代理戦争〜その二〜
━━翻陽。池田屋
老人が案内した“治療院”の屋号は「寺田屋」。
如何にも高そうな店だった。
「ご老人。もう少しよく噛んだ方がよろしいのではありませんか?」
参露の善意の言葉だったが、老人は構わずに出された料理を口にほうり込み、そのまま胃の中に流し込んでいる。
この老人、食事中に話し掛けられることを嫌う質らしい。
苦笑した参露は、自分に出された料理を楽しむことにした。
「ようやく満ち足りたわい……いや、何とか骨もくっついたようじゃ」
膨れた腹をなでながら、老人は満属そうな吐息をついた。
「快癒されたようで、安心しました。後遺症に悩まれることにでもなれば、寝覚めが悪くて仕事にも集中できません」
微笑む参露を、老人は値踏みするように見つめた。
「仕事か……服装を拝見するに、貴殿は第二軍の武官ではございませんな?」
満腹で気が安らかになったのか、老人の口調は丁寧なものになっている。
「おっしゃる通りです。軍察監の参露と申します。三日前に到着したばかりです」
「軍察監? ああ、そう言えば、前の軍察監は戦死されたのでしたな。おいたわしいことであったが」
「軍察監とはいえ、武官であることに違いはありません。戦死の危険性は、前任者も折り込み済みだったでしょう」
「いやいや。死んだことを言っているのではあり……グェップ……ありませんぞ」
老人は大きなゲップをした。
「戦死に至る経緯のこと。何ともお気の毒ではあった」
「経緯? お気の毒?」
参露は眉をひそめた。
前任者については、大激戦となった翻陽攻略戦のさなかで、壮烈な戦死を遂げた、としか聞かされていなかった。
吾玄が、前任の軍察監に急に疎遠な態度を取るようになったのは、翻陽攻略戦を開始する一月ほど前。
前任者は狼狽した。
疎遠にされる覚えなどまったくなかったが、吾玄の態度は徹底していた。
前任者は何度も吾玄との面会を求めたが、その都度冷たくあしらわれた。
上に立つ者の態度は、下の者たちにも伝染する。
やがて、第二軍の武将や校尉はおろか、兵までもが前任者を軽く扱うようになった。
新興勢力たる涼の軍察監職を任されるだけあって、前任者は優秀な男だった。
同時に、人並み以上の自尊心もあった。
自分に落ち度があったのではないか、という悩みと、兵にまで馬鹿にされる屈辱。
次第に前任者は、ノイローゼとなっていった。
そして、翻陽攻略戦。
吾玄の目を自分に向けるため、前任者は本来の自分の任務を放棄した。
圧倒的多数の呉軍相手に、一本の剣を振るい続けた前任者は、やがて力尽き、呉の兵卒たちが突き出す槍の串刺しとなった。
老人の説明に、参露は思わず身を震わせた。
初めて耳にする、前任者の苦悩。そして死。
なぜ吾玄は自分を嫌うのか―この三日間、ずっとそう考えていたが、違った。
吾玄は参露を嫌っていたのではない。
“軍察監”を嫌っていたのだ。
「……いったいなぜ」
猛烈な理不尽さを感じながら、参露はようやく言葉を発した。
「なぜ軍団長殿は……さように軍察監を虐げるのでしょうか?」
「う〜ん……理由まではわしも知らんが……」
老人は首をひねった。
「翻陽戦の折り、吾玄将軍は尋常ではなかった。戦場にあるがゆえの狂気……それとはまた別のものに追いやられていると感じたな。案外、そこらへんに理由があるのやもしれん」
「まるで、軍団長殿にお会いしたことがあるようなお口振りですね」
「うむ。お目通りいただいたことがある。ちょうど戦さの最中であったが」
「ほう……」
参露は目を細めた。
「ご老人。その話、詳しくお聞かせいただけませんか?」
━━翻陽。第二軍本営
なんとも煩雑。
吾玄の副官となって一月余り。草が抱いた、副官職への率直な感想だ。
とにかくやることが多い。
吾玄隊の訓練や補給状況の確認は当然として、第二軍全体のそれにも目を配らなければならない。
