・軍師荀ケ・そして“ヤツ”。敗戦・衝撃・波紋。 |
希代之副官ギャラリー
――本編登場人物の一人、希代之副官殿作成のCG絵画展です――
(作成順)
大涼旗 馬参隊軍旗
郭図公則隊軍旗 町費隊軍旗
吾玄隊軍旗 普通の鼎
おめでたい鼎 廖衛隊軍旗
袁奉隊軍旗 呂砲隊軍旗
希代之隊軍旗 吾玄と袁奉
「武鵜、あの敵が来る前に逃げるよ!」 おねぇさん怒る
玉座 通常の3倍の速さで走れる赤兎