闘う!ちなアトピー4 止められない・・・そして鹿児島へ ー

結婚後も舞台での仕事をしていた私は なかなかステロイドを止める(脱ステロイ

ド)勇気がなかった。 と言うよりむしろ現実から逃げていたのかもしれない。 人

から見る分では私は アトピーではないように見えたようだが、調子の悪い時は 目

の回り、おでこに塗っていた。少量薄く塗るだけなのだが このままでは一生この

薬が手放せない。 そんな毎日を送っているうち、良くなっていた手の状態が 日に

日に悪くなり始めた。病院へ行かなかった私は 薬局で購入した軟膏を手に塗り始

めた。これが第二の闘いに つながるとはこの時はまったく思ってもみなかったの

である。 手に薬を塗ってガーゼをあてて寝る日々が結婚して3年間近く (こちら

に引っ越してくるまで)続いた。 この時、体に出ていたアトピーは毎年の海水浴

&日光浴の おかげか治っていた。(夏場に肘の内側・膝の裏に少しでるくらい)

しかし、結婚してからの私は体がだんだん不調になり、毎日の頭痛に 耐えられな

いほどの暮らしをしていた。 ひどい時は一日中体がだるく頭痛がひどく家から出

れない日もあった。 結婚後住んだ街は決して環境のいい所ではなかった。 休みの

日にはそんな環境から逃げ出すかのように夫とよく 山や川へ行った。 「頭が痛

い、お腹が痛い、体がだるい」と言えばすぐに薬を飲んでいた 子供の頃。私には

この環境にうち勝つ免疫力や抵抗力さえも ついていなかったのか?だからアトピ

ーにもなったのではないか? そんな疑問を持ち始める日々が続くのであった。 夫

とも何度も話し合いをした。 そんな事を悩んでいる頃、結婚してすぐに夫の両親

と兄弟とで両親 の故郷「鹿児島南薩・頴娃町(えいちょう)」に初めて旅行した

事を思い出した。 あんなに空気の澄んだ、海や山があり、緑の生き生きとした 星

空の素晴らしい所へ行ったのは初めてだった。 それ以上の人の優しさにも感動を

覚えた。 「あんなに環境の良い所で住めば私の体は、アトピーはもしかして 完治

するかもしれない・・・」そんな思いが私の頭の中で渦巻いていた。 しかし、そ

んな事は無理だ。私は関西で生まれ育ち結婚した。夫にも こちらの仕事がある。

私にも両親や姉妹・友達がいる。 そんな何もかもから離れ、遠く鹿児島へ移住出

来る訳がない そんなに私は強くない。でも、こんな弱い体で一生暮らしていける

のか? 元気な子供を産めるのか?子どもまで弱い子になってしまう のではない

か・・・いろんな事を考えた。 ついに夫に相談した。 夫は「おまえが本気なら鹿

児島へ引っ越そう。おまえの体が良くなる のなら引っ越してもいいよ」と言って

くれた。 前にも述べたように夫の両親は鹿児島・頴娃町出身(夫は関西出身)で

小児喘息を患っていた夫は小さい頃から毎年夏休みになると両親の故郷 「頴娃」

へ遊びに行っていたそうだ。 (その小児喘息も大きくなるにつれ治っていった)

頴娃の環境の良いことを十分に知っていた夫は移住する事を 真剣に考えはじめた

(もともと田舎が好きな人間だったのもあるみたい) しかしそんな話はまだまだ

夢の話で賛成してくれる人間は 誰もいなかったのである。(またまたこの話は別

の話ね。) 鹿児島へ移住し私自身の体、アトピーを治す事を理解してもらうのには

私の両親や姉妹、夫の仕事関係や両親に理解してもらうには かなりの時間がかか

った。しかし、最後には自分達の人生だと 結論はまったく変わらず、鹿児島への

移住の準備を始め、 鹿児島へ旅立つのであった。(最後にはみんなに分かってい

ただけました)

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