6年教材をどう扱うか

目次

「教科書ハンドブック」(新読書社 2011年4月発売)からの抜粋

1 せんねん まんねん

2 カレーライス

3  感情

4 生き物は
つながりの中に

5 柿山伏・古人のおくり物

6 河鹿の屏風

7 短歌・俳句を作ろう

8 平和のとりでを築く

9 やまなし

10 本は友達

11 「鳥獣戯画」を読む

12 この絵、
わたしはこう見る

13 天地の文

14 森へ

15 言葉は動く

16 海の命

17 生きる

18 言葉の橋

19 季節の言葉
春、夏、秋、冬

20 宇宙飛行士
―ぼくがいだいた夢

21 変身したミンミンゼミ

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◆は,「教科書ハンドブック」(新読書社)の小見出しです。
同書では教材分析の他に,主教材では指導案も掲載しております。
その中から一部抜粋したものをここに掲載しました。

1 せんねん まんねん  (まど・みちお)

◆いったい何が〈ながい みじかい〉のか
◆人がやって来る前と後では
◆〈ながいみじかい〉を意味づける
 〈まだ人がやって来なかったころの〉、つまり〈人〉がいなかったときには、どんな生き物も、このような現象のくり返しを意味づけられませんでした。しかし、〈人〉がやって来てからは、この現象をさまざまに意味づけることができるようになります。前連を読んだ時、五年生の読者ともなると、ここに書かれていることは食物連鎖のつながりではないかな、生き物や水のつながりではないかなと意味づけるのではないでしょうか。〈人〉はこのように意味づけることができるのです。
 〈まだ人がやって来なかったころの〉には、生き物などが生み出す現象が、〈ながい〉か〈みじかい〉かは関係のないことです。ただ現象があるだけです。〈ながい〉のか〈みじかい〉のかを考えることは、意味づけるということです。〈人〉だけが、このくり返される現象をさまざまに意味づけることができるのです。この〈せんねんまんねん〉くり返される事実を〈ながい〉と意味づけることも〈みじかい〉と意味づけることもできるのです。
 〈いつかのっぽのヤシの木になるために〉は〈ミミズ〉や〈ヘビ〉そして〈ワニ〉〈川〉など生き物や自然がつながりあって〈ながい〉年月をかけて生長しているとも考えることもできます。逆に、宇宙の時間で見れば、ほんの〈みじかい〉時間だと考えることもできます。〈せんねんまんねん〉は、〈ながいみじかい〉なのです。〈人〉は、どちらにでも意味づけることができるのです。どちらか一方ではないから、〈ながいみじかい〉なのです。
◆さまざまな意味づけを
◆たくさんの意味づけをさせよう



2 カレーライス  (重松清)

◆想定した読者と視点人物
◆仕掛のある書き出し
◆〈ぼく〉の心情の変化の過程から成長をつかむ
◆同化体験・異化体験=共体験
◆〈甘口〉と〈中辛〉、〈特製カレー〉を意味づける
 二七ページの「学習の手引き」の下段に〈物語の最後に、「ぼくたちの特製カレーは、ぴりっとからくて、でも、ほんのりあまかった。〉とある。この表現には、どんな意味が込められているだろうか。〉とあります。〈特製カレー〉を意味づけることはおもしろい問題提起です。〈特製カレー〉だけでなく、まず「甘口」と「中辛」を意味づけさせてください。
 思春期の入り口に立つ読者である六年生の子どもたちに、自分にとっての〈甘口〉と〈中辛〉とは何かを考えさせることは意味あることです。つまり〈典型をめざす読み〉にまで高めていきたい教材です。
 「甘口」と「中辛」という表現には、カレーの味と成長の度合いという二重のイメージがあります。人物の成長を比喩として、象徴として意味づけることができるのではないでしょうか。また、〈特製カレー〉の〈ぴりっとからくて、でも、ほんのりあまかった。〉は〈ぼく〉の矛盾する心情も表しているのではないでしょうか。また、甘くて辛いでたとえた子どもと大人が両方混じった〈ぼく〉の人物像を表したものとも読めます。作者の意図をこえて、読者はさまざまに意味づけすることができます。他にもおもしろい意味づけを考えさせてください。
なお比喩や象徴は、あるものを別の直接関係ないあるものを共通するイメージや意味でつなげることです。これを関連といいます。直接つながりがあるものは関係といいます。関連は高学年で学ばせたい認識の方法です。



