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| 江戸時代の様子 | 江戸時代,薩摩藩には「造士館」という藩校(藩でつくった学校)がありました。藩校では武士に学問を教えていました。 指宿では,宮ヶ浜(指宿小学校校区)と今和泉には,「舎」(健児の舎)がつくられ武芸の修練や学問を教えていました。ここでは,主に武士の家の子どもに教育を行っていました。 農民や漁民の子どもには,庄屋や名主の家で簡単な筆算を学習させていたといわれています。続けて寺子屋に通う子どもはきわめて少なかったそうです。 |
| 学制発布まで | 【郷校】は,城下やあちこちの郷につくられた学校です。初めは,士族が共同で建てた私学でした。 その後,施設や内容を整備して,県が管理する学校になりました。 |
| 明治5年 | 学制が発布されました。 |
| 明治6年9月 | 島津氏今和泉家仮屋敷跡に郷校として開校しました。丁丑の乱のため閉校しました。 |
| 明治11年 | 再び開校して「今和泉小学校」という名前になりました。 |
| 明治17年 | 岩本小学校と合併しました。現在,岩本は今和泉の校区内にある地域です。 |
| 明治19年 | 小学校令が公布されました。 小学校を「尋常」「高等」の2段階としそれぞれを4年間としました。 |
| 明治20年4月 | 「今和泉尋常小学校」(いまいずみじんじょうしょうがっこう)と学校の名前が変わりました。学校に通う年数は3年間と決まっていました。 |
| 明治24年 | 学校に通う年数が4年間になりました。 |
| 明治26年8月 | 「今和泉尋常高等小学校」(いまいずみじんじょうこうとうしょうがっこう)と学校の名前が変わりました。 |
| 明治29年5月 | 高等科に2年間の補習科ができました。 |
| 明治30年10月 | 火事のため校舎が全焼しました。そのため役場(当時は今和泉村役場)と学舎を仮校舎にしました。 |
| 明治33年8月 | 新しい校舎ができあがりました。 |
| 明治34年4月 | 農業科ができました。 |
| 明治38年4月 | 手工科ができました。 |
| 明治41年4月 | 補習科がなくなり,4年までだった尋常科が5年生までになりました。 |
| 明治42年4月 | 高等科が3年尋常6年になりました。 |
| 明治44年1月 | 新西方・小牧両校を今和泉小に合併しました。 |
| 大正元年9月 | 校舎を増築するための工事が始まりました。 |
| 大正14年3月 | 講堂ができあがりました。今は体育館ですが,むかしは講堂(こうどう)といっていました。 |
| 昭和2年 | 隼人松原や学校の周りの土地が,今和泉小の土地になりました。校舎を増築するための工事が始まりました。 |
| 昭和22年 | 学制改革により今和泉小学校と名前が変わりました。 |
| 昭和25年4月 | 小牧分校ができました。はじめは3年生以下が2学級で学習していました。 |
| 昭和27年4月 | 小牧分校が4年生までになりました。 |
| 昭和38年7月 | 給食室が完成しました。 |
| 昭和41年4月 | 鉄筋校舎(第1次)5教室ができあがりました。 |
| 昭和42年4月 | 鉄筋校舎(第2次)5教室ができあがりました。 |
| 昭和43年4月 | 東側鉄筋校舎,トイレ2ヶ所,宿直室ができあがりました。 小牧分校が本校に統合されました。 築山庭園,国旗掲揚台,円形噴水池の工事が始まりました。 |
| 昭和43年12月 | 鉄筋校舎2教室ができあがりました。 |
| 昭和48年1月 | 体育館が完成しました。 |
| 昭和48年10月 | 創立100周年記念式典を行いました。 |
| 昭和51年7月 | プール(25m×7コース)の工事が始まりました。 |
| 平成15年6月 | 130周年記念の集いを行いました。 |
| ☆もっと今和泉小の歴史を知りたい時は学校沿革史をご覧ください☆ | |
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