軍察官


━━宛。洛陽へ向かう街道
廖影は、チラリと後ろを振り返った。
かなり早い段階から「副官殿! 置いてかないでぇ!」と悲鳴を上げていた主簿は、影も形も見えない。
(1万1000……いや、1万いるかな?)
残兵数のあたりをつけ、それもやむをえまい、と思う。
まだ行程の半分にも達していないのに、既に三分の一前後の兵が脱落している強行軍だ。
文官の主簿が、これについて来れるわけもなかった。
だが、「やむをえまい」とばかりも言っていられない。このままでは、半数も上党にはたどり着けまい。
不安を覚えつつ先頭を向いた廖影は、目を剥いた。
廖衛が、愛馬の脇腹をさらに蹴りつけ、強引に加速を促している。
この調子では、副官たる自分すら脱落しかねない。
たまりかね、廖影は叫んだ。
「殿! 全隊に一時休息を!……このままでは……」
「たわけ!」
廖衛の反応は速攻だった。
「親父殿が危ないのだぞ! 呑気にかまえている場合か!」
本気で廖衛は言っているが、伝令が許昌に到着してから、もう二日たった。
業βでの戦闘が終わって、既に五日以上が経過しているのだ。
消息不明の馬参が無事なら、とっくに上党へ戻っているはずだし、最悪の事態となっていたなら、それこそ今の廖衛隊の早駆けは、悲報を早く知るだけの意味しか持たない。
「しかし殿!」
無駄とは知りつつ、廖影は制し続ける。
「馬の息も上がっております! 馬を潰しては、話になりませんぞ!」
「その時は、洛陽で郭図公則から奪う!……手筈は任せる!」
「と、殿ぉ……」


強行軍がようやく停止したのは、第三軍が呂砲へと派遣した伝令と遭遇したため。
「馬参将軍は、上党城へ無事入城されましてございます!」
伝令の言葉を聞くやいなや、廖衛は大喜びで「早く親父殿に会うぞ。全隊、進め!」と号令した。
廖影は精神的によろめいた。



━━許昌。軍師府
希代「手痛い敗北ではあったが、何はともあれ、と言ったところだな」
護衛「軍団長がいるのといないのとでは、軍のまとまりに大きな差が生じますからな。もしも、馬参将軍に万一のことでもあったなら……」
副官「さよう。その上で魏が逆侵攻でも図ろうものなら、上党は容易に陥落しましょう。さすれば、漢都は上党と陳留の二方向から圧力を受けることになります」
希代「そのような事態だけは、何として避けねばならん。馬参殿が無事だったのは、まことに僥倖だった」


伝令が呂砲に伝えたのは、馬参と陸遜が上党に無事に帰還したことと、戦死者の概数。
張燕、張魯の二将が戦死したことは、郭図公則の細作頭が第一報として伝えていた。
さらに、軍団長や軍師が一時消息不明となるほどの戦闘とあって、かなりの被害が出たであろうことは、容易に想像できた。
それでも、伝令の口から出た数字に、呂砲はひっくり返った。
「6万以上だと!?……戦死者だけでか!」


副官「それにしても、やられたものでございますね……6万以上とは」
希代「負傷者もかなりのものだろうな。第三軍の全部隊が、相当な打撃を受けたことだろうよ……しかし、どうしてそこまで一方的にやられたのか、解せんな」
護衛「伝令は、戦闘の詳細を伝えてないのでございますか?」
希代「とりあえず、馬参殿が無事だったことを知らせる伝令だからな。そのうち、また使者が来るだろう」


膨大な数の戦死者に、呂砲は激怒した。
「馬参はいったい何をやっておったのだ! 昼寝でもしておったか!」
「勝敗は兵家の常。敗戦に一々口は挟まん! だが、負け過ぎだ! 程度つーもんがあるだろうが!」
「馬参も耄碌(もうろく)したか! 日向ぼっこ気分で指揮を採っていたのではあるまいな!」
希代之と町費が止めるまで、呂砲の罵倒のオンパレードは続いた。


副官「馬参将軍が消息不明と耳にされた時は、殿下は失神されたのでございましょう?」
護衛「それなのに、無事とわかればこれでございますか。ひどいおっしゃりようだ」
希代「まあそう言うな。馬参将軍の身を一番案じていたのは、殿下と廖衛だ。今日伝令が来るまで、まったく公務に手のつかぬ有り様だったからな……気がお緩みになったのだろう」
副官「廖衛将軍と言えば、まだお戻りになっていないようですが」
希代「上党への道中、伝令から馬参将軍の無事を聞いたらしい。許昌に戻って来ないということは、そのまま第三軍に合流するつもりなのだろう」


