日本でサマータイムって本気?

 どうやら、またぞろ超党派議員でサマータイム導入を検討しているらしい。 反対論は様々なマスメディアで展開されているが、ポイントは、 省エネルギー効果、 労働時間短縮と余暇産業への波及、 サマータイムによる時刻系の混乱、 に要約されるようだ。

 省エネルギー効果の見積が通産省の予想どおりかどうかは、 ここでは触れない。だいたい、この類の話は波及効果まで考慮して話すようだが、 どこまで波及するかが不明確なうえ、広範に影響する分野はわずかな影響しか 受けないから、全体の影響はちょっとした見積の違いで大幅に異なってしまう。 数学で積分を習った人ならば、0から無限大まで積分したとき1/xと1/x**(-1.0001)では 答えが大きく違うことはよく承知だろう。

 労働時間短縮は、サービス残業が日常茶飯事の日本では机上の空論ということは 広くいわれていることだ。フランスのバカンス法やドイツの商店法のように、 サービス残業を含めて、労働時間違反は個人商店に至るまで、雇用主が 処罰されるようにならなければ、決して余暇は増えない。 ドイツの「商店法」では平日午後6時以降はレストランを除くあらゆる商店の 営業が一切禁止されているのだ。(今は、水曜日だけ、延長営業が認められているが、 1980年頃は月曜から金曜まで完全順守。土日も夜間営業は不可だった。)
 西欧はこのような強権的ともいえる制度を導入して、しかも長い年月を掛けて ようやく、この状況が普通だと受け入れられるようになっている事実を 認識すべきである。余暇創出が目的ならば、サマータイムより先に 「商店法」「バカンス法」に匹敵するだけの「労働規準法」順守強化を 実行すべきである。
 さらに、余暇産業が潤うというのならば、最初の省エネルギー効果とは 一体なんなのだろうと思ってしまう。余暇が増えたことで増えるエネルギー消費は どうなっているのだろうか。

 しかも、よく考えると上記の2点はサマータイムを導入しなくても実現できる のである。日本は、まだ、完全放任自由主義経済になっていないので、行政府の 影響が大きい。したがって、夏だけ官公庁と銀行の営業時間を必要なだけ 繰り上げれば良い。そうすれば、ほぼすべての産業が自動的に始業時刻を 繰り上げるであろう。夏だけ、役所の受付を午後4時までにし、銀行の営業を 午後2時までにすればよいのである。もちろん、国会の開会時間も繰り上げることは 当然である。

 さて、サマータイムによる過渡期(切替日)の混乱は、多くの人が取り上げる ところだ。日本のように交通網の密度が高いところでは1時間の辻褄合わせは 大変な労力を必要とするはずだ。
 ところが、多くの人が誤解しているようだが、この問題は国際化が進んだ 現在においては年に2度の問題ではない。以下の点の認識は、みなさんおあり だろうか。
 まず、サマータイムの実施期間は国によってまちまちである。これは サマータイムを実施している国としていない国があるという意味ではない。 実施している国が何月何日から何月何日まで実施するかが、国によって 異なっているということだ。一例を上げると、欧州大陸国家と英国とでは 標準時刻が1時間違う。しかも英国とこれらの国とはサマータイムの実施時期が 異なっているので、時差がないとき、時差が1時間の時、時差が2時間の時の 3通りの可能性がある。日本がいつ実施するかは「他の主要国に合わせる」 ということができない。
 だいたいにおいて南半球で実施している国があるのだから、サマータイムの 実施時期が一致していないのは、わかるはずなのだが。
 もう1つの点は、実施期間が年毎に異なるということだ。欧州では、だいたい イースター休暇の週末からサマータイムに移行するようだ。御存じのように キリスト教に基づく西欧の休日の決め方は実にややこしい。 「春分のあとの最初の満月の直後の月曜」とかなっている。これでは 毎年カレンダーが必要なはずだ。これに合わせてサマータイム実施時期を 決めたりするから、毎年、いつからサマータイムになるのか予想しがたい。 事実、チリでは、1999年3月のサマータイム終了時期を省エネルギ名目で 急遽1週間以上延期してしまった。先行きの計画が立たないと困る日本で この状況にたえられるのだろうか。しかも、予定が前の年にならないと決まらない とすれば、計算機の時計変更などはプログラム化できず、手動で 設定しておかねばならないだろう。

 以上、世界の状況、および代替策まで考えると、「サマータイムは導入の必要なし」 と結論付けられる。「サマータイム」というのは、時刻で指定された取り決めを 柔軟に変更できない「前コンピュータ時代」の便宜的解決策と考える。
 どうしても、省エネルギーというのならば、いっそ、均時法(すべての1時間の 長さを同じにする)を止めて、江戸時代のように日の出と日没との間を 等間隔に分ける方がよいのかも知れないぞ(これは皮肉)。