副官たちの夕べ
━━宛、軍師府
2人の男が、一室で話し合っている。
一人は、涼筆頭軍師・希代之の護衛隊長。
もう一人は、つい先日洛陽から到着し、希代之の副官に就任した男。
「どうしても我慢ならんのだ!」
こめかみをひくつかせながら言うのは、護衛隊長。
「函谷関での勝利は、町費将軍と廖影殿のご活躍があってこそ! 町費隊の出撃なくば、第三軍は撤退を余儀なくされていた!」
副官は軽く相づちを打ちながら、先を促す。
「町費将軍と廖影殿は、殿下のため、そして皇帝陛下のため、危険を承知で戦場へ赴かれたのだ。それを承知していながらの副軍師殿の言! とうてい許せぬ!」
「声が大きいぞ。話が話だ。もう少し落ち着けよ」
「これが落ち着いていられるか!」
「かような話、漏れれば殿にも迷惑をおかけすることになる。だから落ち着け」
「ぐ……」
敬愛する上司に迷惑がかかると諭され、護衛隊長はさすがに声を詰まらせた。
「まあ、副軍師殿の言が極端なのはその通りだ。だが、冷静に考えてみたまえ。いくら軍令違反を犯したとはいえ、殿下が七同志に極刑を与えるわけがないだろう」
なだめるように副官は、かつての学友に語り掛ける。
しかし、護衛隊長の苦虫を潰したような表情は変わらない。
「それがしだって、そう信じたい。しかし、最近の殿下はお変わりになってきたというではないか」
「確かに変わったのかもしれない。だが、今のところは噂の域を過ぎていない。とにかく、君がそうカッカしていると、殿の護衛任務にも支障をきたすぞ」
「そ、それはそうだが……」
「副軍師殿のアクの強さは筋金入りだ。こたびの言で、さらに敵を増やすことも考えられる。町費将軍らは寛大な処置で済んだし、将軍らを擁護した殿の名声も高まった。結果は悪くない」
「君は本当に冷静だな。うらやましい」
「君が熱すぎるだけだよ」
そう言われ、護衛隊長は照れくさそうに笑った。
「だが、とにかく」
護衛隊長は声を潜めつつも、力を込めた。
「副軍師殿には注意を払わねばならん、と思う。いや、それだけでは不足だ。もっと根本的な手を打たねば」
「根本的、とは?」
「我が細作……いや、言えば君にも迷惑がかかる。これはそれがしの一存でやるべきことだ。言えぬ」
「副軍師殿を暗殺するか?」
「!……どうしてそれを!」
「何年の付き合いだと思っている? それに君は正直過ぎるよ。すぐ顔に出る」
顔を赤くする護衛隊長を見て、副官は尋ねた。
「どうもその様子では、洛陽へ細作を配する準備は進めているようだな?」
「お見通しだな……そうだ。7人。既に洛陽へ向かっている」
「なんだって?! それはいかん!」
副官の顔から血の気が引いた。
「仮にも副軍師殿は、殿とともに涼の智の双璧として君臨してきたのだぞ。それが暗殺されたとあっては、ただではすまぬ。それに」
先日まで滞在していた洛陽の様子を思い出し、副官は告げた。
「今の洛陽は、ちょっとした細作歓楽街だ。敵味方問わず、細作たちであふれている。それだけ事が露見する恐れも大きい。そうなれば君と私だけの首で収まらない。殿までが死を賜ることだって、十分にありうる」
「殿が! いや、それはまずい!」
本気で慌てる護衛隊長。
興奮すると、見境がなくなる性格は変わっていないな、と副官は思った。
そこらへんは、荊州の大商人の息子として、常に情報収拾と分析を欠かさぬ教えを受けてきた自分との違いだ。
まあ、それだけ性格が違うから気が合う、という面もある。
「とにかく、殿に仔細伝えなければ……手後れにならなければよいが……」
かつての学友が涼に任官したと聞いた時、しかも筆頭軍師の護衛隊長となったと聞いた時、副官は喜んだ。
既に先の見えている漢より、日の出の勢いの涼の方が出世もできるし、将来的なものも確保されよう。
何より彼は、旧来の社会から新しい社会へと変わりつつあるこの時期、新興勢力・涼を期待の目で見ていた。
