代理戦争〜その一〜









━━翻陽。第二軍本営
「……ですから、軍団長は御多忙にございます」
吾玄の副官である校尉はそう繰り返し、執務室に入ろうとする参露を押し留めた。
「せっかくの御来訪ですが、お会いすることはできません。お引き取りください」
参露は、最初はポカンとしていた。
すぐに「そんな馬鹿な」と強引に執務室に入ろうとした。
「無礼な、放せ!」と、後ろから自分を羽交い締めにしている兵を怒鳴りつけた。
「第二軍軍察監に就任した参露と申す! 軍団長殿、御目通りを!」
中にいるはずの吾玄にそう叫んだが、応答はなかった。
羽交い締めにされたまま睨み付ける参露に、副官は慇懃に言った。
「もう一度、軍団長のお言葉をお伝えいたします」
そう告げる副官の目にはさげずみが、そして口元には嘲笑が浮かんでいる。
「本職に貴官の職務に口を挟む意志なし。なれど、貴官が本職の任務の弊害となる場合……」
ここで副官は、いったん言葉を区切り、そして力を込めた。
「早急に貴官を拘束・追放する。以上にございます」


「諦めて出て行きました」
執務室に入った副官は、茶を口にしていた吾玄にそう報告した。
吾玄は肯くと、茶を置いて大きく伸びをした。
「さて、休憩も終わりとするか……で、副官。例の計画だが、あれはどうなっている?」
「順調です。宋謙の部隊にかなりの数が編入されました」
「宋謙……先の戦いの後、呉から魏に降った者だな」
「御意。翻陽から逃げてきた兵たちゆえ、なじみのある部隊に回したようです」
「悪くはないが、夏侯惇や徐晃など、魏の主軸となる連中に潜ませることはできぬか?」
「既に手配しております。ただ、夏侯惇ともなりますと、生え抜きの兵を多く抱えているだけに、新規の兵を食い込ませることはなかなか……」
「わかっている。だが、第三軍が敗れた直後だ。我らまで負けるわけにはいかぬ。万全を尽くせ」
「御意」
吾玄の副官――正体は郭図公則が放った草――は、拱手して応えた。


本来なら、七月に実施されるはずだった抹陵攻略戦。
九月に延期となったのは、いくつかの理由があるが、もっとも大きな原因となっていたのは、旧江夏軍の廬江攻めだった。
廬江に攻め込んだ江夏軍は、もともと対外侵攻を前提としない守備軍。
呉巨や呉班など、それなりの戦闘経験を持つ武将もいたが、全体的な軍としての戦闘能力は、第二軍などの攻略軍とは比べ物にならない。
案の定というべきか、砦に立て篭もる呉軍をなかなか撃破できぬまま、江夏軍は損害を重ねていった。
戦局を変えたのは、翻陽から駆けつけた袁奉ら第二軍の増援部隊。
江夏軍を翻弄していた廬江の呉正規軍も、歴戦の袁奉隊などの攻撃の前に、次第に勢いを弱めていった。
抹陵から呉の増援軍が現れたのは、あとひと押しで砦が陥落するか、という時だった。
もちろん袁奉とて、呉増援軍の到来は予測していた。
それでも、呉正規軍が必死に反撃してくる中では、どうしても後方の備えは薄くならざるをえなかった。


廬江制圧の代償となったのは、数万に及ぶ戦死者。
新・廬江軍は、「守備軍」と称するのもおこがましい陣容に過ぎず、袁奉ら第二軍増援隊も、多数の熟練兵を失った。
揚州方面の補充兵練成地である荊州にしても、翻陽攻略戦で半数近くが死傷した第二軍に、大量の兵を送ったばかり。
両軍の再建は、一朝一夕に仕上がるものではなかった。
それでも、吾玄の抹陵への執着心――というより孫策への執着心――は、余人には理解できぬほど強力なもの。
もしも問題が兵力不足だけだったなら、吾玄は抹陵攻めを強行するつもりだった。
だが、出陣はできなかった。
予定外の廬江攻めがもたらしたのは、兵の損失だけではなかったのだ。