3 感情  (茂木健一郎)

◆仕掛をとらえる
◆筆者の仮説
◆不安と後悔の必然性
◆この作品を六年生が学ぶ意味
◆筆者の考え・結論 筆者はそんな読者の感想を予想し、〈どんな感情も、生きていくうえで大切なもの〉であり、〈さまざまな感情をもつことは、人生で起きるさまざまな出来事に対応できる力になります。〉と結論付けています。最初に〈それは、不安や後悔などの感情も、生きていくうえで役に立つからです。〉と答えを示していましたが、読者はこれをにわかに信じることはできませんでした。しかし、その考えの理由や根拠があることによって筆者の考えに納得することができるようになるのです。
 〈不安や後悔の思いでいっぱい〉な六年生の心のうちを汲み取って、しかる後に、科学的な説明によって導き出された結論を明快に述べています。
 だからこそ最後の一文は、観念的なものでもお題目のようなものでもなく、納得のいく生きる知恵として、あるいは、心のこもったエールとして、読者に受け止められるのではないでしょうか。



4 生き物はつながりの中に  (中村桂子)

◆題名の役割
 説明文の題名は、普通、テーマ・観点を簡潔に示します。「生き物はつながりの中に」という題名は、それに加えて仕掛をもったものになっています。 題名で、これから説明することは「生き物はつながりの中に」あることを観点にして読みましょう、と読者に問いかけています。
 「生き物はつながりの中に」と言われても、内容がはっきり分かりません。そのため読者は、「生き物はつながりの中に」とはどういうことだろう、と中身を知りたいと思うのではないでしょうか。このように仕掛をもった書き方を説得の論法といいます。
◆説得の論法を学ぼう
◆生き物の三つの特徴
◆外から取り入れたものが自分の一部になってつながっていることが生き物の特徴
◆一つの個体としてつながっていることが生き物の特徴
◆生命のつながりが生き物の特徴
◆生き物の特徴をまとめる
◆学んだことを自分とつなげて考える



5 「柿山伏」・古人のおくり物

◆人物自身が説明する
◆類型的な人物
◆変化をともなって、発展する反復のおもしろさ
 同じようなことをくり返しさせますが、くり返される内容が変わっていきます。最後は〈とびじゃ〉〈はあ、飛ぼうぞ〉とだんだん難しい課題を山伏に課していきます。このように変化をともないながら反復していく中で、だんだんおもしろさがふくらんでいくのが狂言の特徴です。これは昔話によく使われる表現方法です。このような表現方法は、とても単純なだけに話の内容がよくわかり、気楽に楽しむことができます。
 狂言の発想は、民衆の中に語り伝えられてきた民話の中の笑い話からずいぶんネタを取っています。当時の民衆の健康的な笑いがこの「柿山伏」に限らず、他の狂言でも共通してあります。
 「柿山伏について」(山本東次郎)に書かれていることは、「柿山伏」のどの場面、どのせりふのことを言っているのか見つけさせてください。
◆民衆の笑いの文化、狂言と落語



6 河鹿の屏風  (岸なみ)

◆よみきかせの工夫
◆視点をふまえた読み
◆人物の条件
◆なぜ見事に家を再興できたのか
 そのようななまけもので、財産を売りつくしそれでもまだ借金が残っている菊三郎が、どうして〈生まれ変わったような、働き者〉に変身し、〈見事に家を再興〉できたのでしょう。おそらく読者は、「河鹿の老人の願いを聞いたので、そのお礼にもらった屏風のおかげでがんばれた。」と答えるのではないでしょうか。確かにそうとも言えそうです。でも、本当にそうなのでしょうか。
 そもそも夢の中で誰かにものを頼まれて、それをその通り実行し続けることができるものでしょうか。ましてや菊三郎は〈なまけもの〉で財産を〈おおかた売りつくし〉てきた人物です。そんな人物が都合よく働き者となると考えるのは短絡的な思考であり、徳目道徳的な考えです。これで終われば、子どもたちの思考力を深めることにはならないでしょう。
◆菊三郎の人物像
◆河鹿の屏風の意味するもの