廖衛は細作頭の第一報があった直後、援軍として自分を上党へ派遣するよう呂砲に具申していた。
許昌から上党。馬を代えながら飛ばしても、最低4、5日。部隊を率いてなら、さらに倍近い日数を要する。
既に戦闘が終結していたその段階では、まったく無意味な増援だった。
だが、呂砲はそれを許した。許したというより、けしかけた。
「行け! 行くんなら早く行け! なんとしても馬参を死なせるな! 何しとる! かしこまってる暇があったら、さっさと行かんか! ホレ、駆け足!」
この時の呂砲と廖衛は、動揺のあまり、常識で物事を考えることなどできないでいた。


希代「それとな。町費殿の上党行きも決定した。第三軍に一時編入となる」
副官「町費将軍が? それまたどうして?」
希代「『馬参殿には恩義がある。返すなら、今』とな。殿下もお許しになられた」
護衛「恩義……ああ、あれですな。第三軍が洛陽に駐屯していた頃、町費将軍が馬参将軍に金策を頼み、馬参将軍がそれを受諾されたとかいう…」
副官「町費隊の士長殿がそう言っていたそうだな……宴の席だったか?」
護衛「あの御仁、酒が入れば饒舌になる。詳しくは『人集う都市−2』をご覧ください」
希代「ちなみに、町費殿の第三軍編入は、業β攻略まで。完了したら、とりあえず許昌へ帰還してもらう」
副官「それはまたどうして?」
希代「『郭図公則』編のシナリオ合わせの一環だ。町費殿には、ちょっとした使命があるそうだ」


三人がCMまがいの話をしているところへ、一人の男が入ってきた。
「殿」
控えめに声をかけた男は、さっと拱手した。
「準備が完了いたしました。これより、翻陽へ向かいます」
「おう、参露。いよいよ出るか」
希代之の顔が、引き締まった。
「今の第二軍の分裂は、郭図公則の仕業であること……証拠はないが、間違いない、とな。そのことをくれぐれも吾玄殿にわかってもらえるよう、全力を尽くしてくれ」
希代之の言葉に、参露は笑顔で応えた。
「筆頭軍師の忠告にございます。私ごときが全力を尽くさずとも、吾玄将軍はすぐにご理解されましょう」
「う……うん、まあ、そうだな……」
一片の疑いもない参露の笑みを、希代之は直視することができなかった。
「細作を三人、翻陽へ送る」
希代之と同様、ぎこちない表情で護衛隊長が告げる。
「おぬしの好きなように使ってくれ。それでもって、洛陽太守の第二軍内での陰謀を暴き出すのだ。本当なら、もっと多く回したいのだが、現状ではこれが手いっぱいでな」
「夢のようです」
参露はさらに微笑んだ。
「護衛隊長殿が育てられた腕利きの細作を、私ごときが使えるとは」
護衛隊長は、咳払いをした。
「これが辞令だ」
希代之は文書を開き、読み上げた。
「筆頭軍師府主簿・参窓顕……おぬしを筆頭軍師の名代たる第二軍軍察監に任命する」
「謹んで、お受けいたします」
かしこまって辞令を受け取る参露。
その様子を、副官も護衛隊長も落ち着かない様子で見つめている。


軍察監。
涼王に対して責任を負う筆頭軍師の名代として、各攻略軍の軍政から戦闘までの報告書をまとめる職務だ。
取りようによっては、旧ソ連の政治将校にも似ている。
とはいえ、これまでも第二、第三軍双方に配置されていたものの、軍団長が呂砲に固い忠義を誓う七同志とあって、ほとんど飾りのような存在だった。
ちなみに、前任の第二軍軍察監は、大激戦となった翻陽の戦いの渦中で、戦死していた。
希代之はこれに目を付けた。
軍団長に軍察監への命令権はないので、吾玄から束縛を受けることもなく、様々なところに顔を突っ込める。
郭図公則の謀略を探り出す立場として、これ以上ない役職だった。
それに、前任者の殉職に伴う交代となれば、郭図公則にこちらの意図が漏れる心配もない。
ただ、大きな懸念が二つ、あった。
ひとつは、希代之が以前、吾玄の愛妾を世にも無残な方法で殺していたこと。
その愛妾は孫呉が放った女細作であり、「処分」はあくまでも軍団長としての吾玄の立場を考慮してのものだった。
しかし、いくら敵方の細作とはいえ、愛妾を拷問で殺された吾玄に、そんな理屈が通じるはずもなかった。
以来、吾玄と希代之の間には、厳然たる溝ができていた。
そして、もうひとつの懸念。
それは、愛妾の「処分」を経て、吾玄が希代之を憎んでいるという事実を、参露に伝えていない、ということ。