第二軍の分裂。
自身の若さが招いた部分が大きいとはいえ、吾玄にとって、これ以上に予想外かつ痛烈な事態はなかった。
廬江への増援として出陣した、袁奉、張任、呉懿、呉蘭。
廬江への増援を拒否した、吾玄、厳顔、孟達、雷銅。
双方の武将たちは、顔を見合わせても挨拶すらせず、皮肉と敵意に満ちた視線を交わすばかり。
武将の空気は兵たちにも伝わり、何とか双方の仲を取り持とうと奔走する黄権を嘲笑うかのように、対立はエスカレートしている。
一触即発だった。


吾玄は、第二軍の発足以来、ずっと荊・揚州で戦ってきた。
魏との対決は、この抹陵攻めが初めてとなるのに加え、抹陵には夏侯惇や徐晃などの勇将のほか、呂蒙や魯粛ら、孫呉から降ったばかりの有力武将も控えている。
有機的な戦闘指揮が望めず、さらに兵の数にも不足するとあっては、いくらなんでも勝利はおぼつかない。
安南将軍に任命された最初の戦闘を落とすなど、吾玄のプライドが許さなかった。
吾玄自身とは関係のない所で、第二軍の出陣を阻止している要素もあった。
抹陵から遥か北の地・業βでの第三軍の大敗を、魏は大きく喧伝している。
ほとんど「無敵」に近かった涼軍の敗北は、領内を大きく動揺させ、同時に涼と敵対する勢力を多いに勇気づけている。
そして、馬参の過去を暴露する曹操の声明によって、許昌では漢室をも巻き込む騒ぎが起こっているという。
だが、曹操の声明に吾玄が大した感慨を持たなかったのは、馬参が「漢都を焼き払った男」だったとしても、そんなことは吾玄にはどうでも良かったからだった。
それは、吾玄が「涼朝」による中華統治を目指している、ということと同義ではない。
吾玄にとって肝心なことは、戦さのない世をつくること。
それさえ実現できるのなら、中華を統べる王朝が漢であろうが涼であろうが、吾玄には関係のないことだった。
しかし、現実に涼は大きく揺らいでいる。負ける戦さは絶対に許されない。
吾玄は歯ぎしりしながら、抹陵攻略戦の延期を決定した。


戦さのない世をつくる。
それが吾玄の最終目標ではあったが、その前にどうしても自分の手でやり遂げなければならないことがある。
言うまでもなく、孫策の首を取ること。
吾玄が孫策の首に尋常ならざる執着心を抱いていることは、第二軍に所属する将兵なら誰もが知っている。
ただ、その理由を知る者はいない。
明らかになっているのは、吾玄が孫策への強烈な殺意を表に出すようになったのが、吾玄がかわいがっていた愛妾が行方不明になって以降、ということだけだった。


「夏侯惇は我が第二軍の侵攻を警戒し、呉への攻勢に移れない状態にあります」
副官――郭図公則の草――が言った。
「主導権は殿の御手にございます。軍を再編した上で、殿は堂々と抹陵へ攻め込めばよろしいのです。呉を滅ぼすのは、我が第二軍にございます」
吾玄は、顔を引き締めて肯いた。
(なかなかの掘り出し物だ)
抹陵攻めの手配状況を説明する副官の横顔を見て、吾玄は思った。
「抹陵攻略を完全たらしめるべく、策を講じました。ぜひ御拝聴ください」
そう訴えてきた兵卒が、この男だった。
翻陽陥落で、涼に降伏した元孫呉の兵から、涼に帰順している者を選抜し、埋伏として抹陵へ送り込む――兵卒はそんな策を献策した。
謀略を練り、さらに軍団長に進言してくる兵卒など、吾玄は初めて見た。
この兵卒への吾玄の関心は、計画の詳細の説明を受けると、興味に変わった。
「選抜した埋伏兵は、抹陵出身の者たちです」
兵卒は説明した。
「当初は、揚州制圧を進める我が軍への敵意が旺盛でしたが、火事場泥棒のように抹陵を掠め取った魏軍に、より大きな憎悪を抱くようになっております。敵の敵は味方、という論法ですが、連中の魏への敵意は本物。使えます」
話の進め方にしろ物腰にしろ、この男には普通の兵卒にはない理知的な雰囲気があった。
素性を聞くと、中華各地を歩きながら剣の腕と見聞を高め、涼の評判を聞いて、ここ翻陽で第二軍の兵卒に志願したという。
「私の故郷でも、多くの者たちが戦さで命を落としました」
兵卒は神妙な顔で言った。
「戦さを無くすための戦さ。矛盾しているとは思いません。私もそのお手伝いをしたいと考えました」
その言葉に、吾玄は震えた。
斐妹を失った哀しみは、今も癒えていない。
そして呉巨の勝手な廬江攻めと、それに伴う袁奉らの離心、さらには抹陵攻めの延期と、正直なところ、吾玄は精神的に参っていた。
そんな時にこの兵卒は、吾玄が自分自身に課している信念と同じことを口にした。
吾玄は迷わなかった。
「今日より副官として、わしの側に仕えよ」
一兵卒から軍団長付副官へ。
異例の大抜擢は、こうして実現した。