7 短歌・俳句を作ろう

◆同じ形式の短歌を使って
◆同じ題材の俳句を比べる
 俳句を作るための教材の初めは、題材を同じ「とんぼ」にした四つの作品から、それぞれの作者が創りだした世界を比べようという学習内容になっています。
 とんぼが空中にとどまることができる習性に着目していることでは類比になっています。しかし、それぞれの句は作家の個性的な見方になっているということでは、対比になっていることを中心に学ばせてほしいと思います。
 前の二句は、蜻蛉が、空中に静止している瞬間を〈とりつきかねし〉と〈肩に来て〉ととらえているおもしろさがあります。後の二句は、〈とどまって〉と〈とどまれば〉と同じような動詞が使われていますが、「誰が」の違いがあります。前は「蜻蛉」で、後は作品の中の話者の「わたし」です。これは比較的わかりやすいと思います。
 作品世界をじっくり味わうためには、二四三ページの下段の作品や別に用意した作品に時間を取った方がいいのではないでしょうか。
◆俳句を作る意欲を引き出すために
◆一字でイメージが変わる
◆文字表記の工夫



8 「平和のとりでを築く」 (大牟田稔)

◆「原爆ドーム」とはどんな建物か
◆世界遺産になるまでにどのような考えがあったのか
◆授業でどのような話し合いをすればいいのか
 この資料を使った授業では、保存賛成の意見と「むごたらしいありさまを思い出すので」という保存反対の意見で論議させる場合でも、ディベートで相手をやりこめるような論議ではなく、両方の意見を高め合えるようなものにしなくてはいけないと思います。
 また、原爆ドームが「戦争の被害を強調する遺跡であること」には、わたしたちには異論ありません。しかし、当たり前のことに思われることでも、それがそうでないこともあります。立場を変えれば、当たり前と思ったことでもちがった考えになることがあります。そのようなことに気づくことも大切です。反対に考えでも練り合い、両方を生かしたより高い考えを見つけ出すことが話し合いです。話し合いでは、相手の立場を理解し、考えを尊重することが大切です。そのようなことが学べる授業でありたいものです。



9 やまなし  (宮沢賢治)

◆宮沢賢治にとっての「青」
 「やまなし」はもう長く教科書に出ている教材ですから、みなさんもこの教材についての教材研究や実践記録など、一つ二つは読まれていると思います。
 〈小さな谷川を写した、二枚の青い幻灯です。〉という言葉で始まり、「五月」「十二月」という二つの場面があり、最後を〈私の幻灯は、これでおしまいであります。〉でくくるという構成になっています。
 この「青い幻灯で写し出された世界」です。ここで「青い幻灯」「青い光」は、特別な意味をもって使われています。賢治には世界のさまざまな現象が「青い光」によって写し出され、そこに世界のあるべき姿 ―本質が写し出されるといった発想があります。他の作品でも、「青」という色彩が大事な意味をもって使われていることがわかります。もちろん、作品の世界には赤や黒も出てきますが、「青」には、賢治の世界の象徴とも言えるほど大事な意味があります。
 賢治は、「私は、ひとりの修羅なのだ」と言っています。「修羅」というのは、仏にもなれない鬼畜にもなれない、その中間にあって矛盾をかかえて生きている姿です。色で言えば「青黒」になります。「青」という救いの色と「黒」という地獄へ落ちていく死のイメージをもった色、つまり二つの色が矛盾をもって一つになっていることを「修羅」と言っています。「青黒い修羅なのだ」という言い方もしています。このように、色彩に深い意味がこめられているのが賢治の作品です。
◆鉱物質を使う独特の「異質な比喩」
◆現象は見える―しかしその根源は?
◆不気味だが、どこかおかしいイメージ
◆五月― 明るさの裏の血なまぐさ
◆十二月― 実りと恵みの世界と賢治の祈り
◆「やまなし」のつづけよみ