だからこそ、旧友から希代之の副官としての任官を勧められた時、何よりも恐ろしい父親の顔を思い浮かべながらも、家出同然で宛へとやってきたのだ。
初めて希代之に面会したのは、昨年10月のこと。
希代之はこの年、29歳。自分より数年年長なだけだが、「地位は人をつくる」の格言通り、涼の筆頭軍師にふさわしい威光を放っていた。
何かとマイペースな彼も、この時ばかりはさすがに体が硬くなった。
「希代之様のため、そして涼のため、粉骨砕身の決意で働く所存にございます!」
それに対し、これから自分の上司となる男は、穏やかな口調で言った。
「それに『漢朝のため』、と付け加えてくれるなら、私としてもうれしい」
副官となる男は、慌てて「漢朝のため」と付け加えて言い直した。
その時は、別段深く考えていなかった希代之の言葉。しかし任官して3カ月がたち、その重みを副官は実感するようになっている。
彼の上司は、心から漢室への忠義を抱いている。
もはや斜陽の極致に達している漢室を、新興勢力の中心人物がこれほどまでに大事に思っている。
この認識は、それまで外から涼を見つめていた彼にとって、新鮮な驚きだった。
そして同時に、商人の出らしい計算も働いた。
漢室が洛陽に都を構えて約200年。衰えたりとはいえ、民衆の漢室を慕う気持ちは依然強い。
冷静に考えれば、今の情勢の中で、漢室が再び力を盛り返すとは思えないが、要はやり方だ。
上司を支え、希代之を「漢室復興の忠臣」とすることができれば、そこから得られる価値は、軍師付き副官とは比べものにならない。
(難しければ難しいほど、返ってくる利益は大きいものだ)
ハイリスク・ハイリターン。
彼の父親もまた、そのやり方で荊州の一大富豪へと上り詰めたのだ。
━━宛、廖影邸
竹簡にじっと目を通していた廖影は、やがてため息をつき、目の前にいる男に深々と頭を下げた。
「このたびは本当にお世話になった。副軍師殿、そして貴殿には感謝の言葉もない」
「さようなことをされるとこそばゆい」
男は、廖影に顔を上げるよう告げた。
「ともに涼王殿下に仕える仲間……いや、同志ではないか。『七同志』に名を連ねるほど大層なものではないがな」
笑いながらそう答えたのは、郭図公則の細作頭だった。
「文には、髪飾りに服、それに貯金も増えて…と書かれていた。しかも彼女は、これをそれがしの処置によるもの、と誤解しているようだ。即急に文を送り、貴殿らのご好意であることを知らせよう」
「いやいや、それには及ばず」
「しかし、こうまでされては、それがしもこの恩に報いることができぬ」
「恩などとお考えあるな。郭図公則様は、以前から貴殿を高く評価されていた。とはいえ、貴殿は廖衛将軍の配下。その気持ちを形で表すことは、廖衛将軍の体面にもかかわるから、これまで控えておったのだ。今回その念願がかない、郭図公則様が一番喜んでおられる」
「副軍師殿は……それほどまでにそれがしを……」
「まったく私の身にもなってほしいものだ」
細作頭は冗談めかして言った。
「郭図公則様は常々、『優秀な副官がいる廖衛がうらやましい』と私に皮肉を言うのだ。そのたびに私は小さくなっているよ」
「いや、本当に申し訳ない」
「ハハハ。なに、私も十分に自覚している。だからこそ、貴殿に負けぬよう日ごろ忠勤に励んでいるのだ。今後も貴殿を良き好敵手と見ながら己を磨きたいと思う。そして時々こうして酒を交わせるのなら、なおありがたい」
廖影は、その言葉にパッと顔を明るくした。
「おお、願ってもない! こちらこそ、よろしくお願いしたい!」
だが、ここで廖影は再び表情を暗くした。
「しかし……副軍師殿はお怒りではないのか?」
「怒り? 誰に対して?」
「それがしに対して」
「なぜ?」
「なぜって……」
言いにくそうに廖影は口を開いた。