抹陵への埋伏計画は、郭図公則からの指示ではなかった。
そもそも細作には、自分の素性がばれる可能性のある行為は、厳に戒められている。
にもかかわらず、草が献策という形で吾玄の前に姿を現したのは、ひとつの罪悪感による。
吾玄と袁奉の離間、という郭図公則から与えられた使命は、草にとって疑問の多い命令だった。
それが涼のためになるとは到底思えなかったが、それでも第二軍の分裂という形で、命令以上の成果を上げた。
その結果、第二軍は抹陵攻めを延期する事態に陥っている。
(俺がやっていることは、明らかな利敵行為ではないか……?)
郭図公則への忠誠は別として、草の頭からその想いが離れることはなかった。
そんな葛藤に苦しんだ末に打った手が、抹陵への埋伏策。
抹陵攻め成功の可能性を少しでも上げるための、罪滅ぼしの献策だった。
あるいは、自慰に過ぎぬ行為かもしれない、という思いもあったが、吾玄はおおいに喜び、自分を軍団長付副官にまで抜擢してくれた。
(純粋なお方だな……)
贖罪のつもりの献策が、草をして、さらに苦しい心境に追いやっていた。



━━翻陽。大通り
絶対に会ってやる、と思ってはいても、門に張り付けられた「謹謝訪客叩門」の文字を見ると、やはり躊躇というか気の迷いみたいなものは抱いてしまう。
どうしたものかと、吾玄邸前をウロウロしていた参露は、通りを歩いていた商人を認め、話しかけた。
「張り紙でございますか?」
問いかけられた商人は、目を細めて吾玄邸の門の張り紙を読み取った。
「はて……? あのような張り紙、ここ最近はございませんでしたな」
やはり、と参露は心中頷いた。
あの張り紙は、間違いなく自分へ当てつけたもの。
怒りより先に、混乱の方を強く感じる。
自分は筆頭軍師にして、七同志たる希代之の名代。
吾玄は、希代之と同じ七同志だ。
にも関わらず、参露の面子を潰すこの吾玄の態度。
別に軍を上げての歓迎があるとは思っていなかったが、ここまで冷淡な対応は予想外だった。
(いったいどういうことだ?)
友好的とはおよそ正反対の態度は、吾玄のみならず、第二軍の多くの将軍たちからも受けていた。
彼らに対し、着任のあいさつはできた。
しかし、武将たちの態度はほぼ一様に素っ気無かった。
形ばかりの応答をしただけで、あとは参露が話し掛けようとしても、何かと理由を付けてそれを拒む。
翻陽到着から三日、参露は途方に暮れたままだった。


三日目の夜、参露はようやく、第二軍軍師・黄権との面会にこぎつけた。
「軍団長にせよ厳顔殿らにせよ、決して貴殿を粗略に扱っているつもりはないのだ」
額の汗を拭きながら、黄権はそう釈明した。
黄権は第二軍武将の中で、参露を軍察監として扱って「くれる」数少ない武将だ。
「抹陵攻めが延期となり、皆あのように気が立っておりまして……戦意旺盛転じてあの態度、というわけでしてな」
「軍師殿」
対する参露は、ささくれ立った神経を隠そうともしない。
この三日間、吾玄や厳顔らから徹底的に無視され続けたのだ。
黄権はようやくまともに応じてくれた得難い人物だったが、嫌味のひとつも言いたくなる。
「それがしは翻陽に到着してまだ三日に過ぎませんが、ただならぬ雰囲気を軍内から感じます……ああ、戦さ前の高揚とはまったく別のもの、ということですが」
顔を引き攣らせる黄権にかまわず、参露は言った。
「どうも軍団長殿は、軍を掌握仕切れていない、と見ましたが……如何なることです?」


