洛陽攻略戦〜その二〜
━━弘農。第三軍本営
出撃を前日に控え、第三軍将兵はその最終準備に余念がない。
とはいえ、第三軍にとって洛陽侵攻は、その発足当初から遡上に乗っていた作戦。
今更大慌てで、出師の陣容を仕上げるというものでもない。
堅城・洛陽攻略を目前にして、兵たちに多少の緊張の色はある。
ただし、良い意味での緊張。兵の動きは機敏で躍動感がある。
馬上から陣営を視察しながら、馬参は満足した。
馬参に気付いた兵たちが、サッと直立して軍団長を迎える。
兵たちの拱手に最初はいちいち肯いていた馬参も、やがて正面を向いたまま素通りする。
自分が今進んでいる場所だけでも、数千人に及ぶ兵がいる。
そのひとつひとつに対応していては、ほどなく首がいかれてしまう。
要は、自分の姿を兵たちに見せること。
それだけで士気が格段に違ってくることを、馬参は知っている。
兵糧庫前。
おびただしい兵糧が、馬車に積まれている。
作業はほとんど終わっているはずだが、多少はまだ残っていたらしい。
その積み込み作業をしている現場を見た馬参は、思わず馬脚を止めた。
ほんの数秒、立ちすくんでいた馬参は、何事もなかったようにそのまま歩を進めた。
ただし、後ろに控える副官に伝える。
「あそこで兵糧の積み込みを行っている兵な。体の大きいやつだ。後で本営に連れて参れ」
「まったく……七同志の副官ともあろう者が、何という無様な格好を」
しかめ面の馬参に、廖衛の影武者・廖影は顔を赤くしている。
廖影はいつもの武将装束ではなく、一般兵士と同じ服を大きな体に窮屈そうに収めている。
「して……殿下と廖衛からは、もちろん許可を得てのことなのであろうな?」
「実はそれが……」
馬参の言葉に、廖影は言いにくそうに告げた。
「お許しを得ることはかなうまいと思い……その……無断で……」
「なんだと!」
驚いた馬参は、思わず声を張り上げた。
「おぬし、廖衛の副官という立場を忘れたか! 第一軍も許昌攻略の準備を急いでいるというのに、自身の欲求の赴くままにそれを放棄したと申すか! 副官の役目を何と心得ておる!」
馬参の怒鳴り声に、廖影はただただ身を縮めている。
胸高鳴る壮挙、洛陽攻め。
難攻不落を誇る漢都への一番乗り。
武人にとってそれは、何ものにも代え難い名誉。
当初、宛に駐屯している第一軍も、増援として洛陽攻めに参加する予定だった。
しかし、時折発生する呂砲の気まぐれは、ここでもいかんなく発揮された。
「第一軍は許昌攻めに重点を置く。よって、洛陽攻めには参加しない」
第一軍に所属する武将や兵たちが、その決定に大いに落胆・憤慨したという話は、馬参の耳にも入っていた。
「……洛陽攻めは、私にとって最大の夢。主・廖衛に迷惑をかけることは十分に承知しておりましたが、どうしても自分の衝動を押さえることができませんでした」
ポツリポツリと語った廖影は、突然地べたにはいつくばった。
「何とぞ! 何とぞ馬参将軍、私の愚行をお見逃しくだされ! 洛陽攻めが終わりますれば、私はその場で自刎する所存! どうかこの愚か者をお見逃しくだされ!」
必死の表情で懇願する廖影を、馬参は睨み付けた。
廖影の気持ちは、馬参にもよくわかる。
仮に自分が廖影のような立場だったら、あるいは……。
「たわけが!」
それでも馬参が怒鳴ったのは、そんな自分の想いを振り払うため。
「おぬしが死ねば、わしは廖衛になんと申し開きをすればよいのだ! おぬしは責任を取ったつもりだろうが、それは己の感情を満足させるだけのこと! 残った者の身にもなれ!」
自刎の覚悟を自慰行為と同列に扱われ、廖影の顔は蒼ざめた。
馬参は、そんな廖影に追い討ちをかける。
「何よりおぬし、主たる廖衛の名誉がどれだけ傷つくか、一片でも考えたのか! 副官すら御し得ない男と、一生陰口を叩かれるのは、廖衛なのだぞ!」
副官という職務を投げ出し、単身戦場へ。
確かに、上司たる廖衛の面目は丸つぶれだ。
自刎したとしても、廖衛が部下を掌握しきれなかったという風評に何ら変わるところはない。
洛陽に一番乗りしたい―。
その一身で第三軍に潜り込んだ廖影は、自分が「熱」にうなされた結果、周囲への影響をまったく考えていなかったことを思い知らされた。
「私は……私は何ということを……」
地面にはいつくばったまま、ポロポロと涙を流す廖影。
泣きながら、「後悔先に立たず」とはこのことか、とボンヤリ思った。
「わかった。それではこうしよう」
その様子をしばらく見つめていた馬参は、ため息をついて言った。
「おぬしは廖衛の使者として、弘農へやってきた。交友長きにわたるわしに、戦勝を祈る口上を伝えるために、な」
馬参の言葉に、廖影はハッとして顔を上げた。
「これはあくまで私的な使者にて、いちいち殿下の了承を得なかった……廖衛にはそのように口裏を合わせておこう。さすれば、問題にはなるまい」
「馬参将軍……」
「ただし、忘れるでないぞ。おぬしの行為は明らかな軍律違反。洛陽攻め完了の後、廖衛から改めて処罰を受けよ」
「そ……それでは……?」
「おぬしは陸遜の部隊に入れ。あやつは戦さの経験に乏しい。副官待遇の軍監として、あやつを支えよ」
「あ…………ありがとうございます!」