「洛陽軍の第四軍昇格の件……廖衛様が昇格に反対したことによって、副軍師殿の念願は潰えた……いやな、それがしも何とか副軍師殿のご好意に応えねばとは考えておったのだが、事が事だけに、軽々しく廖衛様に具申することもできず……」
「廖影殿、郭図公則様を見損なうな」
細作頭は、ここで初めて語気を強くした。
「郭図公則様がさようなことを当てにして、貴殿の願いを聞き入れたと本気で思っているのか?」
「いや、そういうわけではないのだが……」
慌てて首を振る廖影に、細作頭はピシャリと言ってのけた。
「郭図公則様は純粋に貴殿の武勇を愛で、その想いを貴殿に何とか伝えたい、と心から思っていたのだぞ。その想いに打算の入る余地など一片たりともない!」
「す、すまぬ。そういう意味ではないのだ。つまり……」
「そういう意味だ。貴殿の言っていることは」
細作頭の断言に、廖影は言葉を失った。
「非常に残念だ。まさか郭図公則様のご好意を、貴殿がそのように受け止めていたとはな」
「………」
「郭図公則様を落胆させるのは忍びないが、私はあくまでも副官。ありのままを郭図公則様に伝えねばならん。では、失礼する」
立ち上がった細作頭を、廖影は慌てて止めた。
「ま、待ってくれ! 決して他意があったのではない! 副軍師殿のご好意に応える一番の近道がこれだ、と勝手にそれがしが思っていただけのこと!」
廖影はしきりに恐縮している。
この男、その膂力は上司たる廖衛に引けを取らぬものを持っているが、根は謀略には向かない。
頭を下げている廖影に対し、細作頭は上司そのままの薄ら笑いを浮かべ、廖影が頭を上げるとそれを消した。
「わかってもらえたなら、良いのだ」
むしろ慰めるように、細作頭は言った。
「とにかく誤解が解けて良かった。これで私も、郭図公則様を失望させないで済む」
その言葉に、廖影は心からホッとした表情を見せた。
「生来の言葉足らずにて、まことに申し訳ない……頭殿、仲直りの意味も込めて、それがしの一献、受けてはいただけぬか?」
「ありがたくいただこう」
「廖影に楔を打ち込むことに成功いたしました」
廖影邸から帰還した細作頭は、直属の上司にそう報告した。
郭図公則は小さく肯いただけで、表情を変えなかった。
━━宛、酒楼
一人の兵士が、鯨飲しながらブツブツつぶやいている。
明らかに愉快な酒ではない。
「殿下はわかっておられぬ!」
酔っ払いつつも、可能な限り声を落としているのは、王の悪口を容認するほど、涼は万事寛容というわけではないから。
いや、これは涼に限らず、どの勢力においても同じことだが。
兵士は、町費隊配下の士長だった。
上官たる町費は、「勝手に部隊を動かした」として、謹慎2カ月の処分を受けている。
その間、彼が町費隊の練兵や資材全般の調達などにあたっている。
幸い町費の謹慎は間もなく切れるので、町費隊も晴れの許昌攻略には参加できるが、そのための準備は膨大なものだった。
ほとんど一人でそれを仕切ることになった士長は、それこそ目が回るような毎日を送っている。
夜に傾ける酒は、頑張っている自分へのささやかなご褒美。
ただし酒が入ると、ついつい不満を口にしてしまう。
函谷関の戦闘の後、第三軍団長の馬参は、町費に心からの謝辞を述べた。
―まさに紙一重の勝利であった。
―貴公の救援、そして奮戦あってこそ得られた勝利。とてもそれがし一人舞い上がることはできぬ。
―それがしは軍団長という立場にありながら、軽率に敵城へ乗り込み、己が命を軽んじた。
―貴公が援護してくださらねば、それがしは生きてここにいる事も無かった。改めてお礼を申しあげたい。
馬参の言葉が伝えられると、町費隊の兵たちは歓喜の声を上げた。
この戦いで、町費は自分より膂力の強い魏将を一騎打ちで仕留め、隊もまた、函谷関陥落の大きな原動力となった。
軍令違反による出撃、という不安はあったが、現場の最高指揮官自らが「町費隊なくして勝利はなかった」と明言してくれた。