決済が出た報告書はすべて記録し、それに伴い業務の発生する部署へ伝達。時には自ら出向いて説明する。
上がってくる報告書は、抹陵の魏軍に関する報告から酒楼での喧嘩沙汰まで、それこそ千差万別。
一週間でもほおっておけば、吾玄の執務室は、未決済の竹簡で埋まってしまうだろう。
軍とは竹簡で動くものか、と呆れる毎日だった。
涼軍揚州方面の最高司令官だけに、吾玄との面会を求める人間は、それこそ星の数ほどいる。
その申し込みをひとつひとつ選別し、吾玄のスケジュールに合わせるのも、草の仕事だ。
「吾玄将軍にお会いしたい」
そう告げるみすぼらしいなりの老人を制したのは、別にいじわるしようという気持ちが湧いたからではない。
「まずは名前を。それから軍団長に何を申し出るつもりなのかを告げよ」
当然の職務を遂行する草に対し、老人は尊大に鼻を鳴らした。
「フン? 吾玄将軍は民への御慈愛深きお方と聞いているが?」
「その通りだ。だが、それを傘に着てもらっても困る」
吾玄の副官となって以来、この手の煽りを入れる人間にも慣れてきている。
草は表情一つ変えず、道理を述べた。
「おぬしのように、軍団長に面会を求めてくる者は多い。いちいち応対していては、軍務遂行に差し障る。そのための措置だ」
「さして時間は取らせぬつもりだがのう」
「みんなそう言う。そして、長居する」
「若造。わしをさような愚者どもと同列に見なすか?」
「どこかで線を引かねばならんのだ。さもなくば、組織は立ち行かん」
「フム。言っていることの筋は通っているな」
老人はあっさり肯いた。
「それでは、吾玄将軍に御伝言をお願いしたい。先の戦さの最中に知己を得たジジイが会いに来た、と」
夜、寺田屋。
「ご老人。羽振りが良いようですな」
からかうように吾玄が言ったのは、店の主人が老人に対し、「またお越しいただきまして」と慇懃な礼を取ったから。
この寺田屋は、校尉クラスでもなかなか入れない高級店として、翻陽でも知られている。
「いやなに。今日ここで、さる人物から馳走されたばかりでございましてな。食い逃げする体力もとうに失せたによって、ここをくぐるのは、これが二度目にございます」
「今宵は心配なさらぬよう」
吾玄は笑った。
「貴殿の制止なくば、翻陽の攻略はならず、そして私も死んでいた。今宵はあの時のお礼だ。存分に楽しんでくだされ」
「将軍。優秀な副官を見つけられたようでございますな」
吾玄の背後に立っている副官を見ながら、老人は言った。
「私めのようなジジイに対しても、決して居丈高になることなく、道理でもって対応なさる……お若いのに、なかなかできた御仁と存じます」
「掘り出し物だ」
吾玄は肯いた。
「副官職というものは、がさつな人間には任せられぬからな。この者のおかげで、仕事もかなり楽になった」
突然話を振られ、背筋を伸ばす草に対し、吾玄は同席するよう薦めた。
「それがしは殿の護衛役にございます。どうかお気遣いなさらぬよう」
草は慌てて首を振ったが、吾玄は強引に草を座らせた。
「おぬしが私の副官となって一月余り。まだ一日も休日を与えていなかったな」
そう言って杯を差し出す。
「残念ながら、まだ当分休みはやれぬ。その代わりと思え……御老人、よろしいかな?」
「もとより。人数の多い方が、酒もうまくなりましょう」
草は、恐縮して吾玄からの杯を受けた。
手が震えている。
草のような細作にとって、将軍、ましてや七同志から杯を受けるなど、普通なら絶対に考えられない恩恵だった。
今の草の心境を一言で表すなら、“感激”。
郭図公則の命令で第二軍に潜伏した細作という立場を、草は束の間忘れた。
しばし酒が進んだところで、老人は言った。
「実は、ぜひ将軍に会っていただきたい人物がおりましてな。別室にて待たせておるのですが」
「ほう?」