軍察監とはすなわち、軍を監視する職責。
戦意に乏しくないか、軍を私利私欲で動かしていないか、論功を私意で決定していないか、そして、軍をちゃんとまとめているか。
これらの事項を確認し、涼王に報告するのが役目だ。
戦意について、吾玄に問題はまったくない。
しかし、それ以外の点については、問題だらけだった。
私情でもって廬江への増援軍を送らず、廬江制圧を果たした袁奉らへの恩賞を私意で施さず、そして、第二軍をまとめきれていない。
「そんなことはありません。第二軍は軍団長の指揮のもと、抹陵攻めの準備を着々と進めている」
必死で弁明する黄権の額には、さらに大粒の汗が噴き出し始めた。
如何に呂砲が七同志を重用しているとはいえ、第二軍の現状が知れたら、吾玄の更迭は免れない。
上司と部下という立場にあるが、私的な関係でいうなら、吾玄は黄権にとって、年の離れた弟のようなものだった。
第二軍の分裂以降、両派の溝を何とか埋めようと奔走してきたのは、単に軍師という役職に就いているが故ではない。
(四則の名誉は自分が守る)
そんな想いからの奔走であり、そして軍察監たる参露への受け答えだった。
だが、この三日間の屈辱を晴らすかのように、参露は冷ややな態度を通した。
「軍師殿。それがしを甘くみないことです」
もちろん、私情を晴らすためだけではない。
参露は、黄権から可能な限りの情報を引き出さねばならない。
「第二軍が既に分裂状態にあること……それがしが知らぬとでもお思いですか?」
黄権の顔が引き攣った。
「それがしは、第二軍の実状を涼王殿下にお知らせする立場です。そして現在の第二軍は、軍団長殿を指示する将と副将殿を指示する将の二派に分れている……対外侵攻などままならぬ状況と存じますが」
参露の言葉に、黄権は震えた。
第二軍の分裂は、いずれ中央の知るところとなるだろうとは思っていたが、いくら何でも早すぎる。
もちろん黄権は、先の許昌での裁きが終わった後、袁奉が思わず自分と吾玄の不仲を漏らしてしまったことなど知らない。


裁きの場で両者の不仲を知ったのは、同席していた希代之、町費、廖衛の三人。
袁奉が口を滑らせた時、呂砲は朝見の間から退出していた。
「町費殿。廖衛殿」
事の重大さを認識した希代之は、真剣な表情で二人に迫った。
「それぞれ存念はあると思うが、しばらくこの件は、殿下には伏せて置きたい。穏便に解決する手筈を取るによって、ひとまずこの件は、私に預からせてもらえぬか」
希代之の提案に、町費と廖衛は首肯した。
翻陽から遥か離れた地にいる自分たちに、何かできるとも思えない以上、筆頭軍師に任せるしかなかった。
もちろん希代之は、自分の直感――郭図公則が吾玄と袁奉の離間を図った――を二人に知らせてはいない。


「英傑様は、両将軍の不仲を承知しておられます。しかし、穏便に解決できるならそれが最善、とのお考えです。そして、そのためにそれがしを第二軍に派遣なされたのです」
わざと重々しく参露は言ったが、これは嘘ではない。
参露が翻陽へやってきた目的は、ひとつは郭図公則の企みを第二軍方面から暴き出し、阻止すること。
そしてもうひとつは、吾玄と袁奉の仲を修復させることなのだ。
「軍団長殿と副将殿の仲を取り持つため、それがしも協力いたします。そして、軍師殿にもそれがしに御協力いただきたいのです」
黄権は、安堵と不安の表情を一編に浮かべた。
しかし、黄権に選択する余地はなかった。