廖影は再び涙を流した。
さっきの涙とは、違う種類の涙だった。
とりあえず厄介な問題にカタを付け、馬参は声色を変えた。
「まあせっかく来たのじゃ。おぬしに聞きたいことがある」
「はっ。何なりと」
「殿下が涼王に就任されてからというもの、なにやら不穏な噂を耳にする。第一軍内の様子はどうなのだ?」
「ああ、その件にございますか」
軽く肯いて、廖影は説明した。
「殿下が陛下に御不敬を働かれた云々に付いては、噂の域を越えておりません。ただ、許昌の廷臣どもの間からそれが漏れ、さらに曹魏が火を付けた、と私はみておりますが」
「不敬が事実だったか否か。そんなことはどうでもよいのだ」
馬参は断言した。
なんといっても馬参のかつての主君は、幼い皇帝を廃立し、さらには殺虐するという行為にまで及んでいる。
帝への態度が悪い? それくらいどうした。
「わしが知りたいのは、殿下が涼王の位を帝から授かったこと。これに関する諸将の反応だ」
途端に廖影は答えに屈した。
人臣の身で王位にのぼる。
これは禅譲・易姓革命の一歩手前であり、帝位を望むに等しい。
帝の威光を守ることを旗印にかかげていた呂砲が、王に進む。
これ以上の皮肉はない。
呂砲の志に従ってこれまで戦ってきた七同志の間に、混乱が起こるのも当然だった。
「……私は一副官にて……ほかの将軍方らのご意向は存じませぬ」
歯切れが悪くなった廖影に、馬参は容赦なく突っ込む。
「副官同士で酒を飲む機会が無い、とは言わせぬぞ。表面的な武将らの言葉よりも、よほど真に近い声が出ているはずだ」
「はっ……」
廖影は観念した。
馬参は自分の主の名誉を守ってやると約束してくれた。
答えないわけにはいかなかった。
「我が主・廖衛に関しましては、殿下の涼王就任を心より喜んでおります」
「さもあらん。その折りに廖衛から届いた書状は、文字が喜色で跳ねておったわ」
「ハハ……ただ、ほかの同志様におかれましては、微妙な空気かと」
「具体的には?」
「袁奉将軍は、上下の関係は緊張しすぎるぐらいがちょうどよいのでは、と殿下に伝えられたとか。殿下はそれに対してお答えになったそうですが、内容は我らも耳にしておりませぬ」
「ふむ、袁奉殿がな……ほかには?」
「軍師殿は、殿下に強く迫られたようです。帝を軽んじるようなことがあれば、殿下との一戦も辞さず、と」
「そこまで言ったのか?」
「はい、ほかの諸将らのおられる前で、はっきりと」
「その時、殿下は?」
「主・廖衛の話では、動揺とも怒りとも狼狽とも……その場では、『自分は陛下の第一の忠臣を自認している』と言ってとりなしたそうですが」
「ふうむ……町費殿は?」
「町費将軍配下の者が、許昌へ赴いた、という話を聞いております……帝へ謁見したとか」
「帝に謁見? 殿下を差し置いてか!?」
「どうもそのようです。ただ、何のための謁見なのかは存じませぬ。気の早い連中などは、殿下討伐の詔を受けた、とも言いますし、殿下と陛下の絆を深めるため、陛下の遠縁の姫君と殿下の婚儀を働きかけた、という話も」
「ううむ……それにしても、謁見するとはまた大胆な」
「町費将軍以上によくわからないのが、副軍師殿です。殿下の涼王就任に慶賀の言葉を贈られましたが、身のあるものなのかどうかは……副軍師殿の副官も口が堅く、あのお方が何をお考えなのかは、まったくわかりませぬ」
「だろうな。郭図公則の考えることは、誰にもわかるまいよ。紫桑の吾玄殿は?」
「涼王就任に驚いていた、という話は耳にします。『鼎の軽重を問うおつもりか』と。しかし、今は対呉討伐を目前に控え、それどころではない、とか」
一通り話を聞き、馬参は息をついた。
程度に差はあるが、袁奉、希代之、吾玄、町費の4人は、呂砲の涼王就任に戸惑い、あるいは反発を抱いている。
馬参自身は、中華の半分以上を領する呂砲が、王位に就くは当然の事と思っている。
これを持って、涼はますます勢いづくだろう、とも。
しかし、この次にあるものは……という想いは禁じ得ない。
明確に呂砲の涼王就任を支持する七同志は、自分と廖衛の2人のみ。
郭図公則は、この件については不気味な沈黙を守っている。
七同志は分裂しつつある。
その認識は、馬参に暗いものを感じさせた。
とはいえ、まだ馬参には余裕があった。
13―15年前、馬参は「栄華盛衰」という言葉を、いやというほど味わっている。
野望とともに洛陽に入城し、間もなくそこに敵はいなくなった。
連合軍の攻撃に遭い、洛陽放棄を余儀なくされた。
逃げ延びた長安では、再び敵無しの状態。
しかし、主君である董卓が義理の息子の呂布に斬り殺されると、郭軍の校尉だった馬参は、当時の司徒・王允によって、「賊軍」という汚名を着せられた。
それでも李カク・郭軍の一翼として呂布を追い払い、再び敵無しとなった。
そして程なく、李カクと郭は仲たがいし、最後は自滅。
2人の不和が表面化した段階で、馬参は下野している。
うんざりしていたのだ。
それから呂砲と荊南で出会う日まで、傭兵隊長としての日々が続いた。
あの頃に比べれば、まだ余裕がある。
何より、自分は一軍団長に過ぎない。
目の前の洛陽攻略戦に全力を傾注するのみ。
馬参は自分にそう言い聞かせた。