杯を止めた吾玄は、興味深そうな顔をした。
「貴殿の紹介とあれば、会わぬわけにもいくまい。通してくれ」
「ありがたき仰せ。彼の者も喜びましょう」
老人は手を叩き、女中に「待ち人をこれへ」と告げたが、やがて現れた男を見て、草はうめき声をあげた。
「初めて御意を得ます」
そんな草には見向きもせず、待ち人は吾玄に拱手した。
「第二軍軍察監を拝命いたしました参露と申します。軍団長殿にはご機嫌麗しゅう」
温和だった吾玄の顔は、その名を聞いた途端、冷たい無表情になった。
「聞けば、将軍は日々忙しく、着任のあいさつすらままならぬ、と聞き及びました」
ジロリと自分を睨みつける吾玄に対し、老人は若干慌てたように釈明した。
「軍察監殿には一食の恩がございましてな……今宵、将軍が私めとお会いしていただけるのなら、そのついでに、と頼まれまして」
「さようか」
声を和らげる吾玄だったが、参露の方を見ようとはせず、そのまま立ち上がった。
「ご老人。会計は済ませておくによって、ゆっくりしていってくれ」
「し、将軍。私は何かお気に障ることをしたのでしょうか?」
驚いたように声をあげる老人に対し、吾玄は「次はいつ会えるとも知れぬが、体を大切にな」と優しく告げた。
ここで吾玄に帰られては、次の機会がいつあるかわかったものではない。
「軍団長殿!」
草とともに部屋を出ようとした吾玄を、参露は舌鋒鋭く制した。
「現在、第二軍に巻き起こりし危機! これがさる人物によって引き起こされたものであること、軍団長殿はご存知でしょうや?」
ビクリと草が振り返った。
そして、吾玄もゆっくりと参露の方を見た。
自分に向けられた吾玄の表情に、参露の背筋は凍った。
“鬼の吾玄”。
吾玄がそう称される所以となった表情を、参露は初めて見たのだ。
「すまぬが、ご老人」
参露を見据えたまま、吾玄は言った。
「お引き取りいただけぬかな? 何やら軍機に属する話になりそうなのでな」
吾玄の豹変振りにキョロキョロしていた老人は、参露が肯くと、半分安心したように、そして半分後ろ髪引かれるような思いで、席を立った。
「それでは吾玄将軍。御武運をお祈りしております」
退出際そう告げたが、吾玄からの返答はなかった。
「軍団長殿。お人払いをお願いいたします」
対面する人物の威圧感に必死で抵抗しながら、参露はそう申し出た。
「ここには私と副官、そしておぬししかおらぬ」
「はい。それがしは副官殿に席を外していただきたい、と申しております」
「おぬしの話は、私からこの者に告げられる。いてもいなくても同じことゆえ、気にいたすな」
「話を副官殿に告げることは、それこそ軍団長殿の判断。それがしに口を挟む筋合いはございませぬ。なれど」
参露は腹に力を込めた。
「軍団長殿が先ほどおっしゃった通り、事は軍機に属します。それも極めて高度な。軍団長殿には何とぞ御理解いただきたく」
「それがしは、殿の護衛役としてここにいる身」
割り込むように、草。
「抹陵攻めを前に、殿は大事なお体です。お側を離れるわけには参りませぬ。それがしのことなど、路傍の石とでも見なしていただければ、と存じます」
どうやら軍察監は、吾玄と袁奉の離間について、何かを知っているらしい。
離間を成した張本人としては、ここを離れるわけにはいかなかった。
「そういうことだ。軍察監よ」
草の思惑とは別に、吾玄は言った。
「言いたいことがあるなら、さっさと話せ。言えぬのなら仕方ない。私は失礼させてもらう」
小さなため息をひとつして、参露は渋々従った。
人間の洞察力には限界がある。
自分の目の前にいる副官が、離間を成した郭図公則配下の細作であるなど、参露は知る由もない。
もし知っていたなら、ため息だけでは済まなかっただろうが。
三日間ため込んでいた言葉を、ようやく口にできる。