旧江夏軍が廬江に侵攻する一ヶ月ほど前から、袁奉が第二軍団長の座を狙っている、という噂が流れ出した。
最初は一笑に付していた吾玄も、何度もその噂を耳にするにつれ、次第に疑心暗鬼に陥るようになった。
そして、旧江夏軍の勝手な廬江攻め。
揚州方面司令官としてのプライドを傷付けられた吾玄は、増援軍の派遣を拒んだ。
それを袁奉が諭そうとしたが、議論が続くに連れてお互いの空気は険悪なものとなり、最後は売り言葉に買い言葉のような状態で、両者の間に大きな溝ができてしまった。
「皆ピリピリしている……諸将が貴殿に冷淡なのも、ひとえにそのため」
沈痛な表情で、黄権は言った。
「今考えてみれば、袁奉殿が第二軍団長の座を欲するわけがないのだ」
黄権は両手で顔を覆った。
「それなのに私は、真偽を調査するよう軍団長に上程し続けた……しつこいほどに」
指の間から、ボソボソと声を漏らす黄権を見て、さすがに参露も胸が痛くなった。
「それが軍団長の疑念を深める結果となってしまった……おわかりか、軍察監殿? 第二軍の分裂を招いた責任は、何よりも……何よりもこの私にあるのだ」


黄権の私邸を出た参露は、通りを歩きながら頭の中を整理した。
第二軍が分裂に至る大まかな過程が、これでようやくわかった。
同郷である吾玄と袁奉の絆が、なぜ旧江夏軍の暴走ひとつでもろくも崩れたのか。
参露にはいまいちよくわかっていなかったが、これで合点がいった。
離間策は、周到な準備の上で実施されたもの。
吾玄は罠にはまったのだ。
(後は、手を下したのが洛陽太守であることを突き止め……いや、それよりも軍団長殿と話をする方が先か)
この三日間、本営の執務室前や吾玄の私邸前などに陣取り、出てきた吾玄に必死で呼びかけたが、いつもあの副官が邪魔をして、まったく会話ができていない。
つまり、なぜ中立の立場であるはずの自分に、吾玄がああも邪険な態度を取り続けるのか、わかっていない。
第二軍の分裂を悟られたくないため、とも考えられるが、徹底して参露を無視するその態度には、ある意味“憎悪”のようなものすら感じられた。
(何かあるはずだ)
参露は、その“何か”を考えながら大通りを歩いた。
考え事をしていたため、参露は周りをよく見ていなかった。
だから、前からやってきた誰かとぶつかった時は、かなり驚いた。
ぶつかった相手の悲鳴の大きさには、もっと驚いたが。
「痛――っ! 痛い! 痛い! こ、腰の骨がぁ!」
参露の目の前では、尻餅をついた老人が、腰に手を当てて絶叫している。
「これは骨が折れたか! なんということじゃ! この年になって骨折など、そう簡単には治るまいぞ!」
みすぼらしい為りの老人は、見ている者が恥ずかしくなるほどのオーバーアクションで、己の不幸をわめきたてている。
「老い先短い身とはいえ、こんな死に方をするとは! わしがいったい何をしたというのか! 無念! 実に無念じゃあ!」
「これは御老人。申し訳ない」
周囲の人々が、胡散臭そうな目でこちらを見ている。
呆れつつも、参露は老人を介抱しようと手を差し出した。
「痴れ者、障るでないわ! 余計に骨が折れたらどうする!」
「しかし、骨が折れたともなれば、ここに座っているわけにもいきますまい。医師のもとへ参りましょう。さあ、私の肩に捉まってください」
「医師だと? フン、そんじょそこらのヤブ医者などに、わしのけがを治せるものか」
「それは診てもらわなければわかりますまい」
「いいや。医者などよりも遥かに確実に骨折を治す方法がある」
「ほう。それはどのような?」
「新鮮な魚と野菜。それに米飯だな。それらを食すれば、たちどころに滋養となり、骨もくっつく」
そう言って老人は、道端であぐらをかき、腕を組んだ。
食事にありつけねば、梃子でも動かない。いや、また叫び上げるぞ、という意思表示だ。
そんな老人の態度に、参露は苦笑した。
「さような治療法があるなら、話は早い。ご老人推薦の治療師はいずこでしょうや? これから参りましょう……ああ、もちろん治療費はそれがしが払います」
「物分かりのよい御仁じゃな。案内するによって、ついてまいれ」
人類史上初の“当たり屋”かもしれない老人は、ニンマリと笑って立ち上がると、かなりの速さで歩き出した。
参露は肩を竦めつつも、律義に老人の後を追った。





       皇軍涼           代理戦争(その二)
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