ふるさと薩摩川内 いつか暮らした懐かしいふるさと
薩摩川内は今も変わらないか あの海 あの山 あの川は
薩摩川内はんやまつり
ふるさと薩摩川内
平成21年
2009・11・1 この日は21年度のはんや祭の予定
しかし、あいにく早朝からの雨のため中止となってしまった。
踊る人も見る人も楽しみにしていた祭りですが天気には勝てませんでした。
前日には市民ホールで「はんや全国大会」が開催されました。
平成20年
 今は11月の第1日曜日に開かれるようになったはんや祭り はんや祭りの総踊りの前に行われる、御輿連や戦国絵巻はすっかり祭りに溶け込み、晩秋の市民の楽しみのひとつになりました。
2008・11・2 
    はんや祭りは今年も神輿などの行列から
人気の篤姫の駕籠も 
豊臣秀吉軍は、九州平定のため薩摩に攻めいった。
豊臣軍20万人に対し、島津軍は、平佐城を拠点に4百人余りの兵で応戦
島津軍は撤退、豊臣はどんどん攻め入る
そして、島津は降参し、大小路の泰平寺で和睦をすることになる。
はんや踊連
大漁旗の乱舞

4,300人を超える踊り連
大漁旗も乱舞します

平成19年
子ども神輿 一刀両断示現流の薩摩軍

平成18年
市町村合併から2年、今年3回目を迎えたはんや祭りは、さらに盛大に       2006.11.5
はんや祭り 第2部は戦国絵巻 豊臣と島津の戦い
九州征伐のため薩摩に攻め入った豊臣軍は川内で島津軍と衝突した
平佐城を拠点として少数の軍で対抗した島津軍はついに力尽き島津義久は髪を剃り豊臣秀吉と和睦する。
祭りの第3部は、はんやおどり

前日に行われた全国はんや大会の出演者も加わって
各地の踊りは個性豊か
そして市民総踊り
  
平成17年 2005年)
合併2年目を迎えた薩摩川内市「はんや祭」は今年も賑やかに開催されました。
2005.11.6(日)
甑島が市の仲間入り、甑の大漁旗が向田から太平橋を渡り大小路へ
この日の天気は曇り、観客の出足は少し鈍かったですが、踊り手の気分は最高
いよいよ佳境に入りました。
亭主も踊り手のため写真はこれが精一杯

平成16年 (2004年)
この年の祭りはお祝い一色  2004年 11月14日(日)
 川内はんや祭りの総踊りの前に行われる、戦国絵巻。秀吉の薩摩攻めから和睦までのシーン
豊臣秀吉と島津義久は大小路の泰平寺で和睦をしますが、その仲介を務めたのが時の泰平寺住職宥印法印(ゆういんほういん)といわれています。

 この写真右に写っている宥印和尚役は現泰平寺の御住侍です。400年を超える時の再現
 総踊り
 合併後初めての市民イベントとなった2004年11月14日、この日の踊り手は、4300人、踊り手、観客、お世話役総出のお祝いと化しました。
 この日は旧町村からの観客も多く踊り手はなおいっそう乗りまくり。 ヨイヤサ ヨイヤサ
 せんだいの祭りに大漁旗が出るのは珍しい。甑4村が合併したからこそ
 写真は、合併なった旧下甑村現下甑町の方々です。