ひとまずホッとした参露だったが、すぐに己の任務を思い出した。
希代之の言葉を伝えるだけなら、ただの御用聞きでもできる。
今、第二軍に存在する“危機”を吾玄に認識させ、かつその“危機”が起こるに至った背景を知らしめ、その上でさらなる郭図公則配下の第二軍内での暗躍を阻止する。
自分が翻陽に派遣されたのは、まさにそのため。
だが、少なくとも吾玄には、参露の任務を完遂させてやる義理も意志もなかった。
「第三軍が業βにて敗北を喫しました」
「らしいな」
「第三軍の損害は甚大。しばらくは外征も望めないでしょう」
「だろうな」
「さらには魏が流した馬参将軍に関する噂のため、許昌も現在、混乱の中にあります」
「らしいな」
「馬参殿の処遇について、朝廷が殿下に圧力を加えております。このため、第一軍もまた、しばらくは軍を動かせない状況です」
「だろうな」
「先日、漢中では民の暴動がありました。張魯将軍の死に便乗して、民を煽る不埒者がいたとか」
「そうか」
「涼全土に不安が増大しております。これ以上、内外に失点を晒すわけには参りません」
「そうか」
「九月に第二軍は、抹陵への侵攻を開始するとか」
「さてな」
「勝算の方は如何ほどでございましょうや?」
「さてな」
禅問答のような会話に、参露は激しい苛立ちを覚え始めている。
なぜこの男は、こうも無関心でいられるのだろう。
しばし口を止め、吾玄の顔を見る。
椅子に深くもたれかかり、参露を斜めに見下ろしていた吾玄は、「続けろ」とばかりに顎をしゃくった。
高圧的な態度だった。
七同志にして、第二軍団長の吾玄。
ここ翻陽では、吾玄が「黒」と言えば、すべてが「黒」になる。
対する参露は、筆頭軍師の配下にして、一軍察監。
身分が違い過ぎる。
にもかかわらず、参露が吾玄の高圧的態度に簡単に反応してしまったのは、この三日間、謂れのない無視に苦しみ続けた反動と、参露自身の若さゆえだった。
「軍団長殿!」
顔を引き攣らせながら、参露は声を張り上げた。
「ここで第二軍まで敗れるようなことになれば、涼全体が揺らぐのです! それなのに、今の第二軍は深刻な危機にある! その意味をご理解されておられるのですか!」
参露の“無礼”に対し、吾玄は眉をひそめただけ。
代わって怒声を上げたのは、草の方だった。
「その言い草は何だ!」
草にしてみれば、参露が第二軍分裂に関する何かを話そうとしている以上、できることならその口を閉じさせてしまいたかった。
だがそれ以上に、身分をわきまえない言葉を吾玄にぶつける参露に対し、いいようのない怒りを感じていた。
「何を語るかと思えば、殿への謂れのない非難中傷か! 無礼者め、今すぐ謝罪せよ! さもなくば、ここで切る!」
参露を黙らせるための怒声のはずだった。
しかし、怒鳴りながら草は、不思議な感慨に捕らわれている。
吾玄に無礼を働く男に対し、演技ではなく、本気で怒っている自分がいる。
(おい、わかっているんだろうな……これは演技なんだぞ)
剣の鞘に手をかけ、参露を睨み付ける草は、心の中で自分にそう言い聞かせている。
舌戦が始まった。
「副官如きは黙っておれ! それがしは軍察監ぞ!」
「それがどうした! ここは翻陽! 第二軍の管轄下だ! 筆頭軍師の威が通用するとでも思ったか!」
「それがしは、第二軍の危機を軍団長殿にお知らせするために参った身! 貴様に口を挟まれる筋合いはない!」
「ならば相応の礼を取れ! 筆頭軍師の茶坊主が翻陽でも重用されると思ったら大間違いだぞ!」
草と参露が“言葉の剣”を激しく交えている間、吾玄は黙って杯を口に運んでいた。
罵り合う草と参露だったが、舌戦しつつも、吾玄の方にチラチラと目が行ってしまう。
別に、吾玄が舌戦に介入することを期待、あるいは警戒していたわけではない。
無言ではあったが、吾玄の不機嫌さがいやでも伝わってくるのだ。
