5月吉日・・・クラッチが滑り、強化クラッチに交換。
5月中旬・・・コントロールアームがダメになってたことが発覚・交換。
       同時にトラクションブラケットを追加。
6月吉日・・・リヤスプリングを固する。


   「ハチの進化・chinaの進化?」

ハチ(ハチロク/トヨタレビン)はだんだん進化しつつある。
乗りやすい車になってきた。ハンドルもchinaに合わせ近くして、
バケットシートには座布団2枚にバスタオル1枚。
ドライビングポジションもだいぶ良くなった。
強化クラッチもそんな重いことなくスムーズにつなぐことができる。
後ろサスも以前よりも固いものにして、ますます安定してきているような 気がする。
でも、chinaにはまだまだ課題がたくさん残っている。
身体でハチを感じるよう心掛ける日々。走るのは本当に楽しい。ワクワクする。
それはまるで、バイクで走っているかのような感覚に近いと感じる。
でも私には、峠を走るとか攻めるとかそう言った元気も時間的余裕もない。
走りたい気持ちは常に心に秘めつつ、公道でスピード感を得たいとか
そう言うのではない私の走るは・・・。
もうそう言った感情は子達の存在で消えてしまったのかもしれない。
そう言った感情が生まれる年齢ではないのである。
私の「走る」はライン取りであったり、スムーズにクラッチがつながる
ことであったり、きめ細やかなハンドルの操作だったり常に考えながら
ハチを自分の手足のように意識して操作すること。
自分より、はるかに若い子たちの「何処どこ(山やなんか)を走った。」
という話を聞くと羨ましい気持ちはあるものの「私とは違う」と
つい淋しい気持ちにもなる。とても複雑な気持ち。
一種のひがみなのだろうか・・・。
でも、そんな変な淋しい気持ちはサーキットへ行くと溶けてなくなるようだ。
その道中の旦那との車の乗り方討論や、サーキットでのいろんな車の
オーナーさんたちの走り方を見てストレス発散してる感じ。
とくに同じハチロクのオーナーさんには心揺すぶられる。
私もいつか、あのハチ達の仲間になりたい!
何を目指してるとかそういうのではない。
唯一、歌が大好きで歌一筋だった以外で集中できるもの、それがハチだっただけ。
生まれ育った大阪を出て鹿児島に来て5年、ずっと何年も付き合ってきた
アトピー性皮膚炎も人が見て分からないほど回復した。
子達も鹿児島で産み、いろんな人とのたくさんの出逢いもあった。
だけどポッカリ空いた心の中。
その小さなポッカリがだんだん大きくなって・・・
透き通るような青空、満点の星空・ためいきの出るような夕焼け・壮大な
姿の開聞岳。海、山、素晴らしい自然。
幸せなのにどこかポッカリと空いた心。そんなポッカリをうめてくれたのが
ハチだった。今は・・・ハチの事、走る事、旦那やハチ友と話すのがすごく楽しい。
でも・・・ふと、最近こんなことを思う。
「大人になりきれないこの心?はたまた大人なのに落ち着きたくない
この心?難しい・・・それは、もしかしてハチでなくてもよかったの?
ハチでなくちゃいけなかったのか・・・」

私の中にはいつも渦巻いてる気持ちがある、野望というものなのだろうか・・・?
まだまだやってやる、これで終わりな訳がないって気持ち。
それはハチのことだけではない。
大阪にいた頃、積み上げそのまま置いてきたものをこの地で
もう一度積み上げなおしたい。
そうすればこの心のポッカリはもっとうめられるかな。
この地でずっと生きていけるだろうか。。
その答えはきっとすぐにはでない。
何十年経たないと出ないだろな。
答えがずっとでない場合、私の心はどこかまた新しい地へ向かって
飛んでいくのだろうか。。
その答えがでるまではハチで走り続けることになりそうだ。