10 本は友達

◆読書の量と質
 教科書には、読書指導に関わる「本は友達」という教材が三か所に載せてあります。  その中で一五二から一五七ページにあるのは〈自分にとって本はどんな存在か〉〈自分と本とのかかわりについて〉考えさせる内容になっています。生活のさまざまな場で広く読書が生かされることをねらっています。また、二一八から二二一ページと四ページにわたって「この本、読もう」と、さまざまなジャンルの本が紹介されています。これも同じねらいから紹介されているものと思います。(本の内容を紹介する文の参考例にもなっています。)
 読書指導の目的には多読によって知識の量を豊かにすることがあります。また、さまざまな分野の知識を偏りなく知ることは、自分の将来の可能性を広げることにも役立つこともあると思います。読書離れが進んでいる現状の中で、どこからでもいいから興味を持てる本を見つけ、読書好きになるきっかけになればというねらいもあるかもわかりません。
 しかし、読書には知識を豊かにするという他にも大切なことがあります。それは、「人間観・世界観を学ぶ」ということです。前者が量を問題にしていることに対して、後者は質を問題にしています。もちろんどちらも大切なことですが、とかくすると量だけを課題にする傾向はないでしょうか。
 読書指導のあり方を(『全集24 文芸の読書指導』恒文社)を参考にしながら文芸の読書指導を中心に考えていきましょう。
◆文芸の授業と読書の関係
◆同じ作家の作品や同じテーマで〈つづけよみ〉する
◆作家の人生と重ねながら、作品を読む
◆校正や表現に注目して読む
◆重要な要素に注目して読む
◆ちがう作家の同じテーマ作品で〈くらべよみ〉する
 「つづけよみ」の一つに〈くらべよみ〉という方法があります。



11 『鳥獣戯画』を読む  (高畑勲)

◆題名と書き出しに見る類推
◆「漫画の祖」と言われる理由
◆類比・対比させることで見えてくるもの
 次のページをめくって挿絵を見ると、投げ飛ばした様子が描かれていて、〈どうだい。蛙が兎を投げ飛ばしたように動いて見えただろう。〉という言葉に、読者は納得します。『鳥獣戯画』は、動きをもっていることを実感したからです。まさに〈アニメの原理と同じ〉です。この〈『鳥獣戯画』は、漫画だけではなく、アニメの祖でもある〉ことにも納得できます。漫画はコマ割り、紙芝居は絵を引きぬく、『鳥獣戯画』は長い紙に絵を連続して描くというように、手法はそれぞれちがっている(対比になっている)けれども、類比(似たようなところ、同じようなところを比べること)すれば、〈動きを生み出したり、場面をうまく転換したりして、時間を前へと進めながら、お話を語っていく。〉ということになります。
 読者は、コマ割りしていない同じ紙面にある二つの絵に時間差があるとは思わないでしょう。そのような読者に配慮して、『鳥獣戯画』の手法を説明する際、筆者は絵を二つに分けて、時間差、そして動きがはっきりわかるようにしたのです。しかし、実際には一三六・一三七ページにあるように実際は長い紙に絵を連続して描いており、コマ割りしていない紙面を右から左に巻きながら動きを表現するようになっています。これが絵巻物の手法です。
 このように、類比や対比を用いながら、『鳥獣戯画』が、アニメや漫画と大変関係が深いことが納得できるように表現されています。
◆細部を類推することでさらに見えてくるもの
◆日本文化の中での『鳥獣戯画』
◆人類の宝としての『鳥獣戯画』



12 この絵、わたしはこう見る

◆この教材の教育的意味
 前の教材「『鳥獣戯画』を読む」と関連させて「書く」教材として取り上げているのが、この教材です。「『鳥獣戯画』を読む」は、説明文として、筆者のもの見方、考え方を読み取り、それをどのように表現し、わかりやすく説明しているかを学習するというものです。その学習を生かして、今度は自分が感じたことや考えたことを表現し、交流することで、自分だけではなく、友達のさまざまなものの見方や発見に気づき、人はいろいろな観点でものを見、さまざまな感じ方をするものだということを認識することをねらった教材です。こうした観点から少し考えてみたいと思います。
◆観点をはっきりさせ、何をこそ伝えるのか
◆表現上の工夫について
◆作品の交流のについて



13 天地の文  (福澤諭吉)