これで苦労も報われる。褒美をもらって、国の家族に仕送りができる。
しかし、期待に胸を膨らませていた兵たちを待っていたのは、町費の謹慎2カ月、加えて函谷関での戦功を認めない、という涼王の決定だった。
考えれば考えるほど、腹が立つ。
功績だけの話ではない。町費隊の中から戦死・負傷した者も多かったが、涼王の決定はその存在すら否定するものだった。
すなわち、今回の戦闘による戦死者の家族には、通常支払われる見舞金も支給されない。
結局、町費は自分の財産を削り、それで得た金を戦死者の遺族に送ったのだ。
「クソッ」
小さく毒つき、杯を卓に叩き付ける町費隊士長。振動で酒壷がぐらつき、慌てて受け止める。
そんな彼に、声をかける者がいた。
「一人で不満を抱きつつ酒を飲んでも、うまくはないだろう」
見上げると、趣味の悪い桃色の装束に身を包んだ男が立っていた。
「同席してよろしいか? 私もちょっとした不満を抱えていてな。飲み相手がほしかったのだ」
杯が進むに連れて、士長の口は軽くなった。
自分が口にしているのは、涼王批判。
「やばい」「まずい」と思いつつも、気が付くと思いの丈を全てぶちまけていた。
桃色装束の男は、涼王の悪口が出るたびに、「その通り!」「殿、じゃなかった殿下は狭量だ!」「ついでにケチだ!」「さらに言うとスケベだ!」と大きく同意した。
「……こりゃまた、わしばかりグチをぶちまけてしもうたな」
ベロンベロンに酔っ払った士長は、男に話を振った。
「今度はおぬしの不満を聞かせてくれ……何でも同意してやるぞ、わしは今、酔っ払っておるのだ!」
「おおう! 聞いてくれるか、兄弟(きょうらい)!」
呂律の回らぬ口調で、桃色の男。こちらも相当酔っている。
「殿、じゃなかった殿下はな(ヒック)、最近夜街通いを控えておるんりゃバカヤロー」
「あん?」
不審そうに士長。
「それのどこが不満なんじゃ。わしらが必死こいて働いているのに、王が夜街通いなど不届き千万!」
「何を言うか!」
酒の力もあって、桃色の男はひるまず反論する。
「殿、じゃなかった殿下が夜街通いしないということはだな(ヒック)、私が官費で酒を飲めない(ヒック)……ということなんらろ!」
官費で酒をどーたらと抜かす、不届きな男。
こいつ何言ってんだ、と思った士長は、次の瞬間、一気に酔いが冷めた。
今、目の前でいぎたなく杯をなめている男……思いっきり親衛隊の人間ではないか!
桃色の甲冑を装備した親衛隊員は、普段着も悪趣味な桃色で通している。
そんな親衛隊を、涼王は皮肉を込めて「桃巾賊(とうきんぞく)」と呼んでいるらしいが、当の親衛隊はむしろそれを喜び、「涼の傾き者」を自称しているのだ。
(なんてこった!)
士長は愕然とした。
(よりによって、親衛隊に涼王へのグチをぶちまけてしまうなんて!)
恐る恐る声をかける。
「あ、あのお……」
「ん? なにさ?」
「あの、貴殿は……親衛隊の方では?」
「うん。親衛隊長」
「ゲゲゲゲェ!」
士長は卒倒しそうになった。
「し、親衛隊長殿。こたびの飲み代はすべてそれがしが持ちますによって、先ほどのそれがしの言、なにとぞ殿下のお耳には……」
何とか機嫌を取ろうとする士長。さっきのグチが、涼王の知るところとなったなら……いや、本当は親衛隊長に知られた段階で既にアウトなのだが、とにかく士長は必死だった。
しかし、親衛隊長の耳に入っていたのは、「こたびの飲み代はすべてそれがしが持とう」の一言のみ。
「え?! 奢ってくれるの!」
「だから、さきほどのそれがしの……」
「親父ぃぃ! 酒持ってきて! ここで一番高い酒ね! それと鍋底大根、あるだけ全部! ついでにちくわも! さらに焼きナス! んでもって鳥唐! シシャモも捨て難いな、もちろんお腹に卵たっぷりのヤツ! それからえーと」
町費隊に対する仕打ちで、涼王が嫌いになっていた士長は、親衛隊長を通じて、その想いをさらに強くした。