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ふるさと関連見聞録 西郷隆盛と薩摩川内 Furusato Satumasendai
2010.3.10

 江戸末期から明治維新政府に置いて大活躍した西郷隆盛。中央での活躍については、あまりにも有名ですが、青年期と晩年中央を去り鹿児島で過ごしたころ薩摩川内との縁がありました。


 石橋建設と高城温泉

 西郷隆盛は、現鹿児島市加治屋町の生まれで、江戸末期の弘化元年(1844年)17歳のころには薩摩藩の郡方書役助という役につきました。郡方とは地方のことを行う部所で、主に農村を巡回して農業の調査などを行い年貢などの監督をする役所でした。

 その書役助、つまり事務補佐というわけです。藩内の地方に出かけて行う仕事でしたので地方では何かしら西郷さんとの接触があったはずです。
 
 そんな中、西郷さんは、弘化3年(1846年)薩摩郡高城郷(現:薩摩川内市高城町)に出張して、薩摩街道出水筋の石橋、妹背橋の建設工事の監督にあたるよう郡奉行に命じられ、この工事に3年ほど携わったとされます。

 妹背橋のすぐ近くの民家の庭先には、工事のときに西郷さんがよく使ったとされる手水鉢が今も残っています。このような伝説が残っていますから高城には暫く滞在したことがあるものと思われます。

 西郷さんは工事に携わった人夫の出勤簿などの管理を行っていたとありますが、この3年間の西郷がどのような周期で川内に滞在し、工事にかかわったかは、まだ筆者の知り得ないところです。

 その後、20代半ばからの西郷さんの明治維新に関わる活躍はご承知のとおりですが、晩年、日本国政府を下野し、明治6年には鹿児島に帰ってきます。鹿児島に帰ってからは、政治にかかわることはなく、農業をしながら狩猟などに興じていたといわれます。

 薩摩川内湯田の高城温泉も度々訪れて、温泉や囲碁、兎狩りなどを楽しんでいたそうです。高城温泉のことは、工事に携わった若いころからよく知っていたものと思われます。若いころ工事にあたった妹背橋から高城温泉に向かう街道の途中に『西郷どんの腰掛け石』と名付けられた大きな石がありますが、ここは、江戸への参勤交代の街道でもありますが、よくここに座って煙草をふかしていたそうです。
 
 高城温泉では、西郷の泊る宿は決まっていたようで、そこで家主と楽しんだ囲碁盤などは今も残されているといいます。また、お気に入りの温泉では、湯船のどこに入るかも決まっていて、そこで四方山話を聞くのが地元の人の楽しみであったとか。晩年の西郷さんの鹿児島での暮らしぶりがわかる伝説です。

 
 「ツン」のふるさと

 東京上野の西郷像が有名ですが、これは鹿児島での狩りの様子を具象化したものですが、この時に連れている猟犬『ツン』は、薩摩川内東郷藤川の農夫が飼っていた犬を譲り受けたものだそうです。

 明治7年か8年ごろ藤川天神を参詣した西郷さんは境内で近所の犬と出会います。ツンと呼ばれるその犬は、ピンと立った耳が特徴の薩摩犬で、兎狩りが得意なメス犬だったといいます。一目して気に入った西郷さんは、飼主の前田善兵衛にツンを譲って欲しいと頼みます。
 
 しかし、善兵衛は渋りこの申し出を断りました。あきらめきれない西郷さんは、土地の有力者であった三原隼人に交渉を頼みます。善兵衛はその情熱に折れ、ツンは西郷さんのもとへ譲られることになりました。
 
 西郷さんは大変に喜び、前田善兵衛に自分の乗馬と金20貫を与えたといわれます。その後、ツンは県内各地の猟に西郷さんに同行することになりますが、狩りの途中、猟犬の勘を働かして遠く故郷の薩摩川内藤川まで二度も逃げ帰ったことがあるそうです。

≪参考にさせていただいた資料≫
  Wikipedia(ウィキィペディア)

  西郷隆盛に関するのホームページ 西郷隆盛の生涯
  ワシモさんのレポート  愛犬ツンと西郷隆盛
    
  その他