◆書かれた当時の読者と現代の読者
 福澤諭吉の人となりはあらためて言うこともないでしょう。元々、下級藩士であり、その足跡は蘭学者、自然科学者、啓蒙思想家、慶應義塾大学の設立など多面にわたります。
 さて、「天地の文」ですが、慶應義塾大出版会によりますと、「啓蒙手習いの文」(上下二巻)の中にあります。出版されたのは、明治四年初夏です。
 古文や漢文を読む場合、作者が想定した読者は、「現実」の読者(つまり現在の六年生)ではないので、注意が必要になります。当時のこの年代の子ども達には理解できた言葉でも、現在の六年生では、理解できない言葉がたくさんあります。また、一年を大まかに「三百六十日」としていることなど説明が必要でしょう。
 ただ声に出して読むだけで〈調子のよい言い回し〉を楽しむことができますが、この教材の書かれている内容がわかったとしても大きな意味があるとは思えません。六年生は歴史学習をしていますから、その学習と関連させながらこの文章が作られた当時の状況も学ばせることはできます。
◆当時の状況をふまえて
◆福沢諭吉の教育観と「天地の文」



14 森へ  (星野道夫)

◆筆者について
◆五感を使って森へ入る仮想体験をする
 この作品は、大きく三つの部分に分けることができます。一つ目は、森の入江でカヤックをこいでいる場面から森に上陸する場面までです。
 〈朝の海は、深いきりに包まれ、静まりかえっていました。聞こえるのは、カヤックのオールが水を切る音だけです。〉
 書き出しから〈原生林の世界〉に引き込まれます。語り手の〈ぼく〉が森を進むにしたがって五感に感じることをそのまま表現しています。静かな、動かない淡い世界の中でかすかな音、わずかな風の動き、現れてはいつの間にか消えているぼんやりとした風景は、全ての感覚を研ぎ澄まさなければ感じられないほどです。この世界は、不思議さ、あやしさ、不安をともないながら読者を引き込んでいきます。音は聞こえてもその姿は見えない。〈そのときです、思議な声がきりの中から聞こえてきたのは。〉〈突然、きりの中からすうっと巨大な黒いかげが現れ〉、やがて〈ゆっくりときりの中に消えてゆき〉ます。ふいに、まい上がったハクトウワシは、〈ぼく〉を〈じっと見ていたのです。〉と気がつかない視線もあります。読者は、緊張しながらいつの間にか〈原生林の世界〉にいるような感じになっていきます。巧みな表現は臨場感を生み出し、読者を〈原生林の世界〉に引き込んでくれます。
 こうした臨場感を生み出すことができた要因の一つは、効果的な声喩(一般に擬態語・擬声語と呼ばれていますが、その違いを明確に線引きできませんからそれらを合わせて西郷文芸学では声喩とします)が使われていることです。ハクトウワシやザトウクジラなどの動物が発する音や<白い太陽が、ぼうっと現れては><ぼんやり見えています。><しっとりとぬらしました。>〈すうっと巨大な黒いかげが現れ〉などの声喩によって臨場感が高まります。写真と合わせて〈原生林の世界〉に入っているような仮想体験をじっくりと味わいたいところです。
◆森の生き物になって森の世界を体験する
◆倒木を通して森の歴史を体験する



15 言葉は動く  (渡辺実)

◆題名の役割
◆書き出しの工夫(説得の論法)
 本文の書き出しは、題名からうけるイメージとは違い、〈学校の時間割〉〈燃えないごみの収集〉〈歯医者さんの休み〉というように、読者の日常生活の中から、とても身近な例を挙げて書き始めています。これらは、類比(似たようなところ、同じようなところを比べる)すると、どれも曜日に関する事例です。それらの中で、〈学校の時間割〉が最初に挙げられているのは、読者である子ども達には一番身近なものでわかりやすいからです。
 このように今では、カレンダーが外来語であることを忘れるほど、私たち読者の暮らしにとけこんでいることを再認識させられます。
 〈「カレンダー」というよび名や曜日分けのやり方が入ってくる前、日本では、どんな言葉で日を区切っていたのでしょうか。〉と問いかけられると読者は「何だろう。」と思い出そうとします。
 このような問いかけや仕掛、わかりやすい例を出すことなどは、読者に興味や関心をもって読んでもらうための書き方の工夫です。これを説得の論法と言います。
◆こよみをカレンダーと比べる
◆暮らし方が変わることで、言葉も変わる
◆生活の変化に影響されないものも言葉は変わる
◆心の持ち方を表す言葉も変わる
◆言葉を失うことは暮らし方や心のもち方を失うこと
◆類別して考えを整理する