「参露は有能です。必ずや殿の御期待に添いましょう」
参露を見送った後、希代之を慰めるように副官が言った。
だが、それが慰め以上のなにものでもないことは、副官自身がよく知っている。
前任の第二軍軍察監は、徹底的に吾玄から無視され続けた。
参露と同様、その理由を知らされていなかった前任者は、心労のあまり、暴挙に出る。
吾玄の注意を引こうと、文官の身でありながら剣を握り、前線に飛び出したのだ。
前任者が翻陽攻略戦で戦死したのには、そんな背景があった。


自分と吾玄は、既に「七同志」などと称される関係でない。
希代之は参露に、そう伝えなければならないはずだった。
参露の仕事を少しでもやりやすくさせるために。そして、郭図公則の謀略を防ぐために。
だが、言えなかった。
吾玄の愛妾を殺したこと自体は、後悔していない。
自分が手を下さなければ、吾玄は孫呉の女細作の甘言にたぶらかされたまま、いつまでも出兵することはなかっただろう。
一年近くに渡って出兵を引き伸ばしてきた吾玄に対し、呂砲の怒りはピークに達していた。
呂砲は、吾玄を解任し、代わって袁奉を第二軍団長にすることも考えていたのだ。
自分が汚れ役を引き受けたことで、吾玄は軍団長としての地位と名誉を守られた。
希代之は、そう確信している。
吾玄が、「そんなもの」を望んでいたかどうかは別として。
後悔はない。
それは間違いない。
だが、後味の悪さはどうしようもなかった。
護衛隊長の手により、髪の毛を根元から引き千切られ、目玉をくり貫かれた女細作は「殺して!」と絶叫した。
苦痛に耐え兼ねての嘆願かと思ったが、違った。
「こんな姿を……四則様に……見られたくない……」
その言葉を聞いた希代之は、女細作が最後は「細作」としてではなく、「女」として吾玄に仕えていたことを知った。
あの絶叫が頭の中で交錯し、眠れない夜もある。
(いっそのこと、自分に呪詛の言葉でもぶつけてきたのなら、どんなに気が楽だったろう)
女細作の凄まじい最期を思い出すにつけ、いつも希代之はそう思う
最後は殺すにしても、もう少し考えるべきだった。
別の殺し方といっても、特に思い付くわけもなかったが。
吾玄の愛妾が突然消えたことは、第二軍内でも話題になった。
しかし、詳細を知るのは、自分、副官、護衛隊長、吾玄、そして「そんな細作など、さっさと始末せよ」と命じた呂砲だけ。
吾玄の愛妾を殺したことは、希代之にとって、生涯最大の恥部だった。
自分が重要な任務を任せた参露であっても、それを伝えることはできなかった。


参露は、ご機嫌で翻陽への途にある。
この男、希代之の軍師府に入って、日が浅い。
しかし、様々な事象に対する造詣の深さと、控えめな性格が買われ、今回の大抜擢となった。
ただの軍察監としての任命なら、肩書きばかりの名誉職のようなものだが、今回は違う。
あの洛陽太守を相手に回し、第二軍内に発生している亀裂を修復するという、特別の任務を帯びているのだ。
(ワクワクするな)
参露は期待に胸を膨らませている。
(吾玄将軍に袁奉将軍……どのようなお方だろう)
(洛陽太守隷下の細作、どれほどの数が第二軍に潜伏しているのか)
(やはり、あの洛陽太守の部下となれば、相当なやり手なのだろうが)
初めて向かう揚州の地。
初めて任された大役。
初めて接する武将たち。
そして、初めて立ち向かう敵手。
(うん……ワクワクする)
参露の胸は、希望に燃えている。







業β攻略戦(その三)          動揺―廬江と上党
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