これが余人であったなら、不機嫌だろうが不服であろうが知ったことではなかった。
だが、ここでは意識するなという方が無理だった。
無視するには、吾玄の存在感は大きすぎた。
涼第二軍団長、安南将軍、吾四則。
この時、26歳。
草や参露より、年下だ。
乱世とはいえ、この若さで万余の兵を預かる者などそういない。
これが王侯貴族の子弟ならまだしも、吾玄は元は庶民の出なのだ。
そして今の吾玄は、そこらの将軍らを遥かに超絶した力を持っている。
この若者が率いる涼第二軍は、総勢11万。
吾玄が指一本動かすだけで、その11万は生きもするし、死にもする。
それだけの責任と権限を、自らの才覚でもって手にした若者は、十年や二十年の人生経験の差ではカバーしきれないオーラを放っている。
それが七同志であり、そして軍団長。
この広大な大陸を蹂躪する力を持つ者。
そんな男を前にしての舌戦は、いつしか尻すぼみとなり、やがて沈黙へと変わった。
「参露と申したな」
決まり悪そうに二人が黙ったところで、吾玄は静かに口を開いた。
「私はいらぬ前置きを好まぬ。要件を申せ。この際だから、聞くだけは聞こう」
吾玄の言葉に、参露は「ははっ」と答えた。
答えたところで、なぜ自分がこうも謙っているのか、と憮然とする。
形こそ違えど、自分自身にとって意外な心情、という意味では、草が今し方抱いた感情と同じだった。
「それでは、単刀直入に申し上げます」
参露は居住まいを正した。
「筆頭軍師・英傑様は、第二軍が現在置かれている状況を、憂慮すべき事態と受け止めております。憂慮すべき事態とはすなわち」
もう、草が横槍を入れてくることもない。
参露は言った。
「軍団長殿と副将殿の不和。そしてこれに伴う第二軍の分裂にございます」
「筆頭軍師がどこからその話を仕入れたのか知らぬが」
答える吾玄は落ち着いている。
「私と袁奉の間にいさかいがあったことは事実だ」
「第二軍諸将全体に起こった分裂も?」
ここが正念場と思いつめ、参露は畳み掛ける。
しかし吾玄は、拍子抜けするほどあっさりと認めた。
「それも事実だ。そして、今でも何人かの武将は、私と口を利こうとしない」
そう言う吾玄は、むしろ淡々としている。
「我が身の不徳を悔やんでおるところだ」
「拝聴いたしますに、軍団長殿はこの事態を、深刻に捉えておられないように感じますが?」
「その通りだ」
「なぜです?」
「組織は複数の人間によって成り立つ。複数の人間がいれば、複数の見方ができる。複数の見方は、時としてぶつかり合う。珍しいことではない」
「袁奉将軍との不和は、ただの意見の相違に過ぎない、と?」
「その通りだ」
「単なる意見の相違で片づけるには、かなり根の深い対立と拝見しておりますが」
「外からはそう見えるかもしれん。だが、実はそうではない」
「修復は可能、と?」
「可能だ」
「その目処はついているのでございましょうか?」
「愚問だな。人間関係の変化に予定など立てられるものか」
「しかし、抹陵攻めはあと二ヶ月後と聞いておりますが」
「それまでには何とかするつもりだが、私は心配していない。敵を目前にして、なおも仲違いを続行するほど、我らは愚かではない」
はぐらかされてしまったが、伝えるべきことはまだ残っている。
参露にしてみれば、現実に起こってしまった第二軍の分裂よりも、これから話すことの方が重要な意味を持っている。
何といっても参露は、希代之が派遣した男。
そして希代之の政敵は、言うまでもなく郭図公則にほかならない。
「それでは、軍団長殿」
参露は吾玄に気付かれないように、息を整えた。
つい先ほど吾玄が見せた“鬼”の表情。
あれは心臓に良くない。
「軍団長殿がおっしゃる意見の相違……これがさる人物によって引き起こされたものかもしれぬ、という話については如何?」
「興味ある話だ」