16 海の命  (立松和平)

◆海に生きるということ
◆瀬とは
◆〈海のめぐみ〉とは
 キーワードになるのは〈千びきに一ぴき〉と〈海のめぐみ〉です。それらを〈海の命〉と意味づけており、それが題名にもなっています。なぜ〈千びきに一ぴき〉か、なぜ〈海のめぐみ〉と言うのでしょうか。このことをはっきりさせる必要があります。自然の生態系はピラミッド型になっていて、アメーバーやミジンコみたいな非常に小さな生物が一番底辺にあって、それを食って生きていく生物がいて、やがて、小さい生物、中くらいの生物、大きい生物とピラミッド型になっており、上へ行くほど数が少なくなるというのがいわゆる生態系のピラミッドといわれるものです。
 そのピラミッドの一番頂点に立つのは人間なのです。人間が一番頂点に立っているということは、人間は自然からいろんなものをいただいているけれども、逆に他の生物にお返ししているということは何もないことを意味しています。人間を食って生きている生物はいません。人間は牛を食い、馬を食います。あるいは魚を食い命を支えています。しかし魚や獣が人間を食べて生きるという話はありません。生態系としてはないのです。だから〈めぐみ〉は一方的なのです。恵む方と恵まれる方があるのです。私たち人間は恵みを受けている側であって、生態系に対して、人間の側からそれにお返しをしているということはないのです。だからこれを恵みというのです。〈海のめぐみ〉の〈めぐみ〉ということをまずはっきりさせておかなくてはいけません。要するに人間は自然からいただく、極端にいえば奪うという存在なのです。
◆〈千びきに一ぴき〉という考え方
◆海の命とは何か
◆海という命が生み出した命
◆自然との共生



17 生きる  (谷川俊太郎)

◆一連―肉体的に生きる
 〈それはのどがかわくということ〉〈木もれ陽がまぶしいということ〉〈くしゃみすること〉――。人間が生きるということは動物たちと同じで、食うこと・飲むことという肉体的・生理的に生きているということがあります。〈木もれ陽がまぶしい〉とは、犬でもねこでも、まぶしい時は目をつぶりますし、のどがかわけば水を飲みます。何かを思い出すこともあります。〈あなたと手をつなぐこと〉では、犬やねこは手こそはつなぎませんが、仲間と触れ合うということがあります。まさに、人間が生きるということは自然的存在として、一つの動物として生きる、肉体的に生きるということです。感覚的に生きるということです。
◆二連―価値的に生きる
 しかし、人間が人間として生きるということは、単に動物的に生きるというだけではなくて、文化的・価値的に生きるということです。ミニスカート、プラネタリウム、ヨハン・シュトラウスのような風俗、習慣、科学、音楽、美術、スポーツなどいろいろな文化、あるいは価値といった〈すべての美しいものに出会うということ〉です。〈かくされた悪を注意深くこばむこと〉とは、真・善・美の価値を生み出すということです。価値を作り出すこと、価値を見いだすこと、価値というものを大事にすることは、人間の生き方の大事なところです。犬やねこは、美しいものを美しいと評価したり、わかるということはありません。また、善悪を心得ているわけでもありません。善悪は人間が作り出した価値の基準です。
◆三連―自由を大切にして生きる
◆四連―無数の関係の中で生きる
◆終連―平凡の中の本質を見いだすということ



18 言葉の橋  (宮地裕)

◆題名について
 橋とは本来渡ることのできない隔絶した二箇所を繋ぐものです。橋によって今まで交流のなかった場所、またはたどり着くのに非常に困難を要したところに、実に便利に行き来できるようになります。そう考えた時、言葉も他者と自己という全く違う存在を結びつける役割を持っていることに気づくでしょう。初対面の相手、あるいは疎遠であった相手と言葉によってつながることが可能になります。題名を読んだ時、読者の中には、言葉は伝達性をもつと共に、自己と他者を結ぶための非常に便利な道具であることを思い出させてもくれるでしょう。けれども、それは同時に他者と自己を言葉によって切り離してしまう危険性も持っているのです。読者はここで、言葉の橋とはどんな橋なのか、またどんな繋ぎ方が書かれているのかという疑問や興味を持って読み進めることとなります。
◆詩 「冬は 」( 高見順)の意味づけ
◆詩 「シャボン玉 」( ジャン=コクトー)の意味づけ
◆筆者の体験を語る



19 季節の言葉 春、夏、秋、冬

◆季節感を大切に
 昨今は町を見回しても季節感が希薄になってきていて、子ども達の感性が育ちにくい状況になっています。この単元では、昔から親しまれてきた四季折々の詩や俳句、言葉などを取り扱っています。しかし、偏狭な復古主義、伝統主義に陥ることがあってはなりません。また、暗記して終わり、というだけの授業は一番つまらない授業です。これらの詩や俳句などを足がかりに、子ども達の感性や人間観・世界観を育てられたらいいなと思います。
 それとともに、作品のおもしろさ、美を発見し味わってほしいと思います。ここで言う美とは、素材の美しさではなく、おもしろさ、味わい、趣きという意味で使っています。作品の中にある異質のイメージとイメージを響き合わせることで、作品のおもしろさ・美を見いだすことができます。イメージを響き合わせることを相関させると言います。
 限られた時間の中では、全ての作品をていねいに取り扱うことはできませんから、各季節の中から一・二点についてはおもしろさ(美)を味わうことができる授業にしたいものです。 その上で、教科書に書いてあるように季節を感じさせる言葉を作品の中から見つけたり、新聞や本などを使って集めたりするようにしましょう。
◆漢詩で味わう
◆俳句で味わう
◆和歌・短歌で味わう



20 宇宙飛行士―ぼくがいだいた夢  (野口聡一)

◆話者(語り手)・聴者(聞き手)、作者(書き手)・読者
 この文章は、はじめに説明があるとおり、野口聡一さんが話したことを、聞き手が書きまとめたものです。いわゆるインタビュー記事です。原典は、文春文庫「ぼくのしょうらいのゆめ」に掲載されています。
 どのような文章でも、話者(語り手)と聴者(聞き手)がいますが、この場合は、話者は〈ぼく(野口聡一)〉だし、聴者(聞き手)はインタビューする人です。視点は、現在大人である〈ぼく(野口聡一)〉が、少年時代や若いころの自分を振り返って、過去の〈ぼく〉の気もちになって語っている、という二重視点です。回想視点とも言います。作者(書き手)は野口聡一となっていますが出版者のライター(書き手)でしょう。読者は小学校六年生の子どもたちです。
 〈ぼく〉が話したことを、句読点やかぎ括弧、平仮名、カタカナ、漢字など交えながら、また段落など考えながら文章にしたものが、原典の文章です。ここで想定されている読者は、(文体から察するに)小学校高学年から中学生の全国の子ども達でしょうか。語り手である野口聡一さんの趣旨を伝えるためには、どのような表記にしたらいいのか、段落をどこでとったらいいのかなど考えた文章です。
◆原点と書き直した文章のちがい
◆どんな質問であったか考える
◆書き出しの工夫
◆読者を想定した表現の工夫
◆インタビューの表現の特徴



21 変身したミンミンゼミ  (河合雅雄)

◆題名の仕掛
◆話者の人物像
 語り手の〈ぼく〉の語りを追いかけていくと、非常に子どもらしくあると同時に、時にロマンティストであり何よりも自然への好奇心と興味を持った人物であると感じられるのではないでしょうか。あたかも、河合雅雄本人の子ども時代の体験をそのまま書いてあるかのようです。
 しかし、これはあくまでも作者が設定した話者が語るという関係にあります。ですから、〈わたし〉は河合雅雄本人ではないのです。
 好奇心旺盛で昆虫などの捕獲の仕方をよく知っている〈ぼく〉は妹の〈ミト〉と共にセミ取りに夢中になります。小便をかけられて目を痛めたミトに泣くことで目を洗い流すという見事な解決方法を提示したり、セミの幼虫探しには小さな穴でなければならないという知識を披露したりと、古き良き時代のガキ大将のような人物像が浮かんできます。が、一方で〈ぼく〉には知らないことがまだまだあって、〈おもしろい発見〉をしたけれどそれが図鑑で〈クロカミキリ〉とわかり非常に意気消沈したりもする。まさに子どもらしい人物です。
◆〈ぼく〉の言動を外から見てユーモアを見つける
◆「変身」の二重のイメージ
◆この教材でなにを教えるか