先ほどとは異なり、今度の吾玄は至って平穏な顔をしている。
「傾聴しよう」
吾玄と袁奉の仲を引き裂く結果を招いた江夏軍の廬江侵攻は、洛陽太守・郭図公則の策謀によって実動されたもの。
証拠はないが、筆頭軍師は確信している―。
参露は、それこそ言葉の限りを駆して説明した。
傍らに控えている草が、顔を引き攣らせた(参露はそれに気付かなかったが)。
だが、肝心の吾玄は冷笑を浮かべていた。
「しばらく会わぬ内に、筆頭軍師は妄想癖でも付いたか」
吾玄は侮蔑の色を隠そうともしなかった。
「郭図公則は以前の同僚ではないか。それを証拠なしで、よくもそこまで貶められるものだ」
郭図公則の犯した罪過を告げたつもりだったのに、参露の上司の批判へと話は変わってしまった。
吾玄と希代之の間には、消し去りがたい、そして忌まわしい過去が横たわっている。
その過去を知らない参露(草も)にしてみれば、吾玄の反応はまったくの予想外だった。
「仮に筆頭軍師の妄想が事実だったとしてみようか」
空になった杯を草に突き出して、吾玄。
慌てて草が注ぎ足した酒を、吾玄は一気に飲み干した。
「目論見通り、私と袁奉の離間が成った。計略は成功したわけだ」
吾玄は、もう一度杯を草に突き出した。
くだらない。飲まねばやっていられない。
そんな態度を隠そうともしなかった。
「で、郭図公則は何を得た? あるいは、今後それをどのように生かす?」
吾玄と希代之は、七同志。
同じ七同志とはいえ、郭図公則はその中では異端ともいえる立場。
証拠がないとはいえ、希代之の直感となれば、吾玄も理解してくれる。
無条件にそう思っていた参露が、吾玄の問いに答えられるわけもなかった。
部屋を出る間際、吾玄は言った。
「筆頭軍師に……いや、希代之に伝えよ」
その固有名詞を口にした時の吾玄は、目に憎悪を宿らせていた。
「私は多忙だ。おぬしの戯れ言にかまっている暇はない、とな。ああ、それと」
吾玄の最後の言葉には、憐憫の情が含まれていた。
「おぬしは軍察監の職務に集中することだ。あやつの妄想に付き合う必要もあるまい」
主賓のいなくなった卓を、参露は力いっぱい殴り付けた。
吾玄の護衛役を終えた草は、官舎の門をくぐった瞬間、どっと疲れを感じた。
正直、意外だった。
江夏軍を煽動したのは郭図公則であることを、筆頭軍師は正確に洞察していた。
自分が策動の張本人であることまではさすがに知り得ないだろうが、今後は注意する必要がある。
帰り際、軍察監を監視してはどうか、と草は提案したが、「無意味だ」と吾玄はすげなく却下した。
第二軍として監視できないのであれば、郭図公則から預かっている細作を使うしかない。
郭図公則が涼最大の細作団を擁するとはいえ、さすがに揚州に回している細作の数は多くない。
しかし、あの軍察監を野放しにしておくのは危険だ。
そう思いながら自室に近づいた草は、急に全身を緊張させた。
自分の部屋に、人がいる気配があった。
懐剣をそっと抜き、音もなく入り口へ近づく。
筆頭軍師の手の者か? あるいは、軍察監本人?
少なくとも今の段階では、参露が草をターゲットにするはずもないのだが、さっきのこともある。
(……誰だ?)
懐剣を握る手に、ジンワリと汗がにじむ。
鼓動が速くなる。
できることなら、殺さずに捕らえ、口を割らせなければならない。
あくまでも、できることなら、ではあるが。
そんな緊張感は、部屋から出てきたとぼけた声で破られた。
「おう。帰ってきたか。遅かったな」
聞き覚えのある声だった。
ハッとして部屋に走り込むと、草の寝台に一人の男が横になっていた。
「お、おぬし!……いつ翻陽へ?!」
驚愕する草に対し、男はあくまでもとぼけた声で答えた。
「ついさっきだ。勝手に待たせてもらったぞ」
男は、郭図公則細作団支援隊員。
洛陽で草と同僚だった細作だ。